自己表現ができなくて辛い18歳にゃ。
小さい頃から母親にあれこれ禁止されてきたにゃ。同世代の友達は与えられているものをほとんどもらえなかったにゃ(お菓子、ゲームなど)。それと母親の料理はとてもじゃないが栄養があったとは思えないにゃ。別にお金がなかったとかいうことじゃないにゃ。友達の家で遊んでご飯の支度をしている友達の母を羨ましく思う程度に母親の料理はとても手抜きだったにゃ。家に帰った時、横になってテレビを見ている母親を見るととても悲しかったにゃ。当時は気づかなかったけど小学生高学年くらいから自分の苦しい気持ちを閉じ込めてたにゃ。
中学生時代は兄が荒れて毎日兄と母の喧嘩が絶えなかったにゃ。忘れられないのは私がそれがつらくて母の前で泣いた時になんでお前が泣いてるのかと怒られたことにゃ。どんどん自分の感情を出さなくなったにゃ。
高校生になって、友達が親のことを嫌いだと言ったのを機に、自分が親を嫌いなのと親に反抗してもいい事に気付いたにゃ。そして母親がほとんどご飯を作らない事に怒りを覚えたにゃ。友達の親が働きながらも手料理のお弁当を作っているを愛されてるなと羨ましくおもったにゃ。うちの母は専業主婦なのに冷凍食品ばかりだと。通っていた高校は勉学に力を入れていて、宿題も多くて大変だったにゃ。そんなときに気を抜けるような趣味もなく(スマホ・ゲーム・漫画・テレビなどはほぼ禁止されていた)平日休日関係なく勉強してつらかったにゃ。そして、人生の分岐点と言える大学受験のシーズン。勉強を頑張っている時にリビングに行けば横になってスマホを見る母、ゲームでうるさい兄、夜ご飯は冷凍食品。何度言っても改善してくれなかったにゃ。大学を決める時も自分で考えろと言われ何も手伝ってくれないのに後からあれこれだめだと言ってきたにゃ。毎日が辛かったにゃ。
大学生になったら絶対に一人暮らしをしようと決意してたにゃ。無事合格し、一人暮らしする部屋を見つけたにゃ。突然やっぱり経済的に無理だと言われたにゃ。そんなはずはないにゃ。今となっては分からないが、絶対嘘だと思ったにゃ。うちの母は超過保護にゃ。憶測だが、私を離したくなかったと思うにゃ。そこで家族を信頼してちゃだめだとおもったにゃ。
それから大学に行くのも嫌になって休学しているにゃ。アルバイトをして一人暮らししてるにゃ。自立して家族とも縁を切れた自分を誇りに思うにゃ。
、、、、嘘にゃ。私はニートになったにゃ。今でも親のすねをかじる自分が嫌いだにゃ。でもバイトをするのが怖いにゃ。そもそも自分を偽って人と関わることが怖くなったにゃ。
母は相変わらずだらけてるし、兄はゲーム三昧の日々だにゃ(でも私が言えたことじゃないにゃ)。俗に言う機能不全家族だにゃ。こんな自分も家族も嫌だし、他人に見せれるもんじゃないにゃ。これも取り繕わないといけないにゃ、、。だって、私が解決できることじゃないにゃ。
ここまで散々母親の悪口を言ってきて胸糞悪い気持ちをさせたかもしれないにゃ。これを書いたのは半分愚痴にゃ。もう半分は母親が嫌いということじゃなく(嫌いではあるが)て、私は母親に愛されたかったということを言いたいんだにゃ。もっと私の話や気持ちに関心を持って欲しかったにゃ。悲しい時に慰めて欲しかったし、辛い時に助けて欲しかったにゃ。私の為にがんばってほしかったにゃ。最初から自分の気持ちを押し込めてた訳じゃないにゃ。そうなる前に自分をちゃんと見て欲しかったにゃ。
そして、こんな自分になったのが全部親のせいではないと思うけど、今はこのせいにしておくことを許してほしいにゃ。
自分を出せないことはとても辛いにゃ。自分を良く見せるために取り繕ってきたからにゃ。言いたいことを言えない、やりたいことができない。自分の感じたことが本当なのかとか、自分が好きなものが本当に好きなのかとか、本当にやりたいことなのかが分からないにゃ。そんなの普通分かるだろという人になりたいにゃ。
自分に自信が持てず、自分が信用できないにゃ。そして自分にも家族にも問題がたくさんあって自分を友達にすらさらけだせないにゃ。自分を取り繕って相談することすらできないにゃ、、。
何から解決すればいいか分からないにゃ。自分に自信がないから自立して逃げ出す勇気もないにゃ。
少しずつ解決するしかないにゃ、、。
長くなってごめんにゃ。
いろいろ愚痴ってきたが、一番言いたいのは自分の気持ちにだけは嘘をついちゃあいけねえってことにゃ。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。率直な感想は、「嘘をつく」ということがあなたにとっては自分自身を守る方法であって、でもその「嘘」の中身は、今までのあなたの経験や気持ちを考慮した上で、先読みして自分自身が少しでも辛くならない方法を選択しているだけだということなのではないかと感じました。「愛されたかった」「もっと関心を持って欲しかった」、これらの気持ちのために「嘘」をついてきたのではないかと勝手に想像しました。
そのことを「嘘」だと思われているようですが、私は「嘘」とは感じなくて、その姿も「あなた」として受け止めました。
でもきっと「本当」の自分を出したいという気持ちがとても強いのではないかと勝手に想像しています。この経験談には、少しは「嘘」をつかずに自分の気持ちをお話しいただけたでしょうか?
私の勝手な想像ですが、後半の「母親に愛されたかった」というお話あたりから、あなたの気持ちを感じ取ることができました。あなたがおっしゃるように、今まで「言いたいことが言えない。やりたいことができない。」ことが続いてきたために、このように経験談として自分自身のお話をするのは、もしかしたら初めてだったのではないかと思いました。あなたのことをちゃんと見てくれて、認めてくれて、辛い時に寄り添ってくれる人が一人でも居てくれていたら…とつい考えてしまいます。それでも、今のあなたが「自分の気持ちだけは嘘をつかない」という考えを持ち、経験談として投稿してくれたことが勝手に嬉しくなっています。
もしも、これからも、死にトリの活動に参加してくれるのならば、「嘘」をつかずにいられる居場所としてまた来て欲しいです。
感想2
言いたいことがあるけれど、何が言いたいのか、どう表現したらよいのか迷いながら、試行錯誤をする様子を感じながら読みました。最初の方に書かれていた「自分の苦しい気持ちを閉じ込めてた」「どんどん自分の感情を出さなくなった」という経験が土台にあるからなのだろうかと推測しています。ただ、そうした土台でも、こうして「自己表現がしたい」と思って書いて送ってくれるのは、あなた自身の中に自分でいたいという核が存在するからだろうと思います。閉じ込めても、出さないようにしても、出てこようとする自分があり、それを感じ取って戦っているのでしょうか。
私はあなたよりもかなり大人の部類の年齢ですが、そんな年になっても自分が何を言いたいのかとか本当にこう思っているのかなど、自信がなくなったり疑う気持ちが出てきたりします。そんな時はそれを受け止めてくれる人に伝えることで何とかしようとしています。これまで、自分の気持ちを外に出すことに制約があり、本音を言える相手が少なかっただろうし、まだ経験も少ないでしょうから、自己表現にためらいや自信のなさがあっても当然だと思いました。
それから、私はタイトルにある嘘についてずっと「嘘って何だろう?」と気になっています。私は自己表現には嘘はないのではないかと思ったりします。事実と違うことを言ったとしても、そう言いたかった、そういうことにしたかったという表現したかった気持ちは嘘ではないような気がするからです。でも、一般的には「嘘は泥棒のはじまり」に代表されるように嘘には否定的な評価が多く、それが自己表現を封じかねない圧力になっていることを残念に思うことがよくあります。あなたの経験談を読み、ますます嘘についての解釈や意味が広がってくれるといいのにと願いました。
死にトリはいつでも自己表現をお待ちしていますので、よかったらこれからも来てください。