佐賀県・19歳・女性
田舎に住む19歳女、無職。世間で言うニート。世間のニートのイメージは悪いものばかりだ。かく言う私も悪く思っている1人。私だってこうなるとは思ってなかったしなりたくないと思って今まで頑張ってきたつもりだった。なのに実際こうなってしまっている。何故こうなってしまったのか。人生の分岐点となったのは今思えば小学4年生の頃だったのかもしれない。
子供の頃の私は明るかった。学校での発表も自分から進んでしていたしどんな子とも話せたし、客観的に見てもあの頃の私は人気者だったと思う。担任が書くクラスの新聞のようなものにも何回も載った。あの頃は人生イージーモードだった。
変わったのは小学4年生、初めて皆の前でその時の担任に怒られた時。大げさに言えば公開処刑。それまで人生イージーモードだった私にはこたえた。何の事で怒られたのかはもう記憶が飛んで忘れた。思い出したくもないのだと、本能が忘れてしまったのかもしれない。
それから私は怖くなった。目立つということは、こんなにも怖いことだったのかと。そこからは授業の発表も減った。
そのまま時は流れて中学生。環境が変わるからと入学時はわくわくしていた。その1年後…2年生の時に何が起こるかも知らずに。そう、想像はついたかもしれないがいじめが始まった。理由は分かっている。私が学校を休みがちになっていたからだ。それが気に食わない奴らのからかいからいじめに発展した。
そもそも私が何故休みがちになっていたのか。それは1年の時に友達になった2人と見事にクラスがバラバラになってしまったからである。私は新しいクラスで孤立してしまったのだ。けれど何も努力しなかったわけではない。比較的話せそうなグループの子に話しかけに行ったにも関わらず、無視された。同じ部活の子もそこにはいたのに、その子にさえ無視された。それでもうダメだと中学2年生にして絶望した。話しかけても無視されるのならいくらこちらが努力しても意味が無いじゃないか。私はそこから努力というものを完全にやめた。
そんな理由なんて知る由もないクラスメイト達は休みがちである私を無意識にいじめる。ある時は存在を無いものにされ、ある時は名字を馬鹿にし、ある時は走るのが遅いと爆笑され、ある時は……。暴力的なものはないけれど精神的に攻撃され続け、私はついに不登校になった。もう誰も信じられなかった。あんなに楽しかった部活ももうどうでもよくなり休部と言う形になった。そのまま3年生に上がっても、最初は通えたがいじめてきた中の1人が同じクラスになっていたので結局不登校になった。1度つまずいた人間は簡単に立ち直れやしない。いじめてきた奴らのせいで私は中学校生活の半分を無駄にし、そのまま卒業した。
高校くらいは行っておいた方がいいと祖母と姉の勧めがあって仕方なく定時制高校に入学した。同じ境遇の生徒が殆どでそこは安心した。学習内容は専門的なものが多くレベルもそんなに高くなかったし入学して良かったのかな、なんて思ったりもした。高校1年の頃は。中学とは違い高校は義務教育ではないため単位を落とせば卒業できない。それがネックだった。体が弱いのと過去のトラウマで休みたい気持ちが1ヶ月に少なくとも2回はある私には苦痛だった。嫌な予感はしていた。
その嫌な予感が当たったのは3年生の終わり。休んだ日を比べてみると学年が上がるにつれ増えている。これはまずい。4年生では頑張らなくては。そう思って進級した。定時制では4年生まであるため4年生が進路を決める学年だ。
私はこの田舎から出たくて仕方がなかったので関東への就職を希望した。それだけは決まっていたものの一向にしたい仕事がない。私がわがままなだけかもしれないが良い条件が意外にもないのだ。けれど私はついに職場見学へ行くことを決めた。夏、関東の大手企業の工場へ。緊張しながら母と関東へ向かった。それも、言うなれば無駄になってしまったのだが。
結果から言うと私は工場見学に行けなかった。月経と重なりその症状が重く、待ち合わせ場所に行く前に立てなくなって救急車で運ばれたからだ。私はつくづく自分の体の弱さを呪った。頭の中はなんで、その一言ばかりだった。会社の人は迷惑をかけたにも関わらず優しく、病院に運ばれた後資料だけでもと渡しに来てくれた。申し訳なさでいっぱいで、結局試験を受けることはできなかった。
地元に帰ってくるとまた仕事を探さなければいけなかった。担任からは急かされているみたいで嫌だったが私は少し休もうと考え、しばらく求人表を見るのをやめた。けれどその間にもクラスメイトは内定を貰っていく。またそれに焦りだした。
1ヶ月程見るのを休んでやっと10月にまた求人表を見だした。時間があれば求人表を見ていた程には見ていたがまたしても見つからない。結局行きつくのはまた製造業だった。その時は絶対正社員にならなきゃ人生終わる、そう思っていた。
言葉では言い表すことが出来ない違和感を覚えながらも私は担任にこの企業を受けると言った。すると推薦届というものを渡された。これを出してから学校で会議をして推薦できるか決めるのだと。面倒だなと思いつつも家で書いてから2日後くらいに提出した。やっとこれでとりあえずはひと段落だ、そう思いながら土日を挟んで3日程待った。しかし担任は何も言ってこない。何してるんだろう、と思っていた矢先呼び出された。それは卒業アルバムの個人撮影が終わった後の事だった。
別室に入り言われたのは「本当にこれでいいんやね?」だった。は?と思った。良くなかったら書類なんか出さないし何を言っているんだこいつは。そう思ったが口には出せず低い声で返事をした。その1日は何だか嫌な空気だった。4時間目(定時での放課後前授業)は何だかやる気がしなかったので友達と保健室でサボっていると授業終わりのチャイムが鳴った。帰れる、そう思っていると担任が保健室に入って来て私をまた呼んだ。なんだか嫌な予感がして顔をしかめそうになったのを堪え友達に手を振り保健室を出た。
別室、あの時とまた同じ部屋に呼ばれると担任は話し出した。「会議の結果今は推薦することはできない」と。悪い意味で時が止まったように感じた。あ、私の人生終わったわと思った。推薦できない理由としてはまた休みが多くなっていた事だった。こんなに休んでいては推薦は出来ないのだという。私は話を最後まで聞くことが出来ず泣きながら帰った。頭の中は学校を辞めたい、それだけだった。
休みがちになったのは客観的に見れば私のせいなのかもしれないが私はそればかりじゃないと思っている。1度つまずいた人間は面倒だと思ったり怖かったりするとそれから逃げようとする気持ちが強くなる。それを知らない担任からすればこっちは忠告したのに馬鹿な奴だと思っていただろう。そりゃ忠告はされていた。脅しとも取れるような言葉で。「このまま休んだら卒業できんぞ」「休むな」。普通の学生生活を送ってきた人間ならそのままの意味に取れるが私はそうじゃない。私にとってその言葉はただの言葉ではなく精神を傷つけるナイフと同じだった。そんなナイフを向けられても学校に行こうと思うはずがなかった。もっと寄り添って欲しかった。せめてなにかあったのかとか、心配して欲しかった。そんな優しい気持ちを持った担任だったなら、私の人生は変わっていたのかな?なんて、こんな風に自分が全て犠牲者だと言いたげな私自身も大嫌いだ。
それから高校をやめた。いい人もいた分それだけは少し気になったけれど辞めれたことにスッキリした。それをきっかけに友達もいなくなった。私から縁を切った。とにかく人と関わりたくなかった。仕事でもそうだ。もう面倒な人間関係の事なんか考えたくない。このまま何もしないわけにもいかないし、在宅で仕事を探そう。そう思うも簡単ではない。
私が好きなイラストやデザイン関係はちゃんとした企業で働こうとすれば資格がいるし高卒であることが求められたりもする。だったらフリーで頑張るしかない。そう思っても実績も何も無い。イラスト面でも難易度が低い物から始めようと思っても誰も私に仕事を任せてくれない。
結局この世界、なんでも経歴や実力がなければやっていけないのだ。それを実感して死にたくなった。私は何も無い。何も持っていない。好きである趣味でさえ評価して貰えない。だったら私には何が残る?なんで生きている?同級生達は青春を謳歌しているし仕事もしていきいきとしているのに私はいつも布団でスマホをいじってゲームをして。そんな日がずっと続いてこのままなんの喜びも感じないまま死んでいくの?
孤独。孤独がどれだけ辛いものなのか、中学の時以来またわかった気がした。
人生は何があるかわからない。これは最近私が常に思っている言葉だ。良い意味も、悪い意味にも取れる。だけど今の私には良い意味なんて感じない。またこれから更なる悪夢が待っているのでは無いかと震えそうになる。
私は、先が見えない不安に恐れているのだ。
長文なのに読んでくれてありがとうございました。
(感想1)
不安な気持ちの中で、経験談を書いていただいてありがとうござます。これまでの経過がよくわかりました。この文章はご自身で今の不安に至るまでの過程を振り返って一通りストーリーとしてまとめてくださったと思うのですが、書いてみて気づいたことや改めてわかったことなどはありますか?書いてみることで何かしらの効果があったのではないかと思ったので、わかることがあれば教えてください。
私が読んでいて感じたのは、あなた自身には特に負うべき責任や原因があるのではなく、あなたに合う環境や理解、チャンスが与えられなかったのだろうし、そうした当たり前の環境や理解、チャンスを与えられない社会の現実に対しての失望や申し訳なさです。人生の先を行く者として、また次世代に責任もって託せる社会をつくっていく責任のある年代の者として謝りたい気持ちです。
同時に、こうして経験談を寄せてくださったのも何かの縁ですから、何かしらの次に進むためのチャンスを一緒につくりたいと思いました。あなたにできそうなことを共に探したいと思います。あなたのチャンスはあなただけではなく、同じように悩み苦しむ人たちのためのチャンスにもつながります。私は今の社会で何も苦労せずに馴染める人たちの方が心配してしまいます。どこか大切な感性や感覚が壊れているのではないかと思ってしまいます。それに対してあなたのようにつまずいた人は大切なことがわかっている、まともな感性の持ち主だと真剣に思っています。だから、あなたのような人にぜひ活躍できる機会を作りたいと思っています。何でもいいからできることはありませんか?それか、こんな手助けがあったら自分でもできそうだとか、こういうチャンスがあればなど意見やアイディアはありませんか?また、連絡をください。待っています。
(感想2)
「先が見えない不安」というタイトルと文章の内容に、今の若者をとりまく社会の構造的な問題や実感としての生きづらさがよく表現されていると思いました。高校生くらいの年齢では、まだそれほど社会経験を積んでいなくて、色々とできないことがあっても当然なのに、働こうとすれば「即戦力」になることを求められるのは理不尽だと思います。仕事に就いて、先輩がしている仕事を真似したり、新しいことに挑戦したり、失敗したりして成長していく過程を見守って支えてくれるようなコミュニティーに出会えればと思いますが、まだまだ多くはないと思います。
働こうとしても受け入れてくれなかった世界に絶望して、死にたいと感じても全く不思議ではありません。働いてお金を稼いで生活する、という基本的な社会の仕組みがあるなかで、働く意思があるのに働く機会を保障されないことは、自立心や自尊心を傷つけると考えます。自立したいと考えている若者であれば、その傷つきは尚更大きいのかもしれません。
また、先生にもっと優しい気持ちをもって寄り添ってほしかったという経験をされているからこそ、人に寄り添えることがあると思いました。ぜひ一緒に仕事をしてみたいと思います。
死にトリでは皆さんのアート作品を紹介してコメントできるページを新設しました。よければぜひイラストの作品を送ってください。
【返信】
こうやって自分の人生を改めて見つめ直してまとめたのは初めてだったような気がするので、自分の事が客観的に分かって良かったなと思いました。
そして、こうやって私の体験を読んでくれて分かってくれて寄り添ってくれる、そんな存在がいるという事に安心しました。これを書くまでは本当に死にたくて自殺の方法を調べたりもしていました。でも今はそれはちょっと和らいだような気がします。たくさんの人と関わるとなるとまだ怖いですが、人間不信になっていたのも決めつけるのは少しだけ早いのかなとも思い始めました。
私のような人にできることと言えば、ただその人の存在を認めてあげることが第1ではないかなと思います。これは私の考えですが私のような人は、普通でないことにストレスを感じたりそれを否定されるのを恐れています。なのでそんな人達を否定せずに認めてあげられる、このサイトのような温かい居場所がもっと必要だと思います。
(雰囲気的なことしか考えられずすみません…)
【返信への返信】
(コメント1)
コメントへの返信をありがとうございます。
また、アドバイスもとても説得力があり、ありがたかったです。
実際に自殺方法を調べるぐらい、追い詰められているとしても、存在を認めてもらえる機会があれば一つのきっかけになるのですね。それで、すぐに解決するような簡単なことではないと思いますが、そのような小さな積み重ねが大切なのかなと思っています。今の時代は、お互いの存在やリアリティを感じ合うようような人と人とのつながりが少なくなり、存在を認められている実感を得る機会も少なくなっているのかもしれません。
ネットの居場所は微力ですが、そこからつながった声をもとに実際の地域や社会の居場所やお互いに存在を認め合える機会を作ることを目指していきたいと思います。
(コメント2)
お返事ありがとうございます。なんとなく伝わっています。
まさに人が存在を認め合えるような居場所をもっとたくさん作れたらと思います。ただし居場所はすぐに作れるものではなく、人が少しずつ繋がって一緒に過ごして学びあう過程のなかで、認め合う文化が自然とできていくものではないかと思います。
自分らしさを否定されるような経験が多ければ、自分らしさを出すことに恐怖を感じるのも自然なことだと思います。ネットの居場所では、ネガティブでもポジティブでも個性的な発信ができる場所になればと思っていますので、今後も協力してもらえればと思います。いろいろな表現方法で参加してもらえるように、経験談だけでなくアートも募集を始めたところです。またよろしくお願いします。