私はどうしてこんなにダメなんだろう。
何でみんなが普通にやってることができないんだろう。
失敗をひたすら引きずってしまうし、いつも最悪の結果を想像してしまう。
死ぬのは怖い、でも消えたい。
最近、こんな思いがずっとぐるぐるしています。
昔から、父の顔色を伺って育った記憶があります。私が小さい時は厳しく、不機嫌が態度に出るような人でした(愛情を持って育てられましたし、感謝しています。それは断言します) 。何歳かはっきり覚えていませんが、とにかく父が不機嫌にならないように行動しようと子供ながらに思っていました。
小学校高学年では、いわゆる女子のグループに馴染めず、リーダー格の子に悪口を言われ(ている気がしていました。今でもそう思っていますが、本当のところは分かりません。私の被害妄想かもしれません)、保健室に行くことが多くなっていき、最終的にはほんの数日ですが家で泣き学校に行けなくなりました。
その後は無理してグループに合わせようとしたものの、興味のないことについていけず結局また気まずい思いをしたのを覚えています。
もちろんいい思い出もありますが、物心ついて最初の集団生活を全体的に挫折してしまった記憶が今も影響しているのかな、と最近思うようになりました。
中学校ではそれまでの経験から、なるべく周りに合わせるようにしました。部活は楽しかったし、友達もいました。ですが小中学校は今と比べて性格がかなりおとなしかったのもあり、ヒソヒソ話しているのがみんな自分の悪口を言っているように見えました。
小中学校ではみんなと違ったり、失敗するとクスクス笑われました(これも被害妄想かもしれませんが)。運動も今よりもっと苦手だったので、とにかく失敗したくない気持ちはここから、そして今でも心の奥底には健在のようです。
今でも些細なことで気に病む自分が情けなく、自己嫌悪です。
何でこんなに失敗ばかりで色んな人に迷惑をかけてしまうんだろう、みんながすぐに理解できることが何でできないんだろう。昔からずっと思ってきたことを、心の奥底では今でも思っていることに気付きました。
最初に父のことを書きましたがあくまで昔の話で、家族全員と仲は良いし大好きです。私のことを大切にしてくれる婚約者も友人もいますし、職場の人たちもみんないい人ばかりです。語学が得意で時々海外に行く楽しみもありますし、推しのアイドルもいます。なので尚更「こんな恵まれた環境で消えたいなんて」「沢山の人を悲しませてしまうし迷惑をかけてしまう。申し訳ない」と思います。
ここに投稿されている皆さんのお話を読むと、私のはただの甘えだとも思います。
それでも思いは消えませんし、絶対に人前にはそれを出しません。友人にも婚約者にも家族にも。とにかく人に迷惑をかけたくないんです。
今はそんな自分を何とか宥めながら生きています。
ここまで読んでいただきありがとうございます。乱文失礼いたしました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。自分の中にある思いや考えを整理するために書いているのかな?と想像しながら読んでいました。ご自身でも「些細なことでも気に病む」と表現してくれているように、幼少期のお父さんとの関わりなど考えると常に気を張りながら過ごされてきたのだろうなと想像しますし、周囲の雰囲気やちょっとした変化にも過敏になってしまうのは自然なことなのではないかなと私は感じました。
文章を読んでいて、投稿者さんは内省的で気持ちを言語化することができる方なのだろうなと思いました。自分と向き合うことをしている(無意識かもですが)からこそ、自分が辛い思いや苦しい思いをしたり違和感を抱いたとしても、”自分より相手がどうか”というようなことが優先される(それは投稿者さんの問題ではなくこれまでの環境によるものかなと感じます)ことで、「被害妄想かもしれない」や「顔色を伺っていたけど、愛情を持って育てられた」などのどこか遠慮がちな表現は自分がその時こう感じたということを素直に表現することに怖さがあったりするのではないかなと考えていました。(全然違ったらすみません)
今は投稿者さんにとって幸せだったり楽しいと感じられる環境だということ、それは良かったなと思いますが、傍から見て恵まれている状況だとしても、”死にたい”、”消えたい”と思うことが私は悪いことだとは思いません。身近な人に自分の思いを伝えることが難しければ、また良ければ死にトリにきて投稿者さんの気持ちを聞かせてほしいなと思いました。
感想2
自分のことをダメだと思う気持ちやいろいろなことに自信が持てず、迷い悩む様子が伝わってきました。そんな悩みを抱えながら日々過ごすのは苦しいだろうと想像しています。そして、一番つらいのは「絶対に人前にはそれを出しません。」ということではないのかと思いました。本当の気持ちを伝えられないことは苦しいことだと思いますし、それを一人で抱えることは想像以上につらいことだろうと思います。だからこそ、こうして書いて送ってくれたことに少しホッとしています。
「私のはただの甘えだとも思います」とありました。あなた自身が甘えだと感じる気持ちはよく伝わってきましたが、私自身は甘えではないと思いました。消えたい気持ちはその通りだと思うし、そう感じることにそれなりの理由はあると思いますし、本当のあなたの気持ちだと思うからです。その上で、周囲を気遣い、人に迷惑をかけたくないという気持ちや死ぬのが怖いという気持ちも、「そうなのか、そう思うのだろう」とそのまま受け止めたいと思いますし、それは正しいとか間違っているとか、いいとか悪いとか評価はできないものだと思いました。大切なのはそのような本物の気持ちを受け止め、どのようにそれに意味づけをして、自分のものにすることなのではないかと思っています。
「物心ついて最初の集団生活を全体的に挫折してしまった記憶が今も影響しているのかな」と書いてくれました。それが、あなたの意味付けだと思いました。ただ、一人きり意味づけをするのは孤独な作業だろうと推測しています。そのことによって寂しさや孤立感もあると思います。一人ひとりの気持ちや経験をそのまま受け止め、その意味づけをするプロセスを死にトリは一緒に考えていきたいと思っています。
これからもよかったら、死にトリに参加してください。