終わりが見えない

大阪府・高校生・女性


周りから、「真面目」「賢い」「優しい」「頼りがいがある」。幼少期から、そんな言葉をかけられていたのを、よく覚えている。
最初は嬉しかった。けれどもいつしかその言葉は、重く私にのしかかって暗闇に突き落とした。

「真面目」だからサボってはいけない。
「賢い」から勉強を怠ってはいけない。
「優しい」から誰のことも悪く言ってはいけない。
「頼りがいがある」から誰かに相談してはいけない。
徐々に居場所がなくなって行き、自分で自分の首を絞めていく。

朝、突然涙が出る。喉が詰まる。胸が痛む。叫び出したいのに誰の手も取ろうとしない。本当は助けて欲しいのに。
私の苦しみなんて他の人の苦しみに比べればほんの小さな悩みでしかないから。
ごめんなさい。こんな私が。あの子のことを嫌った私が。周りがいじめているのを見過ごした私が。親に迷惑ばかりかけている私が。苦しいなんて思って、そう感じてしまって。ごめんなさい。

心が弱いから少しのことで泣くようになった。何の意欲もなくなって、勉強に手がつかなくなって、落ちこぼれて、今までやってきたことが無駄になった。どこにいても何をしても、笑えなくなった。死んでしまいたい気持ちが溢れてきてしまう。
もう戻れない。足掻いても足掻いても、どうにもならない。付きまとうレッテル。コンプレックスばかり増えて、自己嫌悪の毎日。ちょっとした事で本当に死んでしまいそうになる。
苦しい。痛い。辛い。もう楽になりたい。消えてしまうしかない。このまま朝が来なければいいと思って眠る日々。
それでも死ぬことは“悪”だから。私の醜さをより剥き出しにするかのような、眩しすぎる朝日が窓から射してくるから。
生きるために耐えるしかない。

また終わりの見えない、それでも終わりを望んでしまう心を、押し殺す一日が始まる。

感想1
苦しい心の内を書いてくださってありがとうございます。
本音を伝えることをためらう気持ちがよくわかりました。周囲からの良かれと思っての声かけがあなたを知らないうちに追い詰めていたのですね。
私はずっと不思議に思っているのですが、どうも一般的には「ほめる声かけ」はよいことだという常識があります。でも、実は「ほめる声かけ」がその人を追い詰める結果になることがあります。よく考えてみれば、「できる」ことをほめられれば、その反対の「できない」ことを否定することになるのですから、当たり前なのですが、人はそこまで深く考えずに気軽に「ほめる声かけ」をしてしまいます。多分、その場その時に相手の人を喜ばせようとして言っているのでしょう。
私は周囲が一時的に評価する「真面目」「賢い」「優しい」「頼りがいがある」というのもあなたの姿だろうと思いますし、その裏側でこうして書いてくれたいつもそうではいられないあなたや、それを周囲に言えずに人知れず泣いているのもまぎれもなくあなたの姿だと思います。人は誰もが多面的で、葛藤を抱えているからこそ、他の人たちとお互いに理解し合うための努力もできます。ひょっとしたら、そうしたあなたの弱さを理解している人がもういるかもしれませんし、あなたが弱音を吐いたときに、そういう側面もあって安心する人もいるかもしれません。もしも、身近な人たちがすぐに理解をしてくれないとしても、あなたの開示をきっかけに弱いところを認め合うきっかけになるかもしれません。この社会が気軽に弱いところを伝えあえるようになりたいと思いますし、一方的な評価は人を追い詰めることもあることを理解する人が増えるといいなぁと思います。あなたの経験談でそういったことに気づく人もいると思うので、これからも死にトリへの参加をどうぞよろしくお願いします。

感想2
文章を読んで、メタ認知が高いというのか、ご自身の置かれた状況や気持ちを客観的によく把握しているのだなと感じました。周りから押し付けられるあなたへの期待が、あなたが自分らしくいられる時間・空間を奪っていったのだと感じ、理不尽だなと思います。もう消えてしまうしかないほど苦しいのに、生きるために耐えるしかないというのは、消える・生きるという矛盾した二つの方向に引っ張られていて、どちらを向いても苦しいという状況なのだろうと想像します。
あなたが周りの期待に合わせようとせず自然なままでいられるような環境に移ることができれば、今よりは心を押し殺さなくても済むようになるのではないかと考えました。そのためにどうしたらよいのか、今の私にははっきりと分かりませんが、今後も一緒に悩みたいと思っています。もしよければ、リアル居場所に参加してください。