死にたいのに、生きたい

愛知県/18歳/女性


幼い頃は、誰かの期待に応えようと頑張っていました。
でもたくさん空回りして、上手くいかなくて、そうやっているうちに、疲れ果てたのだと思います。
今の私はただ無意味に深く物事を考えて絶望しているのに、その解決のための努力を一切しようとしません。
そしてこれからもしないと思います。

私の性格というか考え方として、楽しかったことはほとんど記憶にないが、嫌なことは残っている、というのがあります。
どんなに楽しくても、残る思い出はいつも嫌なものばかりです。だから、もう全てが嫌になりました。どうせ楽しくても忘れるし、それどころか嫌なことがあったらそれはずっとずっと残ってしまいます。だから私の思い出にいい思い出なんて一つもないんです。

幼稚園の時私は父の仕事の都合で引っ越し、転園しました。転園先の幼稚園ではどうしていたのか記憶にないので、多分それなりに上手くやっていたのだと思います。
ただ、トイレで女の子達が「あの子は転園してきた子だから、仲良くしてあげなくてはいけない」という趣旨の話をしているのを聞いてしまいました。私は多分、かなり傷ついたんだと思います。それ以来、私はずっとずっと「友達」という存在に遠慮していました。
学年(?)が一つあがると、同じ組に女の子が転入して来ました。彼女とはマンションの部屋が近かったこともあり、親しくしていたのですが…彼女は事あるごとに私に「命令」しました。もちろん一方的なもので、私にその権利はありません。今思えば、それはいじめのようなものだったのでしょう。彼女に悪意がなかったとしても。
だって私は「死ね」とすら命令されました。お互いにその意味なんて理解していませんでしたが、もし私が少しだけ賢かったら…きっと今こうして無価値な自分に気付いて苦しむこともなかったと思うと、少し残念ですが。
彼女は一年足らずで再び転園していきました。彼女と私は最後まで親友でした。

小学校一年生の時は、私は周囲と比べて非常に優秀でした。某自習塾に通っていたために勉強もできたし、成長も早くて運動もそれなりにできました。何をやっても褒められましたし、テストだっていつも満点でした。
しかし二年生にもなるとそうもいかなくなって、成績を維持するためにカンニングもするようになりました。教師の叱責にビクビクするようになり、やがて忘れ物を叱られたことで私は不登校になってしまいました。でも、なんだかかっこ悪いと当時は思っていたので「友達がいなくてつまらない」と当時は言っていました。全くいなかったわけではないのですが、私はどうも仲良くして「もらっている」という感覚にずっと付き纏われていました。
それからは先生方の作戦というか、いわゆるお見合いみたいなもので作った友達と一緒に友達をやっていました。こんな風に言いますが彼女とは本当に仲が良く、私の人生の中で最も親密な付き合いをしたのは彼女だったと思います。
しかし、私はどういうわけか同級生の女子達から彼女の悪口を良く聞かせられました。私はとても仲がいい彼女のことを尊敬していたのですが…実際彼女はとても良い子だったと思います。
だから私は彼女達に不審感を抱き、ひいては同級生の女子に不信感を抱きました。だから私は女の子が苦手です。でも男の子とは話が合わないので、お喋り上手な女の子としか会話ができないのですが。
ついでに、私は「あんなに良い子も嫌われているんだから当然自分も毛嫌いされているに違いない」と思うようになりました。今もそうです。実際私は当時の自分が嫌いです。周囲も嫌いだったと思います。

中学一年のとき、不登校になりました。当時の私のクラスでは、いじめのような、悪ふざけのような、そんな嫌な雰囲気がありました。入学当初から一度も登校しない生徒もいました。
私自身は何も関わっていないのですが、その嫌な空気が大嫌いで、息が詰まりました。昼食もほとんど手をつけることができませんでした。自分自身は何もされていないのに、「バイ菌」呼ばわりされる女の子を見ているだけで苦しくなって、せめて鈍感なフリをして無視されがちな彼女と話すくらいしかできない自分が嫌でした。
加えて部活も嫌でした。部活に行きたくないがために、わざとコップを割ってその欠片を踏んで足を切ったこともあります。
結局私は学校に行かなくなりました。
しかしその後、私はほとんど毎日フリースクールに通い、そこで先生方に強く勧められたこともあり、全日制の学校を受験しました。三年生になった時には塾にも通って、公立の進学校に入学することになりました。私の地域では、公立の学校は内申点がないとほとんど受からないと言われていましたが、様々な理由で内申点が低い生徒向けにあった制度を利用することができました。
それに加え、その学校は市内でも五本の指に入る(かもしれない)くらいの偏差値の学校で、私の実力で受かったのはほとんど奇跡のようなものでした。
だから私はなんとしてでもその学校を卒業しようと思いました。フリースクールではやっていけたし、という自信も少しはありました。

でもダメでした。
私は頑張って、頑張って、一生懸命頑張りました。多分人生で一番頑張りました。必死に頑張りました。側から見ればのんびりやっていたように見えると思いますが、私は私なりに頑張ったんです。
人見知りなのに話しかけて友達作って、合宿で人間不信になっても笑ってて、唯一得意だった勉強が追いつけなくなっても頑張って、友達のことすら信じられなくなっても頑張りました。
夏休み頃に初めてリスカして、そこから私は自分の「死にたい」がどんどん大きくなっていくのを感じました。
リスカとかODとか、病み垢作ったりとか、いわゆるメンヘラっぽいことを一通りしました。多分それは、「自分はツラいからもう頑張れなくても仕方ない」と自分に言い訳するための方法でした。別に自傷なんかしなくたって私は平気だったんです。今だからこそそう思うだけかな。
結局三学期になって、アセトアミノフェンの急性中毒で救急搬送されて救急病棟に五日くらい入院しました。その時も私は、「退学にならないか」「テストは大丈夫か」ということをずっと心配していました。とにかく卒業しなければとずっとずっと思っていました。
だから二年生になっても学校に行きました。
休みがちで、出席日数もギリギリで、クラスの人にも不審がられて、もう疲れ果てて、それでも行ってたけどついに限界になりました。
それが初夏くらいでした。もう何もかも嫌になって、投げ出して、学校を辞めました。もう全部何もかも嫌でした。

勉強のことも友達のことも考えなくてよくなったのはすごいよかったです。解放されて、体調も一気に回復しました。人生で初の、友達が一人もいない時間はすごく最高でした。LINEも全部消しました。すごく気持ち良かったです。
こんなに幸せなことはないと思いました。
同時に、もう二度とあんなにツラい目にはあいたくないと思いました。

だから私は二度と「友達」なんか作らないと決めました。ネット上でも、SNSを利用するのを控えるようになりました。
すると人が怖くなりました。人が大嫌いになって、人と話せなくなりました。人の話し声が怖くて、視線が怖くて、存在が怖くて、大嫌いになりました。
ドラマを見たり、YouTubeで生声のを見るのも無理になって、情報番組も避けるようになりました。
特に人の写真の載った雑誌や本は気持ち悪くて読む気になれないし、人物の画像自体も嫌いになりました。
この「嫌い」は、虫が苦手な人と同じようなものです。羽音を聞くだけでゾワゾワするし、頑張れば触れるけどあんま触りたくないし、写真も見たくないし動画とか絶対嫌。虫たくさんいるところになんか絶対行けない。行きたくない。

でも、生きていく以上私は人と関わらなければいけないです。
大嫌いでも関わらないと駄目なんです。でも関わりたくないです。関われるようになりたいとすら思えないんです。
全人類が嫌いで嫌いで仕方ない。
人と関わらずに生きていくなんて不可能なのに。
だから私はバイトもしないし、就職もできると思えません。お金が稼げません。生きていけません。
このような一方的なコミュニケーションは得意ですが、言葉のキャッチボールが怖いです。いつ終わるともしれないメールのやり取りや電話が何より苦手です。業務連絡もまともにできません。

私みたいな人間が生きるなんて無理です。
生きるのが無理なら死ぬしかありません。

でも、矛盾しているようですが私は死ぬのも嫌いだし怖いです。死ぬのが怖くて怖くて仕方ありません。なんなら、死ぬのが怖いから自殺しようなんて完全に矛盾したことを考えますが、それは私の中ではしっかり筋の通ったことです。
私が避けたい「死」は突然の不幸であり恐怖ですが、私の望む「死」は不安と恐怖からの完全な解放ですから。

家族に頼るのは嫌です。何故なら、家族は必ず死ぬからです。
父も母も可愛い猫も私より先に死ぬでしょう。私にはそれが怖いです。家族を失うのが怖いです。私の日常が変わるのが嫌です。
家族が死ぬのが嫌だから死にたいとすら思います。とても自分勝手だと思いますが、私はそう思ってしまいます。

だってどうせ死ぬんです。
みんなどうせ死ぬんです。
百年後に死んでも今死んでも、同じじゃないですか。
だって私は楽しいことなんてどうせ何一つ覚えていられないから、生きていれば生きているだけ嫌なことが日に日に増えるだけです。
「死んだほうがいい」の気持ちは強くなります。
自殺の準備もします。
でも同時に、私はまだ「生きたい」です。
この先も生きていきたいです。
ずっとずっとこの幸せな日常が続くままに生きていきたいです。
だって、少なくとも今私は幸せなんです。
過去は暗くて傷ついた思い出ばかりだし、未来も不安で真っ暗だけど、残念なことに、今私は幸せです。
なんの悩みもありません。
だから「今すぐ死にたい」なんて思いません。
でもいつか、この幸せな「今」すら幸せでなくなるんだと思います。
私が死ぬのはその時だと思います。
でもその時が怖くて仕方ないから、私は「その時」が来る前に死にたいと思っています。
でも死ねません。だって今死ぬ理由はどこにもないから。
グルグルと考えて結局同じところに行きついて、でもどうやったって辿り着くところは死です。
こうやって考えてる間にも、「その時」は近づいて来るのに。
それが怖くて、また死にたくなります。
未来になんてなんの希望もないのに、幸せな思い出なんて何もないのに、私は死にません。死ねません。でも楽に生きることもできません。
ずっと苦しいままです。ずっと苦しいまま。

私はもうすぐ18歳になる高校生です。
だからこの生きづらさも、大人になれば全部思春期と一緒に消えてなくなるのかもしれません。
誰もが抱く感情なのに、私が大袈裟にしているだけかもしれません。
ただの「多感な時期」のせいかもしれません。

でも例え、それはみんなと同じで当たり前のことだとしても、今の私にとっては辛くて仕方ないことです。

死にたい、死にたいのに生きたい。
その矛盾にずっと苦しんでいます。

【感想1】

深い矛盾をめぐる自問自答、非常に興味深い文章でした。うまく言えませんが、独特のセンスと何かほかの人には真似できないあなたらしさを感じました。一方その独特のセンスがこれまで、あなたが社会で生きていくことを苦しくしていたのかもしれないと思いました。おそらく、ところどころ鋭い部分があり、その鋭さは人とかかわる際に生きづらさになってしまうのだろうかと推測しました。 

また、書いてあるエピソードや明確な意思などからも能力や思考にも強い個性を感じました。私はあなたのような個性はとても面白いと思います。虫が苦手なように人のことが苦手なあなたが社会で生きていく方法を一緒に考えたいと思いました。

少なくともあなたの文章表現は人を惹きつける魅力を感じましたし、あなた自身もおっしゃっている通り「一方通行のコミュニケーション」は得意なのはその通りだと思ったので、それを生かせる方法があるのではないかと思います。ちなみに、何かの文章を読んで感想を書くとか、もう少しあなたについて詳しく教えてもらうことなどはできそうでしょうか?

あなたがその個性を生かして生きる道を探ることはほかの人たちの道を開くことだと思ったので、一緒に考えたいと思いました。

【感想2】

これまで必死に耐えてきたことから解放されて「今」幸せ→いずれ人は死に、今の幸せが壊れる不安→その前に死にたい→でも今は幸せ→それはずっとは続かない、の負のループ、を抱えながら生きているしんどさが、そこから抜け出せない苦しさが「死にたいけど生きたい」という表現なのかな、と感じました。

誰もがみな、いつか必ず死にます。人は産まれる人や場所は選べませんが、死はある程度までは選ぶことが出来ると私は考えています。あるいは善良に生きていても居眠りダンプに突撃されるかもしれません。先々の不安を予期し始めたら、様々な不幸な可能性で頭がいっぱいになり、死にたくなるのも無理ないと思います。

生きている以上は人と関わらなければならない、その不安と恐怖からの解放、を求めて「死」を考えているようにも感じました。それも一つの選択かもしれません。

ですが、お金を稼がないと生きていけない、という訳ではない社会に、私たちはしていきたいし、実際に社会との接点を最低限にして生きていく方法もあります。

先のことはだれにもわかりませんし、まずは、今の変わらない日常、せっかく苦しい学校生活から解放されたのですから、それを素直に受け止めてもいいのかな、と思います。

変な話、死ぬのはいつでもできます。今少しでも「幸せ」を感じていて、今すぐ死にたくない、のであれば、その時まで死ぬのは棚上げしてもいいのではないでしょうか。

【感想3】

文章を読んで、「死にたいのに生きたい」というタイトルの意味がなんとなく分かった気がします。あなたの中で「死にたい」と「生きたい」は50:50ではなく100:100なのだろうと思います。高校時代まで誰かの期待に応えようとものすごく頑張って、疲れ果てて、「もう人と関わりたくも頑張りたくもない」と思うようになったのだなと理解しました。周囲の期待を感じ取りやすい繊細さもあったのではないかと思いました。「人と関わりたくない」と思っているのも、「ずっと苦しいまま」と感じているのも、自然な気持ちだと受け止めています。

また、「今の日常が変わるのが怖い」と書かれていますが、これから生きていくことそのものに不安を感じていれば、現状が続いてほしいと思うのは頷けます。

社会には人とあまり関わらなくていい仕事(黙々と一人で作業する物づくりやデスクワークなど)もあると思いますが、それなら少しやってもいいと思いますか?