愛知県・40代・女性
3歳の時、母が出産・胆石の手術で姉妹バラバラに預けられました。生まれたばかりの妹は母方の実家に、私は父の姉夫婦の家からたらい回しに父の兄夫婦の家に。
父の姉の所では、年の離れた父の姉の息子さんに遊んでもらったり優しく接してくれました。しかし、常に伯父に神経を遣っていた伯母は3歳の子供が騒いでいたら伯父がゆっくり眠れない・くつろげないと思ったようで、記憶にはないのですが私は父の兄夫婦の家にいました。
兄夫婦の家には年の近い息子さんが2人いたのですが、弟さんが我儘で玩具が沢山入っているダンボールをひっくり返して散らかし、お気に入りの玩具で遊んでいました。この大きな音に伯母が来て、事情を聞きもせず連帯責任と私も平手打ちをされました。食事も預けられた日から、兄夫婦の家族とは別に一人で小さな子供用の折りたたみ式のテーブルで食べて、夜は仏間で一人で寝ていました。私としては1年か2年経過していたのではないかと思っていましたが、実際は数ヶ月だったようです。
自宅に帰ると知らない赤ちゃんがいました。妹でした。
可愛いから触りたい、でも触れたりすると泣くので母から叱られました。姉妹成長して行くにつれ、父は妹を溺愛し姉妹喧嘩で明らかに妹に非があっても父からの罵声と雑巾や物が飛んできたりしました。母は私より妹を選び、一卵性母娘と言う状態でした。
アルコールが入ると人が変わる父からの、意味不明・答えのない質問や物をライターで目の前で燃やされたり朝まで続く事が日常的になりました。アルコールが入っていなくても私を馬鹿呼ばわりし、人として見なくなりました。
私は望まれて生まれてきたと母から聞いたことがありました。結婚して直ぐに妊娠したのですが流産し、私を身籠るまで5年もかかり針のむしろだったと。望まれて生まれてきたのに、私の人生は家庭内に居場所がなく。外の世界では壮絶なイジメが社会人になっても続きました。
酷い過呼吸発作で入院し、心療内科に通院。しかし周囲は変わらない。いつの間にか自傷行為から、発作的に自殺未遂をするようになりました。心療内科もたらい回しで、やっと今の心療内科に落ち着きましたが、治療とカウンセリングを10年続けていますが、発症が3歳の体験からなので、成人になってからの治療は長丁場と言われていましたが進展もなく「生きてる意味が分からない」が私を支配しています。病気と症状に全く理解のない家族、言葉で傷つき、やはり自傷行為か自殺出来る場所を探して徘徊することも。本当に私は望まれて生まれてきたのかさえ分からない。
保健センターの相談員さんに話しても、患っている病気がサポート窓口が無いためサバイバル的に生きてこられたんですねと。何処の窓口に相談しても、希望の光も見い出せない。アドバイスも病名は聞いたことあるんだけど〜でお終いでした。生きている意味はあるのか?3歳の時〜今現在を見ても、生きている意味はあるのかと。それが分からないので、何かあってもいいように。臓器ドナーカードが出来た当初から登録し、携帯しています。
この世は私には生きづらい。
●感想1
原稿を書いて送ってくれてありがとうございます。物心ついた時から味方になってくれる人や守られている感覚、記憶がないことが伝わってきました。家でも、外に出ても受け入れてもらえないのでは生きている意味や生きる希望を見出すのはとても難しいことだろうと思います。
しかし、一方でつらい思いをしたからこそ、真剣に生きることについて考えているのかもしれないとあなたの経験談を読んで思いました。今回、あなたが経験談を書こうと思った理由は何だったのでしょうか?また、書いてみてどう思ったのかも知りたくなりました。
私たちは経験談を寄せてもらい、そのことで今の社会の現状をよく理解し、必要なものを考えていきたいと思っています。あなたは病院、保健センターなど相談機関に相談に行って、希望を見いだせなかったようですねが、あなたの立場から考えて、どんなところがあれば助かったか?病院や保健センターがもう少しこうだったらなぁという意見やアイディアはありますか?どんなことでもいいので教えてもらえたら助かります。子どもの時の頃を思い出して、子どもの頃にあったらよかったと思う相談先や居場所、手助けしてくれる人でも構いません。もしよかったら、教えてください。
●感想2
家庭の内でも外でも居場所がなく、生きてる意味が分からなくなっていることが伝わってきました。人として見られない経験によって傷つき、治療に取り組んでも回復している実感もなければ、生きる希望を見いだせないもの頷けます。幼いころからの傷つきによる病気と症状がありながら、それを理解してもらえないのは、二重の苦しみなのではないかと思います。たしかに成人してから回復するのは厳しい道のりなのかもしれません。ただ、どのような経験をして、どのような症状があるのかという現実を最もよく知っていて語ることができるのは、あなたのような当事者の人たちだと思います。私はもっとお話を聞かせてもらい、どうすれば回復していけるのかを一緒に考えていきたいと思いました。
~返信~
【経験談を書いた理由】
私のような経験をされた方が、他にもいるかもしれない。苦しみ中にいるかもしれないと思うと同時に、私自身が書いて心が救われるのだろうかと病気から逃げ出したくて、理解のない家族から逃げて死にたい、楽になりたい、無になりたいと思ったからです。
【書いてみてどう思ったか】
お返事は来ないだろうとまずは思っていました。掲載とかも全く考えておらず、ただただこの世界に私がいる証を残せたと。きっと、私よりも酷い経験をしている人が沢山いるだろうと。
【アイディア】
保健センターの相談員さんは、代表的な病気についてはアドバイスしている。私は初めてここに病名を書かせていただきますが、解離性障害・解離性同一性障害にPTSDと闘っています。しかし、相談員さんも何処の窓口も解離性障害と言うとアドバイスがいただけません。「人生サバイバルだったんですね」と言い、どうしてそんな病になったのかだけ聞きます。ドラマやアニメ等々での多重人格者が目の前にいると興味本位にしか私には見えません。私は聞かれても傷つかない程度の上澄みしか人に話さないようにしています。
統合失調症は、しっかりサポートできるのに解離性障害にはありません。解離性障害患者にも光を当ててほしい。学んでほしい。1つの疾患として見てほしい。
しかし、私の場合は虐待にイジメ等々、言葉や態度、些細なことで傷ついたり人を避けると言う傾向や強い不安・音に過敏だったり、人との会話は非常に怖く言葉を選びに選んだり。相手の言葉や行動を先読みできてしまうのと、離人症・身体転換、酷いと過呼吸発作が起こるため、保健センターの相談員さんに話すのも勇気がいるし、それだけでも疲弊。
保健センターの相談員さんに解離性障害の相談窓口は、作らないだろうし作る計画もないと言われ希望はなくなった。解離性障害は人によって発症も症状や傾向も違うので、もしも相談窓口ができるのならその点の対応が出来る人がいたら。アイディアと言うものではないけれど、解離性障害にテレビであろうが光は当たらなく、私は諦めてしまっている。
【子供の頃にあったら】
世代的に女優の浜さん?が児童福祉施設の保護士のドラマを見ていたので、児童福祉施設って何処にあるんだろう?保護士さんって、どうやって見つけてくれて保護してくれるんだろうという考えしかなかった。逃げる場所も考えられなかった。ひたすら耐えるしかなかった。
~返信への返信~
コメント1
詳しく質問に答えてくださって、ありがとうございます。状況や思いがよくわかりました。
おっしゃる通り、同じような思いをしている人はたくさんいます。あなたの経験談と追加で答えてくれた内容は同じような経験をした人にとって、「そうそう」と共感して少しほっとしたり、「自分だけじゃなかった」と少し孤立感が解消されたりするのではないかと思います。
既存の相談がどうもしっくりしないというのも、その通りだろうと思いました。今の医療や多くの相談機関は診断名や障がい名で一定の枠組みがあり、それに当てはめてしまうこともあるでしょう。診断名や疾患は一人の人にとっては一部でしかなく、○○という人にはたまたま△△症の症状があるという理解のはずが、「△△症の○○さん」と言われて括られてしまいがちです。
そもそも、心の病気は疾患というより、一人の人がこれまで経験してきたつらい経験、やりたくてもできなかったこと、本来なら成長のために必要だったけど学ぶことができなかったことなど影響によって生じているコミュニケーションや人間関係、社会生活の「うまくいかなさ」だと思っています。それを精神医学的に疾患に当てはめると○○病や△△症という診断名になりますが、そもそもはその人の生活の「うまくいかなさ」に注目しないと先には進めないと思っています。○○病、△△症だからこういう支援が必要なのではなく、あなたの「うまくいかなさ」がどこから発生しているのか、どこでどのぐらいうまくいかないのか、そして、どういったことはうまくいっているのか、などあなた自身を理解したうえで、対処法を考えることが本来必要なのですが、多くの医療や相談は病気や障害、疾患で対応してしまいがちです。今回のあなたの経験談やコメントへの返信はそういった課題をよく指摘していると思いました。今の「うまくいかなさ」はつらいことだろうと思いますが、あなたのような経験と感性をお持ちの方が、自分の「うまくいかなさ」を理解し、先に進むことができる方法を見つけて、社会に広がることを目指して私たちはネットの居場所を運営しています。これからも、何かしらの形で参加してもらえると嬉しいです。
コメント2
丁寧にお返事をくださり、ありがとうございます。病気からも、理解のない家族からも逃げ出したい気持ちが伝わってきました。保健センターで勇気を出して相談しても、話を聞かれるだけで、解決策を一緒に考えてもらえなかったのですね。たしかに、どうしてその病気になったのか聞いてくれる人はいても、今の症状を和らげる方法・回復していく方法を継続的に相談できる先はほとんどないかもしれません。もっと理解や支援が広まることを願うばかりです。社会が変わることはとても簡単ではありませんが、こうしてリアルな経験や意見を発信してもらうことが、少しでも理解や支援を広めるための力になると思っています。私もいつも諦めそうな気持ちになりますが、同じような経験・意見を持つ人たちの発信を見ると、諦めきれなくなります。