私は惰性で生きている

西日本・40代・女性


20年以上、鬱状態です。まだ、生きています。
死にたい気持ちは充分なんですが、ただ、死ぬ勇気がなくて。 苦しいのが好きなのでしょうか。

子供の頃から「~しなければならない」「完璧であれ」と思っていたせいか、自分を肯定できずにいます。 小さな失敗も許せないのです。
好きでやっている書道も入賞すらしないため、だんだんと苦痛になってきています。 書家である母からは、誉められることも無く、ダメ出しの毎日。 こんなはずじゃなかった、と毎日思います。私の特技はこれくらいしかないから。

私はただ、認めて欲しいだけなのかも知れません。 こうすれば誰にも怒られない、ルールに沿ってるはずだと回りに注意を配り。周囲に話を合わせて、愛想笑い。争い事には首を突っ込みたくない。
でも、うまくかわせたつもりで、かわせていなかった。 だから、もう死にたい。 苦しすぎて、生きていく自信がありません。
完璧ではない私を認めてくれる人は居るんでしょうか?

今の私は、ただ、誰かのお陰で生きていて、私が生きたくて生きているのではないと、思っているのです。 一言「大丈夫」と誰かが言ってくれれば良いのかもしれません。でも、誰も言ってくれない。
こんな私を仕方なく受け入れてくれる人はいるのでしょうか。

感想1
原稿を書いてくださり、ありがとうございます。
あなたはご自身のことをよくわかっているなぁと思いました。あなたと同じように私たちも「~しなければならない」「完璧であれ」という気持ちが強いほど、死にたくなったり、自分を認められずに苦しんだりする人が多いのではないかと思っています。それを反映して「死にトリ診断」も作成しました。
あなたは「完璧ではない私を認めてくれる人は居るんでしょうか?」とありますが、私はそもそも「完璧な人なんていない」と思っています。だから、誰もが完璧ではないので、誰もが認められると思いますし、存在そのものが認められれない人がいないと思っています。誰もが誰かのおかげで生きていますし、知らないうちに誰かの支えにもなっていると思います。少なくともあなたがネットの居場所にこうして原稿を寄せてくれて、参加してくれたことに感謝しています。おそらく、いろいろな立場の人たちがあなたの経験談を読んで何かを感じると思います。これからもよろしくお願いします。

感想2
苦しい気持ちの中、経験談を送ってくださってありがとうございます。
あなたが「うまくかわせたつもりで、かわせていなかった」と感じるものは、あなたを生きづらくさせた様々な原因のことかなと思いました。それは一体どんなものだったのか、もしお話できそうなら、詳しく聞いてみたいです。
「生きたいと思って生きている人生」もいいですが、「死にたいと思いながら生きている人生」もいいと私は思います。どちらの方がいいか、比べられるものではないと思います。
死にトリ診断も試してくださったのですね。子どもの頃から頑張っても認めてもらえなかった経験があれば、Category4の傷つき体験のポイントが高くなりそうです。親など周囲に求められる「いい子」でいようと努力してきたのかもしれないと想像しています。
あなたの傷つけられた経験や苦しみが、良いとか悪いとか判断されることなく、それらを抱えたままでも大丈夫だよ、と受け入れられる世の中になってほしいと思います。少なくとも私は受け入れられる人でありたいと思います。また機会があればお話を聞かせていただきたいです。

感想3
認めてほしい、受け入れてほしいと強く願いながら生きているのですね。その願いを叶えるために完璧を目指しているのかなと解釈しました。本来であれば、完璧でなくとも認められる、もしくは否定されないのが普通であってほしいなと思ってしまいます。
読んでいて素直に疑問に思うことがあったので、もしよかったら教えてください。それは「完璧」についてです。私は「完璧」に、人それぞれの基準や定義があるのではないかと考えています。だれかにとっての「完璧」が、他の人にとっては「完璧」ではないことがあり得るからです。そのため、あなたの中での「完璧」がだれにとっての「完璧」なのか、どんなときに「完璧」ではないのか、気になりました。それがわかると、認められたい気持ちについて、もう少しはっきりわかるのではないかと勝手に考えました。

感想4
経験談を送ってくださりありがとうございます。長い間、苦しい気持ちを抱えていたのですね。
小さい頃から「完璧」を自分の中に課していたようですが、そう思うきっかけは何かあったのでしょうか?文中から、お母さんと共通の書道を通して誉められることもなくダメ出しされる毎日とあったので、それも「完璧」でなければならないと思ってしまう要因なのかなと想像しましたがもう少し詳しくお話を聞けたらなと思いました。

~感想を読んでみて~

完璧の定義は人それぞれですが、私は親や社会から認められることが完璧だと思ってるのかな、と思います。だから、親からのダメ出しとか、職場でのちょっとした失敗ですぐにへこみます。気にしない人は、全く何も思わないことでも、私は気になって眠れなくなります。

前回の投稿より、日数が経っていて現状は少し変わりました。最近、書道展に出品した作品が秀作に選ばれました。が、その作品を母は軸装にして残してくれるそうです。その理由は「お弟子さんができたとき、自分もこんなに下手だったのって見せられるじゃない」とのこと。あ、下手なんだって思うと、秀作に選ばれたこと自体恥ずかしく思います。

人付き合いも、皆仲良くできたらいいなと思って、腹の中で思っていることを封じているのに。愛想笑いも見透かされていて。聞こえよがしに悪口言われて。頑張っているのに、全然上手くいかない。

見方によっては、周りが良くないのかも知れません。でも、その中に身を置いている自分が許せないのです。 楽しいって何でしょうか。面白いって、どういうことなんですか。それを考えるだけで苦しくなります。私にあるのは、生まれてしまったから生きてる、と言うことだけなんです。
こんな話、体験談として活かせるのですか?明確な悩みのある人が羨ましいです。
感想を読ませていただきました。その感想に、本当に申し訳なく、はっきりと書けなかった自分を残念に思います。ごめんなさい。

感想を読んでメッセージをいただきありがとうございます。
悩みをはっきりと書けなくて残念に思うほど、真剣に考えて書いて下さったことが伝わってきました。
親や社会から求められる「完璧」をいつの間にか内在化していて、自分自身でも求めるようになったのだろうと思います。
自分自身に求める基準が、自分の内側ではなく外側(親や社会)にあるならば、自分が心からそうなりたい状態、楽しめること、面白いことがよく分からなくなったとしても不思議ではないと思います。

あなたと同じように、外側からの評価基準を刷り込まれて苦しんでいる人は、今の社会にたくさんいると思います。何かにつけて「評価」する風潮があると感じているからです。そのような社会で苦しんでいる人たちにとって、あなたの経験談は「こんな風に苦しんでいるのは自分だけではなかった」と気づかせてくれるのではないかと思います。

外側からの評価を明示的にも暗示的にも押し付けられることのない社会を、一緒にイメージしていければと思いました。よければまた、リアル居場所などの機会にお話ししましょう。