両親の喪失

大阪府/56歳/女性

母が幼い(8歳)で病死をしその時の事はよく覚えてます。そして父の呟き。

「お母ちゃん死んでもうてん」そんなの医師がご臨終です。って告げたから当たり前やしお母ちゃんが弱っている事も分かっていた。それを考えたら当たり前やし仕方無い事やんか。そんな家族が悲しんでいるのに客観的な感想を抱いていた。

葬儀もお別れって意識はなく葬儀の事を【こんな事すんのか】と言う好奇心が勝りずっと興味深く見ていた。ただ母の棺桶に蓋をされ運び出される時に「何処に連れて行くねん」って気持ちになり「連れて行かないで」と泣きすがりました。【何故か母は防腐処理された姿で私の側に居てくれるもの】だと思っていた。だから何処に連れて行くねん!って気持ちが強く引き止められ母の出棺。火葬場到着。火葬って事で母の入る棺桶が入れられる事が嫌で泣き叫んでも皆理由を聞かず淡々と棺桶を火葬場の火葬する所に母の棺桶を入れ扉を閉める。皆合掌している様は私からすれば異様で合掌の後火葬が終わる迄別室で待機と案内されそちらに向かいます。私は母が火葬されている最中に息を吹き返したらどうすんねん!って気持ちが強く離れられずに居た。しかし親戚(父方)のおばちゃん達に促されしぶしぶその場を後ろ髪引かれながら後にするしかなく親戚と共に別室に向かいました。別室で待機していると呼ばれ母が入れられた所に皆で向かい母の遺骨が出て来てました。まだ熱く火葬場の職員の説明で「あぁ此れで母とはお別れなんだ」と思い母の遺骨を説明通り丁寧に広い骨壷に入れました。仕方無いが母と完全に決別になった事を理解していた。葬儀の後色々ありそれは私には関係ない話。そして親戚が其々に帰宅するので見送りに行き見送りを済ませ私達家族が自宅に帰宅した。もう家を出て家庭を持つ者は家庭に帰り父と残された。その時にボソリと呟いた一言が許されません。「あんたさえ居らんかったらなぁ」私も母との別れを理解してこれからどうすんの?と不安な気持ちがあったのにそんな事を言われたらどうすれば良いのか。また子どもは私の上に3人が居てるのにそんな事言うくらいならなんで私を作る必要があったんや?私かて望んでない。

此れは私の辛い過去のほんの一部です。体験上子どもの存在を否定する言葉は決して言ってはいけない事だと思ってます。存在を否定されたらその子どもは何処に行けば良いんですか?だから決して言ってはいけない言葉だと強く思ってます。

【感想1】

経験を書いて送ってくださりありがとうございます。8歳のころに経験したことを情景と気持ちを含めて表現されていますが、何年前のことでしょうか?それなりに昔のことだろうと思いますが、描写的にも情緒的にもクリアに表現されていて、自分も身近な人が亡くなり、葬儀、火葬場に行ったことを思い出しながら一気に読みました。それだけ、あなたにとってこの時の出来事が深く印象に残り、今もクリアな記憶として残っているのだろうと思います。記憶という表現では足りないかもしれませんね。あなたにとって書いてくれた出来事に名前を付けるとしたら何になるでしょうか?

そして、父親に言われたことも深く刻み込まれていることも伝わってきました。あなたの言う通り、大人は子どもの存在否定をしてはいけないと思います。
ただ、今の社会は子どもを育てる責任を親だけに押し付けている状況があり、あなたのお父さんのように自分だけが背負わなければならないと思うあまり、自分ができない時=子どもは育てられないと考えてしまう傾向が強く、それも大きな問題だと思っています。あなたのように幼いころに親が亡くなっても、生まれながらにして親がいなくても、あるいはいたとしてもとても育てられない状況であったとしても、あるいはそれなりに育てられる余力のある親だとしても、子どもは様々な大人たちが協力して、社会全体として責任をもって育てることができる環境を用意することが大切だと思っています。そうなるために、どのような制度や取り組みがあればよいか考えています。もしも、ご意見あれば教えてください。

【感想2】

辛い過去のほんの一部を表現してくれてありがとうございます。幼い頃に感じた気持ちがリアルに伝わってくる文章で引き込まれました。父親の言葉を「許されない」と感じる気持ちは真っ当で大切なものだと思いました。生活を大人に頼るしかない子ども時代に受ける存在否定は、とりわけ心に傷を与えると思います。存在を否定されたらその子どもはどこに行けばいいのか…本当にそう思います。今は存在否定されない環境で過ごせているのでしょうか?居場所というのは存在を否定されずに生きられる場所のことだろうかと、お話を聞いて考えさせられました。また機会があればお話を聞かせてください。

【感想3】

まるでその場の情景が目に浮かぶような克明な描写で、それほどあなたの中で記憶にも心にも強く残っていることが伝わってきました。きっとこのようにして鮮明に記憶しているお辛い体験を他にも多くお持ちなのではと察しております。寄りにもよって親に存在を否定される言葉をぶつけられるのは、後々の人生を左右するほどのことだし、あなたのおっしゃる通り言ってはいけない言葉だと思います。子供は産んだ親を選べませんし、子供は親に依存しないと生きていけない場合が殆どです。その言葉は赦さなくてもいいと思うし、あなた自身が言ってはいけない言葉だ、と強く思っていることも大切だと思います。

親に限らず、言っていい言葉とそうでない言葉、そして親になってはいけない人、というのも少なからずいると私は思っています。それは「人として、物事の分別がつかない人」ではないでしょうか。

お辛い幼少期を過ごされたからこそ、そのように傷つき体験を、ただの辛い体験に留めずに次の世代に連鎖しないあなたであっていただけたらと思います。とはいえ言えない傷を抱えたまま生きるのはとても苦しいかと思います。このように言葉にすることで少しでも消化できたり、息をするのが少しラクになったり…そういったことにこのサイトをうまく使っていただけたらと思います。

【返信】

48年前の出来事。母との別れと父からの存在否定。
これに題を付けるなら「両親の喪失」です。
母と死別した直後の父からの存在否定。此れは私から守って貰える存在が無くなった事。母とは死別ですが父とは精神的死別(私が)として下さい。私は父から殺されました。
この言葉は絶対に子ども達に言ってはイケナイ言葉と固く心に刻んで来ました。次世代=我が子達。だけじゃなく全ての子どもが言われてはイケナイ言葉と認識しています。だから言われて悩んでいる子が居たら「それでも生きてる人も居るよ」と伝えて頂きたいです。2桁の年になってない時に言われた言葉は心に残ります。

人間寿命が来る迄は死ねません。不思議な事です。ただよう様に生きてる、それで宜しいのではないでしょうか。ただよう様に生きてると役割が出て来るものです。ただよう様に生きてください。ただよう様に生きてる者からの体験からです。どうか自分なんてとは思わずただよってください。