経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

言葉を取り戻したい、自分を大切にしたい

子供の頃から、イジメや虐待を受けて育ちました。イジメられていた時に親に助けを求めたことがありました。でも、返ってきた答えは「それは逃げだよね」という言葉でした。私から逃げたのは親も同じなのに、なぜ自分だけで解決しろということになるのか。全く理解できませんでした。それ以降から今に至るまで、私は助けを求めることを躊躇うようになりました。
 それでも、何事にも限界というものはやって来るようです。「困っているときに助けを求めること」は、生きていく上で大事なスキルです。20代半ばになってから精神科を受診するようになりました。今もあまり変わらないのですが、通い始めた時は「自分が何について苦しいのか、シンドいのか」が全く言葉になって出てきませんでした。せっかく通院しているのに、何も自分のことを話せずに診察が終わって、薬局に寄って帰るだけということに虚しさを感じていました。
 そんなある日、思い立って100均でノートを買って、とにかく今感じていることを書き殴るようにしました。それでも、どこか遠慮した書き方でしたが、診察日に主治医にそのノートを見せてみました。すると、「なるほど、これはなかなか言葉にしづらいよね」というような言葉をかけてくれました。その日以降、私の診察は、通院日までにあったことを書いたノートをもとにしてのやりとりをするようになりました。主治医が変わって、ノートを読んでくれることはなくなりました。でも、今もノートに書かれた私の日常をもとに診察でやりとりをしています。
 そんな中で、精神科入院を一度経験しました。寂しさと悔しさ先の見えない不安を抱きました。自分はもう生きていけないんじゃないか。そんなことを考えていたように思います。それでも、それまでに出会ってきた当事者の仲間たちとの繋がりを思い出しました。「自分を大切にすることを学ぶ時が来たんだ」という自分の独り言を自分で聞いたときに、涙が出てきました。何も解決していないし、生きづらさは残ったまま。それでも、なんとか生きていく道はあるはずだ。自分と他者の両方を大切に尊重することはできないか。 
 大袈裟なことですが、そんなことを初めて思いました。きっと、それまでに支えてくれていた人たちがかけてくれた言葉や、向き合ってくれた時のことが、私の中で少しずつ形になってきたのだと思います。退院してからも、生きるのは大変ですし、今でも「助けて」ということは苦手で、言えたとしても「もっと早く言ってくれればよかったのに」と言われることが多いです。
 他者を大切にしないと。他者に迷惑をかけてはいけない。と必死に思ってきたことも、少しだけですが減りました。もちろん迷惑をかけてやろうというわけではなく、少しずつ自分のケアや、自分がどうすれば生きやすくなるか、ということを考えるようになり始めました。
 正直、今でもわかりません。自分が考えていることがいい方向に進んでいるのかどうか。甘い、本当に大変なのはこれからだ。という思いに駆られることもあるかもしれません。それでも、今まで私は生きてきたし、生かされて、生きるチャンスを日々もらっていると思います。「良い話」風になってしまいましたが、私自身はまだまだ不安だらけです。生きるのは怖いです。それでもなんとか生きていく道はないか。手探りで歩いています。

感想1

いじめや虐待を受けていた子供時代に守ってくれる人がいれば…と悔しく思いました。一人で耐えるしかない環境で、自分の感情を抑え込んだりすることによってどうにか生きていたのかなと想像しました。
相手を大切にすれば自分を大切にできないけど、自分を大切にすれば相手を大切にできない、じゃあ当然前者を選ぶべき、といった感覚で生きていたのかなと解釈しました。ただそれでも、あなたの中に自分を尊重したい気持ちは子供時代から多少なりともあって、でも自分が尊重されない経験の重なりによって、ぺしゃんこに潰されていたのかなと想像しました。当事者仲間などとの関わりで、少しずつ風船に空気を入れるみたいに、自分を尊重する気持ちを回復させているのかなと思いました。
「自分と他者の両方を大切に尊重することはできないか」というのは大切な問題提起だと思いました。両方を尊重できているかどうか自信がなくても、まずはこの気持ちを持っていることで十分なのではないかと私は思います。
自分のケアができること、自分がどうすれば生きやすくなるか考えられることはすてきだと思います。ただ、それらを頑張りすぎて疲弊してほしくはないなと、お節介ながら思いました。自分を追い込んで努力することが板に付いているのかなと思ったからです。仲間と一緒に、真剣だけど気楽に歩いてもいいんじゃないかなと思います。ささやかでもかけがえのない喜びが投稿者さんに訪れますように。

感想2

とても読みやすく、なんとバランスの良い文章なんだと思って読みました。ノートにずっと書いてきたことの成果なのでしょうか、それともあなたの素直で誠実な性格がにじみ出ているのでしょうか。
読んでみて、自分自身が何者なのか、どのようにして自分があるのか、自分の苦しさや気持ちの訳を、理解したい強い願いが伝わってきて、その願いに対して諦めずに進んできた生きるスタイルのようなものを感じています。そして、自分という存在を周囲から切り離した存在としてとらえるのではなく、周囲の人たちや環境、過去の自分、未来の自分を含めて、つながりの中に存在する存在として捉えようとする思想のようなものを感じました。そうです。私が感じたのはあなたという存在から生じた哲学性です。考え抜き、悩みぬいたからこそ、生み出されたひとまとまりの生き方、考え方、大切にしたいことがとても伝わってきました。(今書いていて気付きました。ちょっとした発見をした気持ちで嬉しいです)
『「困っているときに助けを求めること」は、生きていく上で大事なスキル』と書いてくれました。学校の授業や研修会などでよく聞く言葉とも思えますが、あなたの文章からは実体験から綴られたリアリティをひしひしと感じます。そのスキルを子どものうちに身につけられるようにするにはどうしたらいいか考えています。
もしよかったら、一緒に考えてもらえたら嬉しいです。

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