私の人生

栃木県 31歳 女性


私は保育所に入所する以前から、母に「Yちゃんなんか、いない方が良いって思うこと一杯あるんだよ」「可愛いと思えない。自分の子どもだと思いたくない」「顔も見たくないから、どこかに行って」と毎日のように言われていた。
私は仕方なく玄関の扉を自分で開け、外で猫を撫でて過ごした。時間が経ち、忘れた頃に「さっきは悪かったね」と母に言われた。それらは当たり前になっていて、まるで儀式のように日常で何度も繰り返された。

父からは小学校4年生位から性的虐待を受けていた。そのうち、「自分は汚れていた方が良いんだ」と思うようになり、入浴することができなくなった。鏡で自分の体を見ることもできなくなった。

また私が産まれる以前から、私の家の敷地内に知らない男性が住んでいて、毎日のように祖母と伯父を怒鳴っていた。知的障害のある伯父に対して、「馬鹿野郎!」「この、産まれ損ない!」と罵声を浴びせたり、「あいつには食わせるな」と伯父には買ってきた物を食べさせなかった。「お前が死んでも俺は何とも思わない」と伯父に向かって言っていた。

近所の人もその人について知っていたが、その人と毎日顔を合わせる私達兄弟にだけは何も知らされず、自分とどういう関係の人なのか、血の繋がりはあるのかさえ、教えてもらえなかった。あるのはその人について触れてはいけない、という重苦しい空気だけだった。
私の家には人権や人の尊厳というものが存在しなかった。

私は解離を発症し、自分の年齢が分からなくなった。「自分は心が小学校4年生で止まってしまったんだ」と周囲に言っていた。それは成人しても変わらなかった。

それから弟の姿が認識できなくなった。弟が成長する間の記憶が抜け落ち、あの小さかった弟と、成長して姿が変わった弟が同一人物だと認識できなくなった。
当時の私には、誰だか分からない弟がとても怖かった。

もしあの頃の弟が目の前に居たら、思い切り抱き締めてやりたい。

私は人間不信になり、「人に会いたくない」と言い、小学校に行けなくなった。母と祖母に父からされていることを打ち明けたが、何も変化は起きなかった。先生に相談したかったが、「内申書に書かれるから駄目だ」と母に言われた。
小学校は卒業したが、心が現実について行かず、卒業式当日も意味が分からなかった。中学入学後も「早く小学校の担任の先生に会いたい」と思っていた。

私が中学に入学してからも、母から「産んだ甲斐がない」とよく睨まれた。中学で再び不登校になった。母から年単位で外へ出ることを禁じられ、日光を浴びることも外を歩くことも出来ず、今の季節が何なのかも分からなくなった。家の壁に「歩きたい」と書いていた。

怪我をして病院へ行きたくても、「そんなの大したことない」「時間とお金の無駄」だと母や祖母に言われ、毎回 足止めされた。手が痺れたりして感覚がなくなった時も、「早く病院へ行った方が良い」とは誰も口にしなかった。

成長するにつれ、様々なことが分かってきた。私が両親からされてきたことは言葉による心理的虐待、ネグレクト、性的虐待に当たるのだと。「私はこの家に負けない!負けてたまるか!」と空を見上げていたことを覚えている。

私は成人してから、「私が小さい頃、どうしてあんなに酷いこと言ったの?」と母に聞いたことがあった。すると「えー!?全然覚えていない!!」と母は驚いて言った。「嘘みたい!」と…。私はそれを聞いて呆気にとられた。本当に覚えていないように見えた。

「やっと言えた」と私は思った。

それと同時に自分が30歳になるまで、そのことをずっと引きずっていたのかと思い、はっとした。

母は脳に病気を持っている。覚えていないのはその影響なのかもしれないと感じた。私はもう母を責めることは出来ないと察した。私の子ども時代はどこへ消えたのだろう。このやり場のない気持ちはどこへぶつければ良いだろうかと思った。

父は私の主治医の前で、自分がしたことをはぐらかし、シラを切り通した。「覚えていないですね。忘れちゃったんですかね。あの頃は自分もうつ病だったから…」と言う父のことばに、主治医は顔をしかめていた。私は「そうだった、こういう卑怯な人だった」と、改めて父に失望した。その頃から私はおかしくなった。

人に勇気を持って相談しても、「周りのせいにしている」「自分を悲劇の主人公にしている」と言われて、返り討ちにあったような気持ちがした。そして自分の過去は人に話さないことに越したことはないのだと悟った。そしてどんどん話せなくなった。

その後 私はうつ病を発症した。そして自分の中からドス黒い感情が溢れるようになった。両親を恨み、世の中を憎むようになった。人を羨み、人を妬んだ。何よりそういう自分が一番憎かった。絶望の中で死ぬことが希望になっていた。死にたくて死にたくて、震えるようだった。世の中の不条理さ、不公平さ、矛盾にやっと気づいた。寧ろ今まで気づかなかったことが不思議だった。頭から「死」が離れなくなった。

今もそれは変わらない。生きることは「苦」でしかない。

ただしかし、私は自分の心を知りたいと思った。私は心理学を学び始めた。学んでいくうちに、変化を感じるようになった。心の中で過去が浄化されていくようだった。もしも話せるのなら、あの頃の自分と存分に話がしたい。そして家族とも存分に話をしたい。過去の伏線を回収し、時を超えてその種明かしをしているような気持ちがした。心理学は私にとって薬になった。

今まで「私はただでは起きない。もしも転んだら、その辺に生えている草や花を毟り取って、力ずくで起き上がる」そう信じて乗り越えてきた。

ある時 「私が人生で経験してきた苦しい出来事は神様からのプレゼントだったのだ。目に見えない心の上での、贈り物を貰ったのだ。」と気づいた。嬉しくて嬉しくて涙が出た。そう思った瞬間に、私の子ども時代が綺麗な箱に入れられ、すっと仕舞われていった気がした。

自然界では葉っぱ一枚でさえ肥料になる。世の中、無駄な物なんて何もない。今までの経験が地層のように重なり合い、私の人生を豊かにしてくれる糧となる。そのミミズがいるような肥沃な土地に、これから何を植えようかと考えたらワクワクする。

人生はまだまだ続いていく。
私は人の役に立ちたい。現在カウンセラーになるための勉強をしている。人生において苦しいことは止まないが、心を耕しながら生きていきたい。

感想1
経験談、大変興味深く読ませてもらいました。
強く、決意表明のような経験談だと思いました。同時に、終始戦っているような印象を受けました。子ども時代の環境や経験を想像すると、リラックスできる時間や場所はとても少なく(ひょっとしたらなかったかもしれません)、ずっと戦闘状態の中で過ごしてきたようなものだったのかもしれません。経験談にも、その戦い続けてきたような緊張がありました。
それが、心理学との出会いについて書かれているのを読むと、空気が変わるような気がしました。リラックスとまではいかないと思うのですが、緊張感が解け、つかまってもいい存在、支えとして拠り所にしてもいい存在としての雰囲気を感じました。寄港地のような存在なのかな?と考えました。その根底にはあなた自身が自分の存在を信じて、実感したいという強い願いを感じました。
感じることをやめたくない、逃げたくないという意思を感じて頼もしくなる一方で、あまり無理をせず、人を頼ってもらいたいという気持ちにもなりました。自分をさらに知るためにもいろいろな人たちと関わったり、頼ったりしてもらいたいと思いました(すでにそうされているのかもしれません)。人が適度に頼りあうことで、少しでもこの社会が生きやすくなることを願い、ともに歩んでいきたい気持ちになりました。
経験を書いてくださり、ありがとうございます。

感想2
経験談の投稿ありがとうございます。
幼少期の過ごし方を読んで、幼ないながらにお母さんからの言葉や雰囲気を感じ取り、投稿者さんなりに自分の存在を無いものにしなければならないと思っていたのかなと想像しました。「家族という形を保とうと必死だった」とありましたが、それ以外にも必死になっていたものはあって、ずっと気が休まらない状態で過ごされてきたのではないかなと考えていました。そのような中で、数年前のお母さんからの発言を読んで、思わず私も「え・・・?」と思ってしまいました。あの苦しかった日々はどこに行ったのかと思うのは自然なことだと感じますし、お母さんの中で無かったことになっていても投稿者さんの中ではずっと残り続けるものだとも感じます。
文章の中でいくつか、自分の感情や出来事に対して自覚(直面化)したことが書かれていましたが、その時にどのように感じたのかもう少し詳しく知りたいなと思いました。
現在はカウンセリングを学ぶことで、「本当の自分」を取り戻していく作業にもなっているのではないかなと私は思います。最後5行の投稿者さんの言葉は今後の投稿者さんの生きる理由や糧にも繋がっていきそうだと感じ、機会があれば学んだことについてまた共有してもらいたいなと思いました。