普通ってなんですか

|埼玉県 20代 女|


幼い頃は普通だと思っていたものが、世間の認識と大幅にずれていたと知ったのは旦那と結婚してからでした。はっきりと覚えていて今も頭から離れない記憶は2つ。幼少期、母親に首を絞められていた事と、貴女を望んで産んだわけじゃないと言われた事。首を絞められたのは一度でなく何度かあった。思えば母も辛かったのかも知れない。父はバツイチで、その頃は事あるごとに父の前の奥さんに似てきたと嫌味のように言われていた。私を産んだのは母で、そんな事あるわけがないのに。それでも私には両親が全てで両親が大好きだった。死にたいと思う様になったのは多分、小学校3年生の頃から。家が古いアパートだったからか、いじめられる様になる。あいつに触れると汚れる、臭い、物を壊されたりもした。学校にはいけなくなった。どんなタイミングで、どんなシチュエーションで聞いたのかは覚えていないが、同時期に母へどうして自分を産んだのか質問をすると、望んで産んだわけじゃないと返答が来た。望まれて産まれたわけではないと、とてもショックを受けたのを覚えている。いじめはクラス替えで主犯とクラスが離れたことにより無くなったが、『あの子は貴女が好きだったんじゃない?いじめなんて気にし過ぎ』という母の言葉はよく覚えてる。子どもの頃の記憶を引っ張り出すと長くなるので割愛するが、幼少期全裸で兄と外に出されたこと、小学校高学年で父が急に仕事を辞め食べるものすらなく給食で飢えを凌いだ事、子どもの頃の家での食事の記憶がほとんど無いこと、意識を失うまで父に殴られたこと、習い事を辞めると言ったら母に竹刀でボコボコにされたこと、父に性的虐待を受けたこと、兄に裸を見せろと言われたこと…等、思い出したく無い、忘れたいのに忘れられない過去がたくさんある。ありがたいことに今の旦那と結婚する事が出来たが、育った環境からか、私の気質なのか、少しでも意に沿わない事をすると捨てられてしまうのではないかと不安になる日々。一般的な家庭で育った旦那の家庭環境を聞いた。その差に驚き、私の過去を打ちあけ、今もなお死にたいと思ってしまう、そんな私を受け入れてくれた旦那には頭が上がらない。それなのに、こんな事思ってはいけないのに、いつか捨てられてしまうのではないか、そんな不安があるので幸せな今のまま死にたいと思う毎日。特に理由がある訳でもなく、幸せなはずなのに漠然と死にたいと思う毎日。人と関わるのが苦手で、パートすら辞めたくて、そんな自分が許せなくて死にたくてたまらない。働いて、家事をして、好きな事をして暮らす。大勢が当たり前にしている行動が私にはハードルが高くてたまらない。普通が何かは分からないけど、恐らく私の育った家庭環境は普通じゃなかったと思う。そんな普通じゃない家庭環境に育った私は、みんなの当たり前に触れる度、死にたくなります。

感想1
経験談の投稿ありがとうございます。幼少期の頃の出来事を読ませてもらい、一人でじっと耐えていたり感情を押し殺し感覚を麻痺させて耐え忍んできた投稿者さんの姿が頭に思い浮かびました。「思えば母も辛かったかも知れない」とありましたが、確かにそうだとしてもだからといって投稿者さんへの数々の言動はしてもいい理由にはならないと思いますし、正直許せるものではないなと勝手ながら私は思ってしまいました。(今さらそんなことを言っても仕方のないことと思われてしまうかもしれませんが・・・)
お母さんだけではなく、お父さんもお兄さんもとなると、”家族”というものが本来どういうものなのか当時はそれが当たり前のことだとしても周囲と比べた時、そのギャップに今まで保ってきたものが大きく崩れてしまったのではないかなと想像しています。程度や中身は違えど私自身も自分の中では当たり前だと思っていたものが崩れてしまうという経験があり、それを受け止めるのにはかなり時間がかかりましたし今でも消化できていないこともあるので、「みんなの当たり前に触れる度、死にたくなります」という言葉に思わず「本当にそう」と口に出してしまうほど共感できるなと感じました。
今は投稿者さんの過去を受け止めてくれた夫さんがいることで多少は安心できる時間はあるのかなと想像していますが、それでも不安は毎日あるでしょうしこれまで受けてきたダメージはそう簡単に癒えるものではないと感じます。これまでの経験から人を頼ったり信頼するという感覚があまり持てないかもしれませんが、せめて夫さんにはしんどい時はしんどいと少し寄りかかれるようになれたらまたちょっと気持ちも違ったりするのかもしれないなと思いました。(そんな簡単なことじゃないとは承知の上で・・・)
夫さんには迷惑をかけたくないという気持ちもあるかもしれないので、そういう時はまたいつでも死にトリに投稿者さんの思いを届けてほしいですし、”普通”とは何か、投稿者さんと一緒に考えたいなと私は思っています。良ければまた死にトリにきてくださいね。

感想2
経験談を書いてくださりありがとうございます。夫さんに子どもの頃の経験について話をしてからどれくらい時間がたっているのでしょうか。子どもの頃はそれが普通と思っていたことを聞いて、改めて育った家庭の影響を感じています。同時に、学校のいじめ経験も重なり、家庭以外でも居場所や相談できる人がいなかったことを考えると、この社会の中にあなたの権利を守る環境がなかったことをとても悔しく思います。その中でも自分を失わずに生きのびて、今は理解者となるパートナーと出会って本当によかったと思いました。
幼少期の数々のエピソードはすでに夫さんの家庭との違いでご自身でも気づいたと思うのですが、とても過酷であってはならないことだと思います。母も辛かったのかもしれないと想像されていますが、もしも辛かったとしても、その辛さをもっと弱い立場である子どものあなたにぶつけていい理由にはならないと思います。お母さん自身が相談したり、助けてもらえるところがあれば…と思いますが、家庭も孤立している現状がそれを阻んでいたのだろうと思います。
私は「それでも私には両親が全てで両親が大好きだった」という言葉の重さを考えていました。本当の気持ちだったと思います。周囲の支援者は簡単に「そんなひどいことをする親が好きだなんて!」「とんでもない親だ」と思って、口にしてしまうかもしれません。正直、子ども時代のあなたの境遇を考えるとそういう気持ちになります。でも、当時心からそう思っていたあなたの気持ちを否定したくはないです。もしも、今のあなたが当時の自分に会いに行けるとしたら、何と言葉をかけるのでしょうか。それを聞いてみたいと思いました。
そして、最後の方に見捨てられるのではないかという不安や消えない死にたい気持ち、人と関わるのがしんどいことなど書いてくれましたが、これまでの歩んできた人生を考えるとその気持ちや生きることの難しさは無理もないことだと思いました。それは子ども時代に生きる権利や守られる権利が保障されなかったことによって、ある意味不当に背負わされたものだろうと思います。そのことで、あなたが苦しんでいるのですから、それを支えるのは今の時代をともに生きる私たちみんなだと思います。夫さんがその大きな存在だと思いますが、死にトリも、この経験談を読んでいる似たような経験をした人やそうした人を理解しようと支える人たちも同じです。日々のしんどさに絶望的になることもあると思いますが、こうして死にトリにつながったこともありますので、もしよかったらこれからも死にトリに来てもらえたら嬉しいです。

返信

ご感想、ありがとうございました。
こんなに丁寧に向き合ってくれるとは思わず、読みながら泣いてしまいました。
夫にはここに書いた事、書き切れなかった事、全てを打ち明けられたわけではなく書いた事の中でも話していない事はたくさんあります。
誰にも打ち明けられなかった過去を聞いてもらえて、あの頃の私が救われた様に感じました。
もしも今、あの頃の私に会いに行けるなら、私は「あなたは悪くないし、間違ってないよ」と伝えてあげたいです。大好きな両親に愛されない私は悪い子で私が何かを成せば愛して貰える。子供は親が大好きで、そうじゃないなら正しくない。でも自分に危害を加える親なら嫌っても憎んでもおかしくないし寧ろそうなるはず。嫌いになれない私は間違ってるのだろうか、とずっと葛藤していた時期がありました。
今も、両親を憎めないでいます。
もしかしたらそれは、まだ私の感情が麻痺しているからかもしれません。客観的にみたら嫌いになるだろうな、って気持ちもあります。
それでも私の感情は間違いではないと、大人になってからようやく思える様になりました。