環境と境遇

女性


わたしは大家族の下から数えた方が早い位置に生まれた。
またわたしの母親は最近話題の教団の信者であり、なおかつわたしが生まれた地域は同和政策がかつて実施された所だった。

子どもの頃、近所の駄菓子屋にお菓子をきょうだいで買いに行った時、他の子どもには優しく接する店主のおじいちゃんがわたしには露骨に嫌な顔をしながら接客した。
母親にみんなで楽しく運動会をするからと連れられて行った所が、その教団の信者間での運動会の顔をした交流会だった。
おじいちゃんの嫌な顔も、教団の運動会も、当時はただの思い出の一部だったが、大人になった今になってどういう意味を持つのかを知り、ひどく落ち込むことも多々あった。

しかし、家族(主に親)からの扱いに関しては物心つく前から違和感があり、その違和感はわたしがきょうだいの中でも下から数えた方が早い位置に生まれたからで、わたしより上でかつ思春期真っ只中のきょうだいの世話が大変だからだと思っていた。
でも全然違っていた。ただ親がわたしを産みたくて産んだんじゃないからだった。
実際に母親にそう言われたのは高2の進路相談の時期だった。
大学に行きたいというわたしと、大学にかかるお金は1ミリも払わないという親との主張の間で起こった口論の中で発せられた言葉だった。
言われた当初はひどく落ち込んだが、同時に腑に落ちる感覚もあった。
姉妹の中で唯一下着がお下がりだったのも、母親に面と向かってブスと言われたのも、育て方を間違えたと言われたのも、言うこと全て否定されてきたのも、全て産みたくて産んだ子どもじゃないからだと思うと納得した。
そしてその母親の発言の後、わたしは自力で大学に進学し、実家を離れて暮らした。

大学にいる間、物理的に家族と離れていたのでわたしの暮らしは平和だった。
大学を卒業してからは、いろいろあって実家で一時期就職活動をすることになった。
実家では親とは最低限の関わりしか持たないように接していたが、上のきょうだいから面と向かって「家族の中で雑に扱われている」ということを言われ、その時に完全に心が折れ、今に至るまで極力家族と関わらないように生きてきた。

ふとした時に「自分の親が常に愛情を持って接してくれるような親だったら」と夢見ることもあるが、その度にある特定の地域で生まれたこと、とある教団の2世であることが頭をよぎり、どれか一つでも無くなったらもっと生きやすいのにと思う反面、どれも自分の生まれた環境に関わるものなのでそれを否定すると自分を否定しているようにも感じてしまう。

今回こうして体験を書いて送っているのは、「読んだ感想を送る」とHPに記載してあったからだ。
同じような境遇の人と話したくなっても、「家族との関係に悩んでいる宗教2世で、ある地域生まれの人」という共通点を持つ人がほぼおらず、自分の感情をなるべく人に迷惑をかけない方法で発散するしかなかった。きょうだいの中でも親から受けた愛情にばらつきがあり、親の葬式に出ないと宣言しているわたしと同じ感情のきょうだいはほぼいない。
そして、その境遇のうちどれか一つを仲のいい人に打ち明けても、全てを話していることにはならないので、自分の中にある「何かを隠したまま生きている」という感覚は消えることはない。
この境遇で今まで生きてきて、唯一胸を張れることと言えば自力で大学に行ったことそれのみで、それも親が学費を出してくれるような家庭であれば起こる必要のないことだと思うとやるせなくなる。
今は「この境遇で今まで生きてきたこと」そのものが唯一の拠り所であり、否定したいものを拠り所としてしまっている所に矛盾を感じてしまっている。

家族との関係で辛かったことも、宗教2世で辛かったことも、ある地域出身で辛かったことも、それぞれ辛いと自覚するタイミングは違ってもどれも等しく辛いものであるけれど、家族からの愛情に対する渇望感については他と比べて特に感じる時があり、その度に泣いている。

境遇や環境等の自分でどうにかならないものをどうにかするために、仕事や勉強に打ち込むのはもう疲れた。
自分の生きづらさをなんとかしようと思って家族間関係についての本を読む度に、身につまされるのももう嫌だ。
ありのままでいいと世間は言うが、ありのままで生きているとどうなるかはよくわかっている。
なぐさめも同情もいらないから、生きて欲しいと誰かに思われたい。
生まれてきてよかったと思える何かが欲しい。

感想1
タイトルの通り、生まれ育った環境に焦点を当てた経験談だと思いました。これがあなたの経験や生きづらさの背景の全てではないのだろうと思いながら、読みました。
「全てを話していることにはならないので、自分の中にある『何かを隠したまま生きている』という感覚は消えることはない」と書かれていて、確かにそういうことはあるなと共感しつつ、全てを誰かに話す必要があるわけではない、というかそれは不可能なのだろうとも思いました。それぞれの人の経験は、いくら話しても説明がつかないものだと思うからです。そのうえで、やはり一部でも、自分のことを話せて、理解して認めてくれる人がいるに越したことはないのかな、とも思います。『何かを隠したまま生きている』という感覚の反対にあるのは、自分のこれを理解してもらえた、受け入れてもらえた、という感覚の積み重ねなのかなと考えました。
母親の発言は、あなたが生きていること自体を否定する内容で、あなたがそんなことを言われる筋合いはないし、母親がどう思っていようと、あなたが生きていること自体が大切なことだと、私は思いました。
母親さんは、あなたが生きていることを否定したくて否定したわけでもないのだろうと想像します。ただ、母親さんとその周囲の環境のなかで、何か色々とうまくいっていなくて、それがあなたに向けた、何の正当性もない理不尽な言葉や態度になって出てしまったのかなと想像しました。
環境がこうでなければよかったのに、マシだったはずなのに、と思う気持ちには共感しますが、あなたも「それを否定すると自分を否定しているようにも感じてしまう」と書かれていたように、事実を否定する必要はないと思います。
また、生きてきた環境・境遇に対する捉え方は、広い可能性があるようにも思います。だから、もっと色々な人と、生きてきた環境・境遇について、そして現在の自分自身について、自然と話し合える機会が増えたらなぁと思います。死にトリの経験談は、小さな機会ではありますが、あなたが環境・境遇について考えていることを伝える手段として活用してくださったことが嬉しいです。
「今は『この境遇で今まで生きてきたこと』そのものが唯一の拠り所であり、否定したいものを拠り所としてしまっている所に矛盾を感じてしまっている。」とのことで、一人きりで足搔いている様子が伝わってきました。そして、何かを拠り所にして、自分で立とうとする意思の強さも感じました。
最近は平穏な生活が送れる環境にいるのかよく分かりませんが、理不尽な扱いをしてくる家族と離れたとしても、自分以外の人間が頼りになる、といった実感はあまりないのかなと想像します。
「生まれてきてよかった」と思えるかどうかはともかく、少なくとも生まれてきて生きていることを悲しんだり苦しんだりしなくていい時間が増えればなと思いました。

感想2
経験談を書いて、送ってくださり、ありがとうございます。感想を書いて送るという仕組みが書く動機になったとのことで、死にトリの経験談の趣旨とあなたの必要性が合致したことを嬉しく思いました。
読んでまず思ったのが、気持ちや思いが素直に打ち明けられない状況があるのはなぜかということと、その語りたいのに語ることを許されないという状況を、今すぐにでも変えていけたらということです。
宗教2世であることや被差別部落に生まれることは単なる事実であり、それによって差別をされたり、不利益が起こったりすることはそもそも、理不尽なことだと思います。ただし、差別や偏見の実態はすぐに改善することは難しさを感じ、すぐにどうにかならないかもしれません。でも、そのことによって感じたあなたの気持ちや想いは語りたいのであれば、語られてもいいものだと思いました。でも、実際には隠すべきこととなってしまいます。ひょっとしたら、差別や偏見の不当さは、そうした当事者の語りを封印することが本質なのではないかと、あなたの経験談を読んで気づきました。だから、こうして書いてくれたことに感謝しています。意思をもって、あなたが感じたことを表現してくれたからこそ、こうして私は感じること考えることができました。だから、こうして語っていくことは、何かが見つかるための貴重な営みなのではないかと思っています。
最後に「何かがほしい」と書いてくれました。きっと、一人で見つけるのはきっと大変だと思います。もう、今まで一人で十分頑張ってきたでしょうし、もしよかったら、その何かを死にトリも一緒に探してきたいと思っています。

返信

いただいた感想を読んだ気持ちとしては、突き放すでもなく、肯定するでもなく、ただただ第三者から見た事実を言ってくれたのだと思いました。それと、被差別部落出身であるということ、宗教二世ということ、親と確執があるということ、どれか一つだけでも感想を書くというのは神経を使うのに、それら全てが重なった私の経験談への感想はとても書きにくかったのではないかと思いました。
書いていただいた感想を読んでいると、自分の人生を感想越しに客観視しているような気持ちにもなりました。
そういう視点で自分の人生を見ていると、自分の人生を憐れむのにだんだんと飽きてきたことに気づきました。
今だにふとした時に辛く苦しい気持ちが湧いて出てくることがありますが、死にトリさんに投稿する前よりも少しはマシになったような気がします。
誰かがわたしの経験談を読んで、わたしと全く環境や境遇でなくても、自分以外にも似たような人がいると思ってもらえたらとても嬉しいです。