なんとなく死にたいなあとか、消えたいやめたいと考える時期が不定期にある。高校受験くらいから環境の変化に伴ってよくおきる。家庭環境は普通。むしろ過保護なくらい。兄弟ともうまくやれて、好きなこともあって何不自由無く生活してる。家庭環境は関係ないと思う。自分の意思の弱さや心の弱さ、流されやすいことが原因だと思う。最近は転職してまた消えたいと強く思う日が続いてる。通勤の運転中や入浴中、就寝前の布団のなかで涙が自然とでてくる。職場は今のところ特に問題は無い。でも消えたい。これの繰り返しだ。痛いのは嫌だけど、手や腕に爪をたててしまっていることがある。まだ刃物は出せないでいる。痛いのはいやだなぁ。迷惑かけたくないけど、このまま車で電柱や壁に突っ込んで終わりにしたい。悲しませる人はいるけど、消えたらそんなことしるよしもないのだから別にいいと思ってる。むしろ勝手に消えたやつのことなんて忘れてほしい。おそらく、わたしは家族が死んでも涙ひとつ流さないだろう冷たい人間なのだ。
こんなこと書いてるけど明日には普通に仕事に行く。いつまで続ければいいのかな
感想1
経験談を通して、環境の変化に接すると強いストレスを感じて、それに耐えてきた様子をうかがえました。原因について自分の意思の弱さや心の弱さ、流されやすさだと教えてくれましたがそれを言い換えるとすれば、あなたが周囲の感情を敏感に感じ取って自分よりも他人を優先していたり、役割を演じたりすることかもしれないと想定しましたが、どうでしょうか。さらにひとりになると自然につーっと涙が出てくるとしたらそれは日々こらえたり、保ったりしているものがあって、心の容器が一杯になったら溢れて涙になっているのかもしれません。最後に「明日には普通に仕事に行く」…この言葉にどこかすべて受け入れているというか、明日は当たり前にやってくるし、今まで通り保てるから普通にやるけど、誰にも言わない本音をここに書いておきます…そんな風に受け取りました。死にトリの中にある「つらチェック」はやってみましたか?もしかしたらいまあなた自身が気づいていない気持ちや一面を少しだけ教えてくれるかもしれません。良かったらぜひ試してみてくださいね。
感想2
何となくでも、特に理由がなくても、あなたが死にたいなぁとか消えたいやめたいと感じるのは、真実なので、それはそれでいいと思いました。感じる気持ちにいい悪いはないだろうし、我慢したり、無理に原因を探る必要もないのかもしれないと思います。でも、理由がわからないことは苦しいことでもあります。意思が弱い、心が弱い、流されやすいからだと思って少しは気が楽になるのなら、それでもいいと思いました。
読んでいて、私が感じたのは孤独感でした。消えたい気持ちの背景にはこうした気持ちを伝える相手がいないことが何か関係しているのかもしれないと思いました(違っていたらすみません)。家族が死んでも涙ひとつ流さないだろうと感じることも、そうした感覚があってもいいと私は思うのですが、それをそのまま伝えるとあなたがいうように「冷たい人間だ」というジャッジを受けてしまうので、それを伝えることをためらわれるし、そう思う自分を押し殺すことになります。そうした積み重ねが今までもあったのかもしれません。
まずはこうして、思っていることを表現する機会をもつのはどうでしょうか。また、いろいろな人たちの本音を知ることで何か変わることもあるかもしれません。あなたが感じることを教えてもらいたいと思いました。また、よかったら死にトリに来てください。