混乱した気持ちの毎日

東京都・30代・女性


私は三姉妹の長女です。経済的には何不自由なく育ててもらいました。ですがあまり愛情を注いでもらったような気がしません。
怒られるときは手や足が出てきましたし、ご飯がない時もありました。妹2人、とくに1番下はのんびり自由に育ちました。

父は田舎色が強いからか「長女はこうあるべき」と言う思いが強く、世間体を気にしていたのかな、と今は思います。母は従うしかなかったようです。でもアルバムに私の写真はたくさんあります。私も笑っています。
ですが小さすぎて、記憶にありません。記憶のある年齢からは、抱きしめてもらったり手を繋いでもらったり、言葉での愛情表現もされたことがありません。「かわいいね」「じょうず」「○○ちゃん大好きだよ」など。そして私も、甘えた経験がないんです。甘え方がわからなかったのか、周りがどうなのかわからない分、それが普通と思っていたのか。
そして他人の言葉には裏がある、本心ではない、ようなことを言われて育ちました。「じょうずにできてるって!」と言えば、「他に褒めるところがない、何かいうしかなかったんだ」とか、「いいよ、って言ってくれて良かった」と言えば「それは仕事だから、本当は嫌なはずだよ」と。

今でも相手の言葉を疑います。それを直そうと思っても、その考え方はいまでも直りません。心から相手を信頼したり信じたりできなくて苦しいです。この人はきっと本心だ、信じたい、そう思い始めても疑う自分がいてつらくて申し訳なくて。
もっとつらい人、苦しい人、自分で動けない人(未成年という意味で)たくさんいると思うんです。でもわたしもつらいです。 未成年の頃は、全て親の許可が必要な年齢、つらかったです。その頃を思えば、今はスマホで色々見れますし、自分で病院も行けますし、マシなんでしょうけど、、、。

「相手を信じられずつらい」という話とはずれますが、、、。
中学生の頃に、自分の家が何か違うと気づいてからは、学校で甘えさせてくれる人を見つけては依存していました。その人(先生やカウンセラー)がいれば落ち着き、お休みなら死にたくなる。

変わってる子はすぐにいじめられます。死ね、キモい、ウザい、汚い、無視、仲間はずれ、そんなのは毎日、それが普通でした。どんどん自分に自信がなくなり、人目が怖くなり、教室には行かない、と廊下をうろうろしては怒られる毎日でした。
受験生になれば内申を気にした子たちが何事もなかったかのように話しかけにくる。気持ち悪くて居心地が悪い、カウンセラーの人とたちと一緒にいたい、いろんな思いから教室に行かないと反抗する毎日でした。リスカもしましたし、カミソリを持ち歩くこともありました。

人目を気にし、自分に自信がなくて、誰かに甘える想像をして、、恋愛感情ではなく、ぎゅっとだきしめてもらいたいです。そのままでいいと言ってもらいたいです。
相手のことを信じたいです。信じたい大切な人たちを(恋愛感情ではなく)疑いながら生きてる自分が嫌すぎて、嫌われる前に死にたいです。いつ嫌われるのか、本当は嫌われてるんじゃないか、寂しくなるし、こわくてたまりません。死ぬ勇気も生きてく勇気もない、泣き虫で弱虫です。
毎日ぐちゃぐちゃな気持ちです。
他にも死にたい理由がありますが、長くなるのでやめます。

感想1
混乱している気持ちを素直に言葉にしてくださってありがとうございます。
文章からもまさに混乱しているのだなぁと伝わってきました。
人を信じたくても信じられないという感覚があり、それがなかなか抜けずに苦しいとのことですが、おそらく抜けないだけの理由があるのだろうと思います。あなたが意識していることよりもずっと傷ついたり、我慢したりしていて、自分自身を守るために安易に人を信じないように警戒しているのだろうと思います。
あなたが今苦しんでいる「信じたいのに疑いながら生きている自分」は長い間、麻痺をさせて我慢してきた本来の信じたい気持ちがようやく出てきたことによる副作用みたいなものだろうと感じました。そうだとすれば、今はつらいかもしれませんが、変わろうとしているあなたの力を信じてもう少し混乱と付き合ってもらいたいと思いますし、それを応援したいと思います。
また、ぐちゃぐちゃな気持ちや今回書けなかった死にたい理由について続編をお待ちしています。

感想2
実際どれくらい信じているかに関係なく、「本当はもっと人を信じたい」と願うことは一種の優しさではないかと思いました。
経験談を読んで、おそらくあなたは感性豊かで、いろいろな人間の感情に気づくのだろうなと思いました。だからこそ、ご自身の中でも気持ちが混乱しがちなのかなと想像しました。
いろんな気持ちが混ざって自分でもよく分からなくなることは、多かれ少なかれ誰にでもありそうですし、悪いことではないと思います。ぐちゃぐちゃなままでもいいと思います。
ただ、ネガティブな感情をひとりで溜め込むのはしんどいだろうなと思います。なので、死にたい、寂しい、怖い、不安などの気持ちになったときに話せる場所・相手を、身近に見つけてほしいと思いました。もし見つからないときは、ネットの居場所に来てください。というか、ネットの居場所にはいつでも歓迎します。
それと、そのままでいいと言ってぎゅっと抱きしめてもらいたい感覚は、私自身も感じることがあるので、とても共感しました。勝手にもっとお話を聞いてみたくなっています。

感想3
他人の言葉に裏があると言われ続ければ、素直に人を信じることが難しくなってもおかしくないと思いました。きっと、何かを言われると自動で言葉の裏を読もうとしてしまうのではないでしょうか。その状態でいじめによって自信を奪われては、人を頼れと言われても、かなり大変そうだと推測します。
それらの大変さをつくり出した要因は環境的な要因のように思います。あなたのせいではないので、とても理不尽だと感じます。今は中学生のころでいうカウンセラーさんのような方は近くにいるのでしょうか?

~感想を読んでみて~

感想ありがとうございます。 自分でうまく言葉にできない気持ちを、代わりに言葉にしていただいたところもあり嬉しかったです。
「副作用」という言葉は、なんだか少しだけ終わりがあるような気持ちになれますね。いつか人を信じることができる日がくるのかな、と。
その時は目と目を合わせて笑って話したいです。目を見て話すことが苦手な私は、会話が苦手です。でもネットは素直な気持ちを出せます。本当は身近に、目と目を見て話せる人やそういう人のいる居場所が欲しいけれど、まだ難しそうです。ネットの居場所が歓迎してくださるとのことで、よかったです。
そして様々なつらさは、自分のせいではなく、環境的な要因もあるかもしれないと思うと少し気持ちがラクになります。自分の性格がおかしいとしか思えなくて…。

長くなったので前回経験談に書かなかったことですが、私は発達障害と20歳頃に診断を受けています。その時は職場の支援もあり、大きく困ることは最初の頃だけだったので、精神科をそれ以後受診することも手帳を取得することもなく、6〜7年ほど過ごしていました。

ですが2年弱くらい前に、人身事故の関係ですぐに電車から降りられず、パニック障害を発症しました。パニックで精神科には通っていますが、相談やカウンセリングなどはほぼないところなので、毎回薬をもらうだけです。
パニックを発症してから少しお休みし、その後1年くらいは週1ペースで働きましたが、最終的には電車に乗ることができないため退職。半年ほど前に新しい仕事に就きました。(手帳は申請中です。)

今の職場では発達障害の特性が強く出て仕事に影響するため、信頼出来ると感じた上司(Aさん)に障害を話しました。支援の関係で、Aさんは他の上司数名にも(Bさんたち)障害のことを話しました。職場は支援してくれるとのことでした。
Bさんたちは、なぜか私やAさんの知らないところで多くの人に障害を話し、仕事内容を大きく変えることを決めていました。
いずれオープンにするつもりでしたが、知らないところで色々なことが決まり、障害のことや事実と少し違うことまでもみんなに話されるとは思っていなかったので驚きました。 そこで話を聞いた人は、役職のないほとんど私と関わりのない人にも伝え、噂話のような状態になりました。
何が起きたかわからず、もう誰も何も信じられない、あんなに絶望的な気持ちになったのは初めてかもしれません。 なにもしたくない、消えたい、死ぬことばかり考えました。ですが誰も悪くありません。良くしたいと思ってしてくれた事のはずです。でも気持ちはついていけません。 疑わずに信じる気持ちが、Aさんを通じて生まれかけていたのに、消えてしまいました。
今の職場でやっていけるのか、毎日人形のように過ごしています。頭と気持ちが一緒になるのは、難しいですね。

コメント1
返信くださり、ありがとうございます。また、追加の状況もお聴きして、絶望的な気持ちになったことがよくわかりました。
あなたもおっしゃっていますが、職場でのことはおそらく、相手に悪気があって追い詰められたのではなく、よくしようと思ってやってくれたことであるために、誰のせいにもできず、でも自分が置き去りになってしまった状況なので、もう絶望するしかない…と追い詰められたのではないかと思いました。

日本社会では残念ながら、社会的に弱い立場にいる人たちを尊重し一緒に考える発想ではなく、強い立場の者が弱い者を一方的に「助けてあげる」という発想が強くあるようです。(専門用語で「パターナリズム(温情主義、家父長制)」と言ったりします)
そのため、弱い立場の人が必要以上に後ろめたさを感じたり、押し付けられた善意に従わなければならなかったり、強い者がイメージする理想像に従わなくてはらなかったり、本末転倒なことが起こります。私自身、障がいをもつ子どもを育てた経験から、そうした無意識の善意の押しつけを感じて、対応に困ったり、途方にくれたりすることがありました。今も支援者としてそういった壁にぶち当たることがしばしばあります。
今の社会にそのような課題がありますが、もっと深刻だと思うのはそれに気づくこともできない当事者もたくさんいることです。
私は、あなたが今回「それはおかしい」「何で自分の関係ないところでそんな話が進むの?」と違和感を抱き、異議を言葉にできることに共感しますし、それは健康的な心の働きであり、ご自身の尊厳を大切にして生きてきている、生きようとしている証拠だと思いました。

ひょっとしたら、AさんもBさんも気づいていないだけで、あなたの本当の気持ち「他の人に話すときは、私にも相談してもらいたかった」「私のことを考えてやってくれたのはありがたいと思っているけれど、知らないうちに他の人に話されたのはショックだった」などと伝えたら理解をしてくれるのかもしれません。(それを伝えるか伝えないかはあなたの自由だと思いますが、お節介ながら、参考までに一つのアイディアとして伝えました)
少しでもこうした課題に気づくことができる人が増え、協力し合って、誰もが尊重し合える社会に向けて一緒に考えていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

コメント2
感想を読んでお返事をいただき、ありがとうございます。
いつか身近に居場所が欲しいけれど、今はまだ難しい…という時にも来れるようなネットの居場所があったらいいかなと考えていたので、活用していただけてよかったです。
職場での出来事についても、詳しく教えてくださってありがとうございます。
上司があなたのことを思ってしてくれたとしても、知らないところで仕事内容の変更を決められたり、障害について事実でないことまで広められたりするのは、対等な人間として権利を尊重されているとは感じられないように思いました。あなたが人を信じたいのに信用できなくなるのも頷けます。そうした状況では、毎日人形のように過ごすしかないと思いますし、辛い日々が続いていると想像します。あなただけが我慢して周りに合わせる必要はないはずです。
どうすればあなたに合った環境を調整しながら働けるのかなど、これからも一緒に考えていきたいので、よろしくお願いします。