私は現在通信の大学生だ。とはいってもまともに勉強していない。笑えない。もう進級できる気がしてない。なにもやる気が出ない。
今はさておき、私が初めに絶望したのは小学五年生の時だ。あれ、六年生だったかもしれない。嫌な記憶は忘れる用にできているらしい。私はその時、飛び降りた。ロフトから。これは死のうとか考えた訳では無い。ただ単に好奇心だ、詳しい内容は伏せる。すまない。結果として、私は口を怪我した。外からわかる傷だ。自業自得とまではいかないのだが、そこから一年くらいチクチクしていた。幼い私にはとても痛いものだった。現在でも、パッと見で怪我してるんだなとわかるくらい目立つ傷。これは今私が深夜3:30にこのような文章を書いているように、じわじわと響いてくるものだ。
次は中学一年生だ。私はある漫画やアニメの影響からバスケ部に入った。言うのも恥ずかしいが、ウキウキだった。現実はそんなに優しくなかった。意味の分からない先輩からのパワハラ、声出し、顧問は先生初心者。ちなみに一年時の担任でもあったのだが、そいつのおかげで英語はずっと苦手だ。今も英語の課題に苦しんでいる。今度会ったら私はどのような行動にでるか分からない。さて、どこからか脱線したが、そんなこんなで私は部活を一年でやめた。否、よく一年もった。泣きながら辞めますって皆の前で言わされた。もうこれもおかしいでしょ笑。ちなみに中学一年か、二年のどこかからお風呂が壊れていた。毎日熱湯をihで沸かし、少しずつ入れる生活だった。訳の分からない父とは絶縁。私にとっては生き地獄だった。
そんな生活が続き、中学三年生の頃から不登校…になった訳ではなく、この頃が人生のピークだったのではと思うくらい楽しかった気がしている。同じクラス、席も奇跡のように近くて、好きな人とたくさんお話した。ただ、数日くらいズル休みしていた。
高校一年生では、まだ凝りもせずバスケ部に入った。何故なのか、あの頃の自分に問いかけたい。順番が前後した、受験は無理だと言われていたところに受かって微妙に喜んでいた。さて、高校のバスケ部も結果的に1年くらいは頑張れたが、そこから幽霊部員だった。先輩、同年代は私にとっていい人が多く快適だった。顧問の先生は読めないので、少し苦手だった。勉強も難しくなって得意不得意がざっくり分かれる結果だった。ちなみに、お風呂は壊れているままである。
高校二年生では、私の人生の転換期だ泣。結果を先にいうと、学校を辞めたのだ。何もやる気が出なくなったのだ。順を追うと、コロナ化で生活リズムが崩れる。お風呂のために熱湯を運ぶとき誤って自分の足に熱湯をかける。病院で先生に笑われる。本当に痛くて、部活を長期間休んで、しんどくなって結局サボり気味になる。痛くて体育を始め、その他の勉強にも身が入らない。自転車がきついのでバス登校だが、慣れなくて学校サボることも。ちなみに部活から疲れて帰って、お風呂を少しずつ入れるのだ。そんな生活続くわけがない。私ってすぐ壊れるんだなって思った。やがて、学校を無断欠席、定期テストも休む。だが、一応三年生になる。コロナによりにしていた、修学旅行は無くなり、学校はよくわからないネットと紙の課題をハイブリッドで出してくる。三年生ではほとんど学校行かずにもう夏休みの頃には学校を辞めていた。担任の先生と最後話したとき、「なんで俺の目を見て話聞かんのや?」と言った。私は、貴方の目を合わせる余裕なんてなかったと心で思いながら、睨みつけた。それに、「なんとかして助けてあげたい。」とも。私は自己満足脳筋男に相応しい言葉だなと思いながら黙っていた。学年主任からは「後悔してないのか?」と言われた。してないわけがないでしょ。でもそこで後悔してるかしてないか、私が意思表示したところで何も結果は変わらない、と思ったので適当な相槌を打った。そして母からも「後悔してないん?」と。もう意味がわかりません。貴方がお風呂治さないからこうなってるんですよ、貴方のせいでおかしくなったんですよ、と。言いたかった。でも、母は、あまり責められない。父以外は父を嫌っていたし、母ときょうだいで家事をしていたから。それでも食事はほぼ母が作ってくれていた。それに、母はヒステリックなところがあり、あまり責めると何をし始めるかわからない。そういう恐ろしさもあった。そのため、私は「後悔してないよ。」と笑って返した。私のような軟弱者にとってはこれまで全て最善策をとったつもりだ。滅茶苦茶だ。
そして私は一年間何もしない時間があった。ネットを漁ったりしていた。まぁ、当初はお風呂をきれいにして、業者等選んでお風呂を新しいやつに変えた。今はシャワーから温かい水がでるようになっている。なんて素敵なことでしょう。
そして、通信の大学生として今生きている。生きている、などと述べたが、この様な書き込みをしている時点で希望溢れているはずもなく、死にたいときの生きている、だ。なんだか生きている意味が純粋に全く湧いてこないのだ。私には、死にたいというより、死んでみたいという方が合っている。死んだらどうなるか分からないから好奇心が4割くらい恐らく混ざっているためだ。それに今まで生きてきた価値を感じない。惰性だ。惰性で生きている。
私は多分、貧乏だとか、親友が亡くなったなどに比べたら米粒みたいな不幸だ。だが、私にはそれが耐えられなかった。今もまたこうして、何もできない自分を感じている。こんな文章にどんな感想を下さるのか、少し楽しみでやってみました。駄文ですみません。
感想1
小説を読むような感覚で経験談を読ませて頂きました。表現には少しユニークなセンスを感じながらも今に至る経緯はなかなかしんどい日々だったと思います。特に中学生から高校生にかけてあなたのしんどい暮らしの変遷が“壊れたお風呂”に象徴的に描かれていましたね。学校の先生やご家族とのやり取りをみるとあなたのことをしっかり理解してもらえていた存在はあまりいなかったのかな…と思いますがどうでしょうか。特に高校3年生の時の先生とのやり取りは、理解者がいないことを象徴しているようです。目の前の先生があなたに放った言葉が、自己満足を満たす言葉だったと感じたあなたはよくひとを見ているな…と思いましたし、教育現場の現実も見ました。(先生へのネーミングでどんな先生か想像ができました!)日常的なしんどさが無意識に積みあがってしまい、保っていた壁が決壊する様子は、多くの経験談でも見受けられます。通信の大学生活を送りながらもやる気が起きないあなたのいまの状況はとてもうなずけるものです。「頑張る」にはある程度の気力や土台が必要ですが、それを可能にするのは安心できる居場所や頼れる存在の有無、安心してチャレンジしてきた経験が関係しているように思います。死にトリの中のコンテンツである「つらチェック」はやってみましたか?まだでしたら是非お勧めしたいです。自分の生きづらさやあなたが表現する「死んでみたい」感覚がどこからくるのか知る上でもヒントになるかもしれません。あなたは心のどこかで好奇心として自分の存在や死生観みたいなものを見ている感じが私にはしました。小さい頃に存在を危ぶまれた経験があるとそのような好奇心も出てくるのかなとも想像しました。また死にトリにつながってもらって「とりコミュ」という24時間投稿できるコンテンツでつぶやいて欲しいと思います。気力がわかない中で経験談を書いてくださってありがとうございました。お風呂、新しくなって良かったです!!
感想2
個性がにじみ出る文章だと思って読みました。最後に駄文だとありましたが、とても人間味があって、どんな人が書いたのか興味を持ち、存在が身近に感じる文章でした。駄文って何を指すのでしょうね。あなたの文章を読んで私はよくわからなくなりました。
タイトルで「不幸自慢では負けます」と前置きをしているのも、印象的です。私にはあなたはおそらく不幸自慢をしたいわけではないと感じましたが、どうでしょうか。でも、ちょっと照れ隠しのような気持ちでそんなタイトルを付けたのかな?と勝手に想像していました
(違っていたらすみません)。
高校二年生のエピソードでは「私ってすぐ壊れるんだな」とありましたが、経験したことを考えると「すぐ壊れる」どころか、「よくぞ今まで壊れなかった」と思いましたし、その後に「軟弱者」という表現もありますが、いやいや軟弱者だなんて…と思わず突っ込みを入れたくなりました。これまで育ってきた環境やしてきた経験によって、強いとか弱いという基準が独自になっているのではないかと想像しています。ただ、私もそうですが、誰もが自分の経験を基準に判断するしかないので、ひょっとしたら自分が判断していることはあくまでも自分基準なので、他人と丁寧に話をしないとズレていることもたくさんあるのかなと思いました。
高校を辞める時に担任の先生と面談したときの様子や母親とのエピソード、そして経験談全体から、私は物事の本質について考える、見るタイプなのではないかと感じました。本質を見ようとすると時に表面的な物事がとても白々しく見えたり、どこか厭世的な気持ちになることも多いのではないかと思いました。
改めてこうして感想を書きながら、不幸自慢ではなく、経験したことから感じ、考えてたどり着いた今の社会の課題を教えてもらった気持ちになっています。本質を見ようとすることは今の社会ではとても大切なことだと思うので、これからも死にトリに参加してもらいたいと思っています。