私が馬鹿なだけだった

神奈川県、20代


どことなく、人とズレているというのは分かっていた。小学校でのいじめに気づくことも無かったし、特に私は言葉選びが上手くなくて、意図せず人を傷つけてしまうことが多かった。余計な一言を言ってしまう事が怖くて、自分から何かを伝えるのが苦手になった。
高校の時、母親が鬱になった。私は毎日あった部活を辞めて帰宅したら一人で起きれない母親の介護をした。兄も大学を辞め、仕事を始めてくれた。父親も仕事を変えて出勤時間を夜にするなどしてくれた。でも、姉は何も変わらなかった。私がご飯を作っても誰も食べてくれない、私が家事をしても誰も手伝ってくれない、リビングではずっと私以外の家族の声が聞こえる。でも、母親が鬱だから仕方ないとずっと我慢していた。放課後にバイト出来なかったから、土日にバイトをした。ほぼ毎日動き回ってる状態だった。それでも、私がバイトから帰っても誰も家事をしていなかった。きっとこの家では私は奴隷のような扱いなんだな、と思った。でも、家族の為に頑張らないとと思った。
成人して一人暮らしして、ふと自分の事を調べようと思って病院に行ったところ、重症ではないが発達障害だとわかった。そこで色々理解した。確かに私は言葉選びが苦手だしコミュニケーションが苦手だった。良かった、私が馬鹿なだけじゃなかったんだ。そう思い、親に伝えた。親は、私のそれはこういう子なんだなとしか思っていなかった、まぁ皆何かしらの発達障害らしいからね、と言った。違うんだよ。私は、私は今まで辛かったねって言って欲しかったんだよ。それじゃあ、まるで私は家族にちゃんと見てもらうことの出来なかった、馬鹿な奴ってことじゃないか。
今は職場のストレスにより適応障害になった。でも、職場はもう1回休職したんだから治ってないなら退職しろと言う。有給申請をしようとしても診断書が無いと無理と言われ、診断書を出したら適応障害で有給申請は受け付けれないと言われた。異動も、他部署の人員調整で難しい、有給は他の社員に迷惑かけてしまうから無理、退職しろと言われているけど3ヶ月前に伝えないと退職させてくれない。あと3ヶ月も頑張らなきゃ行けないの?ずっと、ずっと頑張ってきたのに?もう辛いと言っているのに?だったら、もうやめてもいいんじゃないかなと思った。生きるのが嫌になった。
たったこれだけのことで、他の人より全然辛い思いをしていないのに、よくあることなのに、生きるのが嫌になるなんて、やっぱり、私が馬鹿なだけなのかもしれない

感想1
経験談の最後は「私が馬鹿なだけなのかもしれない」と結ばれていました。私は経験談を読み終えて、そうは微塵も感じませんでした。ずっと努力と我慢と内省を繰り返してきたこれまでだったように思いました。特にあなたが高校生の頃の家の様子を頭の中で映像化しながら読ませて頂きましたが、誰も家事を手伝ってくれずに家族の声がリビングから聞こえる様子をリアルに想像して何だか私はいたたまれない気持ちになりました。この頃のことは何年も経った今でも繰り返し頭に浮かぶ場面なのではないでしょうか。平日帰宅後の家事、週末のアルバイト…我慢に我慢を重ねた日々でしたね。奴隷のようだ…と頭に過りながらも頑張り続けた理由である「家族」とはあなたにとってどういった存在でしょうか。そして今のあなたと家族の関係性も気になりました。それにしても職場の話は少し(というか結構)驚きましたし、あなたが休職するまで強いストレスを抱えた背景は十分にあると思いました。というのもあなたを退職へ誘導していること、有休申請を拒否すること、3ヶ月前に言わないと退職させないこと…これらは労働基準法や民法に違反している可能性があるからです。こういったことをする職場の多くは職場環境が良くない(例えばみんな何かしらのストレスがかかっていて、パワハラが起こりやすい、仕事を押し付ける、相談できないなど)ことが多く、安心して働くことができません。あなたの職場もそれに近いのではないかと勝手ながら想像しました。会社は社員を「退職させない」ということはできません。労働者側からすると2週間前に退職届を提出(会いたくないなら郵送でも大丈夫です)すると退職することができます。ご自分のことなので「たったこれだけのこと」と感じるのかもしれませんが、とんでもないです、生きるのが嫌になっても無理はない状況だと思います。もしかしたら我慢することがあなたの日常になっているから3か月頑張ってしまわないでしょうか…。仮に退職できたとしてもその後の生活のこともありますし、死にトリにご連絡して頂ければこれからのことを一緒に考えることもできますのでよかったらお待ちしています。

感想2
経験談読ませてもらいました。私が印象に残ったのは、家族に発達障がいの診断を告げたときに「ちゃんと見てもうことの出来なかった、馬鹿な奴ってこと」と書かれていたことです。それを読んで、周囲とのズレやそのことで生きづらさをわかってもらえなかった経験よりも、それ以上に「自分の存在を認めてもらえない」ことの方が苦しいことなのだと痛感しました。幼いころからきっと、あなた自身へ心を寄せ、理解想像をしようとする存在を必要としていただろうし、それを求めていたのだろうと思います。認めてもらえると思って、あるいは認めてもらえることを求めて、病気の母を支えたり、家族のために力を尽くしたのでしょう。それなのに、生きづらさについて開示をした際に軽く片付けられてしまったのですから、タイトルのような「私が馬鹿なだけだった」、そう思ってしまうのも無理はないと思います。
でも、私はその前に書いてあった「良かった、私が馬鹿なだけじゃなかったんだ」に注目しています。馬鹿というのがどのような意味を指すのか一緒に考えたわけではないので、イメージの相違かもしれませんが、私は経験談を読んだ範囲ではありますが、馬鹿だとは全く思いませんでした。人とズレていることだけで馬鹿というわけでもないでしょうし、ましてや発達障がいによる生きづらさを指すものでもないと思います。特性を持ちながら生きていくことは、とても見えにくい生きづらさや誤解があり、大多数の非発達障がいの人たちに合わせて生きることを強いられると思います。その中で、これまで理解者もあまりいない中で生きてきたのですから、馬鹿どころか深い敬意を抱いています。
今の職場で辞めたいのに辞めることができない事情、何とか力になる人がいないものかと願いながら読みました。そして、これまでの人生の歩みに心を寄せ、今後の人生のことを一緒に考えてくれる人がいないものかと考えています。少なくとも、死にトリはそういう存在でいたいと思います。つらいことはつらいでいいし、つらいながらでもあなた自身が少しでも自分らしくいられる時間空間があることを願っています。もしよかったら、これからも死にトリに来てください。待っています。