矛盾だらけに生きてる


24歳って、もっと大人だと思っていました。
人間として成熟し、周りと良好な関係を保って、信頼しあえる親友やパートナーに囲まれ、職場がある。ライフステージを次の段階へと進めているものだと信じていました。

最近死にたい気持ちがとても強く、ことあるごとに昔の思い出を思い出して寂しくなるけど、そんなの誰にも言えません。(病院を予約できたのは2ヶ月先でした)日記を書くと希死念慮が弱まるって聞いたけど、一人でメモに書くのも寂しいので、語らせてください。

私は共働きの両親の元に長女として産まれました。私を産んだ後すぐに母は職場に戻り、それからしばらくは祖母に育てられていました。
祖母は毎朝家に来て、一通りの家事をこなし、夜ご飯を一緒に食べてから自分の家に帰るという生活を、私が高校生になる頃まで続けていました。だから、小さい頃の思い出はほとんど祖母と共にあります。

今考えると、還暦を越えて、幼い私と弟の相手をするのはしんどかったと思います。結果、そのしんどさの矛先はいつも私たち兄弟に向かっていました。言うことを聞かないと包丁を向けられたり、逆に「自分が死ぬ」と脅して包丁を突きつけていました。ベランダから飛び降りようとしたり、叩かれたり、私はそれを自分のせいだと思っていたけれど、実はそうじゃないのでは?って、大きくなってから気づきました。

狂ったように怒る祖母の足にしがみついて、泣いて謝りながら、「私は絶対にこうならない」「絶対に怒ったりしない」と言い聞かせていたこと、最近よく思い出します。その頃自分にかけた呪いのせいで、私の脳と心は分離してしまっているのだと思います。だから私は今でも自分の感情をうまく認識できず、こんな目に遭っている。

太った人を指差して、「あなたもいっぱい食べたらああなるよ」と言われました。
今では食べることに依存して、体重はどんどん増えています。

細い人を見ると劣等感と恥の意識に押しつぶされそうになるし、
好きなように生きている人のことは嫉妬して見ていられません。

進路はずっと周りの大人に決められてきたように思います。いくつかの与えられた選択肢の中から選ばされていたのではないか、と思います。唯一、大学に進学するときに自分で選んだ資格の取れる地方の学校がありましたが、結局母に流され地元の私大に通っています。何年か休学したけど、卒業するために通いきる気力がありません。

言いなりになるってことは、ある意味楽なことだとも思います。全部周りのせいにできるし、私はそこから脱する勇気も力も元気も、発想さえなかった。そもそも、言いなりになっている自覚もなかった。
今、私は学校卒業のため頑張る気力がありません。景気は悪く、結局非正規やフリーターで働くことになるのか?と思うと、お先真っ暗に思えてきます。「好きに生きていい」って誰かに言ってほしいけど、私の周りにはそんな人がいなかったのがとても悔しい。「あなたはあなたらしくいていい」って誰かに言ってほしかった。できれば、お母さんに言ってほしかったです。

ある程度大人になってから、母親とはよく話すようになりました。過干渉を経て共依存的な関係になるってありがちだけど、私たちもそうだと思います。臭いものには蓋をして、楽しいことを共有しています。夜、たまに一緒に過ごしていると、打ち明けてみたくなるときがあります。自分が抱えている生きづらさを話してみると、返ってくるのはいつも「かわいそう」とか「私には分からないけど大変だね」とか、どこかひとごとな言葉ばかりです。

私が期待すぎなのでしょうか。そもそも、ここまで一切父親が登場しない時点で(私には実は父がいます)、子育てにおけるジェンダーの偏りや、私自身が持つ母性への憧れを感じます。あまりにも感情が母親へ偏りすぎていると思う。こんな子を持つ母や祖母は大変だなと思います。

でも、同時にとても強い怒りがあるんです。許せない気持ち。私をこんなふうに育てやがって、という気持ち。

母は不機嫌になると、不機嫌な音を立てて周りを支配しようとします。それを見ると、萎縮した気持ちと同時に、「そんなに感情を素直に表せていいね」とも思うんです。私はそれを許されなかったのに、まるであなたが子供みたいだなって。

この孤独や行き場のなさは、いつか消えるんでしょうか。いつか、「あ、私はこれでいいんだ」と、すとんと腑に落ちる時がくるのかな。私は怒っている、悲しい、って素直に誰かに伝えられる時がくるのだろうか。

そうあってほしいと思います。そうじゃないと苦しいです。最近、自分は当然死ぬべきなのに、死ねていないことが矛盾しているように感じて罪悪感が湧いてきます。いつか死んでしまいそうで怖いけど、生きているのも怖い。いつもいろんな想像をして、その後の手続きやこのメモを見た母の気持ちを考えると死ねなくなります。

母には、自分の感情に素直で、深いことはあまり考えない、鈍感な人間のまま生きていてほしいのです。だってその方が生きるのは楽だろうから。

我ながら、こじらせているなあと思います。
いつか、「どうにかなったな」と思える日が来るんでしょうか。

感想1
文章から母親に対する怒りと自分の気持ちを分かって欲しい思いがあることが伝わりました。長い間、心の中に怒りや悲しみを溜め、必死に自分をコントロールされてきたのではないかと想像しました。今まで1人で抱え、考えてきたのだと思います。こうやって、投稿をくださったのは、あなた自身、この問題を誰かと一緒に考えたいと思ったからなのではないかと想像しました。否定されない場であなたの語りを聞きたいと私は思いました。

感想2
祖母さんや母親さんが感情(それも、怒りなどの不快な感情)を表現しているのをずっと目の当たりにしてきて、それにつらい気持ちになりながら、同時にそうなりたくないと感じ続けてきたのだろうと思います。
「その頃自分にかけた呪いのせいで、私の脳と心は分離してしまっているのだと思います。だから私は今でも自分の感情をうまく認識できず、こんな目に遭っている。」と書かれていて、投稿者さんは自分の感情を出すこと、またそれ以前に自分の感情を自覚することを、よくないこと、なるべくであればしたくないことと捉えているのかなと感じました。
ただきっと、同時に、本当であればそれを表現したいという気持ちもあることから、「脳と心は分離してしまっている」と感じているのだろうか、と想像しました。
周囲の大人たちが投稿者さんの感情や思い、考えを尊重して扱う機会がとても少なかったのかと考えています。本当であれば、そのように尊重される経験が「好きに生きていい」と実感できる糧になるのかなと想像していますが、それがむずかしい状況だったのだと思います。
抗うことがなかなかできない中で(抗っていいという経験がなければ抗うことはとてもむずかしいと思います)、でもその状況に違和感も感じているだろうし、そして違和感を感じつつ従うことはとても疲れることだと思います。「卒業するために通いきる気力」がないことも、もっともな状態かもしれないと想像しました。
文章を読んでいて、客観的に、冷静に書こうとされているのかなと感じました。その一方で、「でも、同時にとても強い怒りがあるんです。許せない気持ち。私をこんなふうに育てやがって、という気持ち。」という部分などからは、率直な気持ちも伝わってきました。
長らく感情を抑えてきていると、直情的な怒りそのものの言葉(たとえば暴言など)は発することに抵抗感があるのではないかと思います。でも、「怒りがある」と経験談に書いてくださったことも正直な気持ちの表れではないかと思いました。
こういう気持ちを書くこと自体あまり機会はないかもしれませんが、もしかすると何度か自分の気持ち、「行き場のなさ」と感じているような感覚を書き出してみると、表れてくる言葉にも少しずつ変化があったりするのだろうか?と想像しました。

感想3
自分が育った環境の影響を、客観的に捉えることができるようになってきて、気づいたことを整理しようとして書かれているように見えました。
祖母のしんどさの矛先を向けられるなかでの様々な体験は、そのとき自分を守る手段として感情を切り離さなければいけないほどの強い恐怖を与えるものだっただろうと思います。
母と共依存的な関係になっている状態では、自分が母に期待しすぎなのだろうか、と思うのも想像できるのですが、期待しすぎというよりは、今まで期待したくても期待できなかったことによって満たされなかったニーズ(たとえば自分の気持ちを受け止めてもらうなど)を埋め合わせようとしているのかなぁと想像しました。また、母以外の人にも期待できないという気持ちがあるのかなと思いました。
自由に自分の感情を感じること、そこから自分の意志を持つこと、それを実現しようとして動くことは、子どもが育っていく時間の中で、周囲の大人から承認的な反応を得ることで育てられていくものなのだろうなと思いました。また、それらは大人になってからでも育てていくことができるものだと考えています。
「私は怒っている、悲しい、って素直に誰かに伝えられる時がくるのだろうか。」とありました。この経験談からは投稿者さんの色々な気持ちが率直に伝わってきましたし、だんだんできるようになっているところなのではないかと私は思いました。