経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

あいたい

広島県、15歳男です。また死にたい気持ちが芽生えてきたので書きます。私には、90歳になったひいばあちゃんがいました。私にとってひいばあちゃんは、優しい人。いろいろなことをしてくれる人。よく笑う人のイメージが強かったです。ただ、年齢もあって、自分が小学3年生のころに亡くなりました。自分は、そのころに感情の種類というのを知ったばかりで感情の整理はできませんでした。初めて遺体を見たときは、感情が混ざり合って、突然いなくなって悲しい気持ちと、突然い亡くなった怒り、何も考えられない虚無、きっと嘘という謎の願望が入り混じった状態で感情の渋滞がおきて、情報の混雑が処理できなくなって、どうしたらこんな状態から楽になれるのだろうと思いはじめ、初めて自殺願望という気持ちが芽生えました。早く死にたい。死んで楽になって、ひいばあちゃんに会いたい。このことを思っていたのは確かです。ただ、そんな病気になった人はうちにはいないから、そんなの自分がおかしい。そんなの普通にないとおもって、病院には行きませんでした。その結果が、今に至りますが。いつの日か、学校にハサミを持って行っていつでも死ねるようにしたり、帰るときにある横断歩道の真ん中でずっと立ってみたりしました。学校で度々、「俺、死ぬわ」って言って、ハサミを喉に軽く押さえますが、やっぱり生きたいという気持ちが入り混じって、できなかったです。その後に、できるわけないじゃん。って言われて、こんなことすらできないのかと、よく落ち込みました。こんなことを毎日繰り返していくうちに、ある友達に会えました。その友達は、自殺を考えたことは一回もありませんでした。なのに、自分の気持ちをよく知っていて、相談に乗ってくれました。そして、自分に足りなかった、感情の整理について教えてくれました。そして、その気持ちは残りつつも、常にあんなことは考えなくなりました。本当に感謝しています。そんな命の恩人という人が、中学校の進学先が変わるということでまた、ショックを受けました。でも、なぜか悲しくありませんでした。でも、今思えば、悲しむべきだったなと思います。今、また死にたい気持ちが強くなって、行き場のないこの気持ちを誰かにはなしたいけど、どこにもそんなのはなくて、本当に、つらいです。私は命の恩人に再び会えるのでしょうか。そのまま、会わないでいくのでしょうか。こんなわかりにくい文章をどうかお許しください。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
初めて身近なひとが亡くなる場面に触れると、自分でもよくわからない感情や思考がどんどん出てくることはとても自然なことだと思います。ましてやあなたがいう通り、まだ感情の整理ができていない小学校3年生の時に、しかも亡くなった方があなたを大切にしてくれた優しいひいおばあちゃんだったのなら、なおさらです。私も身近なひとを亡くしたことが何度かありますが、目の前にいたひとがいなくなるという現実とそれによって自然と湧き上がる感情がうまく整理できない(うまく整理することを拒否しているような…)感じを経験したことがありました。この感情を何とかするには…とあなたの中に自殺願望が出てきたんですね。その感覚は、現実的な死に直面して、自分が生きているという事実や感覚が曖昧になったり、受け入れられなくなったりしたことで自然と生まれたのかなと私は思いました。そんな中、思い悩んでいる時に理解してくれる友人に会えたことは貴重な経験でしたね。それによってあなたの中に新たな考え方や感情が芽生えたのではないかと感じました。そしてその友人とは離れたけれど、その感覚は自分のものとなってあなたの中にしっかり残っているのではないでしょうか。ちなみに友人と離れても悲しくなかった自然な気持ちをあえて悲しむべきだったと思う理由を知りたくなりました。私はあまり感情的な方ではなく、例えば誰かが泣いてしまうような場面でも泣いたりできず、最初はそんな自分を変なのか?と思っていましたが、いまは同じような感覚のひとに出会ったことで、おかしいことじゃないんだと思う様になりました。あなたの文章を読んでちょっと自分のことも思い返しました。
行き場のない気持ちを誰かにお話したいと書いてありましたね。無料で匿名で電話やチャットでお話ができる窓口がいまはいくつもあるんでよ。よかったら次のサイトからアクセスしてみてくださいね。あなたの恩人にあいたいと思う気持ちも少し整理できるかもしれません。
「まもろうよこころ」https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/

感想2

大切な人がいなくなること、そしてその人にまた会いたいと思うことについて書いてくださってありがとうございます。

「感情の渋滞がおきて、情報の混雑が処理できなくなって」という言葉を読んで、なんだかすごく納得しました。
さまざまな感情が一気に、しかも強く現れたら、どうしたらいいのかわからないような苦しい気持ちになることがありそうです。

読んでいて、投稿者さんにとっての「死にたい」には、「大切な人にまた会いたい」という気持ちと「つらい今の状況を抜け出して楽になりたい」という気持ちが入っているのかなと思いました。
もしかすると、大切な人のことを考えているときは、会えないことはつらいけれど、その人のことを考えてどこか安心できる部分もあったりするのかな?と想像しました。(的外れだったらすみません)

友達との関係でも、近くで関わることができていたのに、生活環境が変わってなかなか会うことができなくなってしまったのですね。
その友達にふたたび会いたい気持ちと、自分のつらい気持ちをだれかに話したい、分かち合いたい気持ちがあるのかなと思いました。
つらい気持ちや困っていることを言える人が見つからないと、自分の中に溜め込んで余計に苦しくなってしまいそうです。
死にトリに経験談を投稿してくださったのも、だれかに感じていることを伝えるひとつのやり方だったのかなと想像しました。
また、今回は大切な人や、その人への気持ちをたくさん書いてもらいましたが、たとえば生活の中で、日々どんなことをしているかとか、どんな人とどんなふうに関わっているかなどがあまり書いてなかったので気になりました。

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