千葉県 朝比奈ミカさん

みなさん、こんにちは。私は、朝比奈ミカと申します。千葉県でソーシャルワーカーとして働いています。

中核地域生活支援センターという「なんでも相談」の事業で、2004年から県内の仲間と一緒に手探りで、というより体当たりで相談につながった方々とお付き合いしながら、さまざまなことに悩み、考え、議論してきました。

「中核地域生活支援センター」について興味のある方は、下記のサイトにアクセスしてみてください。

https://tyukakucenter.net/

私の仕事に対するモチベーションは、「人間」という存在に対する尽きない興味だと思います。「人間」というのは本当によくわからなくて、「自分」のことも、「他人」のことも、こうだと捉えた瞬間に不遜な感情が生まれる気がして、いつも「そうかもしれないけど少し違うかもしれない」と思う、そんなことを繰り返しています。なかでもいちばん厄介なのが「自分」で、できれば自分のことは避けて通りたいのですが、でも、相談という仕事をしているからこそ、あえて「自分」を考える作業を課していかなければならないとも思っています。

 これからご紹介するのは、私の思考がどのように形作られてきたのかを自分なりにふり返るために書いた文章です。2016年10月に中央法規出版から発行された「ここで差がつく 生活困窮者の相談支援~経験を学びに変える『5つの問いかけ』」という本に向けて書いた文章を読み返し、一部を抜粋して加筆しました。読み返し、書き加えたということは、自分というものの理解が中途ということなんだろうと思います。まだまだ、です。

――― 私は1965年に東京で生まれました。父も母も母子家庭で育ち、とくに父の実家は経済的にたいへん苦労をしたと聞いています。母は結婚してからもずっと仕事を続けてきましたが、祖母の苦労を見て育った父は、女性が働くことはむしろ必要だと思っていたようです。二人の祖母、親戚、母の友人等々、姉と私と弟の成長過程にはたくさんの人たちが関わってくれました。いま思えば、母は自分たち家族のために、子どもが育つ環境を上手にコーディネートしていたのだと思います。

当時の東京は、よく晴れた日は午後になると光化学スモックが出たことを知らせるサイレンが鳴り響くような、公害真っ盛りの時代でした。病弱で入院を繰り返していた弟の環境を変えるため、両親は母の実家に比較的近い千葉県の農村部に移住することにし、私は小学校高学年で転校を経験しました。移住先の地域は少しずつ新興住宅地が開発されていましたが、それでも転校生は珍しく、また私はバイオリンを習ったり親戚にスキーに連れて行ってもらったり、周囲から見ればちょっと「お高くとまっている」子どもでした。案の定、いじめの対象となり、歯をくいしばって目立たないように神経をとがらせながら教室に座っているような時期も経験しました。

後年、なぜいまの仕事を選んだのかと聞かれ、あまり意識していなかったこのいじめの体験を思いおこすようになりました。排除されている私に声をかけてくれてきた同級生は、まわりの同調圧力を気にしないタイプの人や、いじめリーダーから一目おかれている一匹狼タイプの人でした。いじめはだいたいささいなことから始まりますが、私に絡んでくる相手の目はエスカレートするほど、力がみなぎってくるかのようでした。暴力に発展することもありましたので、身体的な苦痛も受けました。いじめを受けながら、「家に帰ったら犬と遊ぼう」とか、「あの本を読もう」とか、現実とは別の想像世界に意識を飛ばすようなことも覚えました。

なぜかわかりませんが、親に相談することは一切、考えませんでした。ことのほか孫たちに心を砕いてくれていた祖母を心配させたくなかったのかもしれません。または、四六時中、いじめに悩んでいると私の生活全部がいじめに支配されてしまっているようで、私の家の、私の部屋の、私の時間のなかにいじめのことを持ち込みたくなったのかもしれません。

一度、土曜日の下校時にひどくいじめられ、翌週に私がたまたま風疹で数日学校を休んだら、いじめの場面を目撃していた同級生が担任にそのことを話したようです。私の欠席の間に私へのいじめについてクラスで話し合いが行われ、全員が書いた反省文が自宅に届けられたことがありました。私はあまりうれしくありませんでした。書いてあることは読まなくてもだいたいわかったし、それで私の日常が変わるわけではないことも予想がついたからです。闇雲に他者に期待すれば、その分、失望することも学びました。期待するのではなく、冷静に観察する方が役に立ちました。

そんな私の生活が劇的に変わったのは、中学校への入学でした。2つの小学校の卒業生が通う中学に入り、見事に人間関係が「ガラガラポン」されました。それ以降は、普通の学校生活が続き、中学の後半になって「あのときは悪かった」といじめっ子から謝られたことがありましたが、あまり印象には残っていません。気持ちや人間関係の立て直しはよほどタフな人でない限り自力では容易にできるわけでもなく、時間の経過や環境の変化がいちばん人を動かしていくということを実体験で学びました。

1988年に社会人になりました。東京都社会福祉協議会に就職をして、最初は65歳以上の高齢者の無料職業紹介事業という現場で4年間仕事をしました。カウンセリングはもともと職業相談からスタートしていると聞き、大学の社会人向けの講座を受けに行った記憶もあります。大学出たての20代前半で、65歳以上の高齢者の方の相談にのるなんてことができる訳がなく、背が低くて幼く見える外見も手伝って、私が一人で窓口にいたら初めて相談にお見えになった方が「お嬢ちゃん、今日はここはお休みですか?」なんて言われたこともありました。そんな経験からわが身をふり返らざるを得なくなり、自分のことについて考えるということも始まったのかなと思います。―――

 というわけで、自分を考える私の旅は、これからも続けていきます。