ほめてもらいたいのに。

兵庫県 20代 女

私の夢は、何のことでもいいから、たくさんたくさんほめてもらうこと。えらいね、おりこうだねって言ってもらうこと。
でも私は無能。なんにもできない。
水泳にダンス、ピアノに塾。小さい頃からたくさん習い事をさせてもらった。いろんなことに一生懸命取り組むことにだけは定評があった。
でもピアノもダンスも学年相応と言われるものはほとんどできなくて、大体3.4学年下の子がしていることをするので精一杯、それを同級生にバカにされるのが常だった。
水泳は、水が顔にかかるのが耐えられなくて、学校で号泣していたら、行きなさいと言われた。水慣れのクラスに2年以上いることになった。水が怖くて、力を抜くことができなくて。自分より小さい子も進級して、3年生になっても小学生の子と一緒にさせてもらえなくて、幼稚園の子と一緒のクラスになって、母親に笑われた。小学校卒業までなんとか頑張って、それでもクロールがちょっとできただけ。
塾は小学校に入る前から通っていたけど、みんなが九九を言えても自分だけ言えなかったし字もまっすぐ書けなくて、中学校に上がっても、一回わからなくなると「3と5はどちらが大きい数か」もわからなかった。周りの友達にたくさんバカにされて、自分だけみんなと同じワークを使わせてもらえなくても、通っていた。
学校でも、吃音があったから声を出す時はいつもクスクス笑われるか、先生に怒られるか。歩き方を真似されて、喋り方をバカにした歌を作られて。テストが返って来ればみんなに見られて笑われて、体育、美術、技術家庭はいつも晒し者だった。
高校に入って、教室に入れなくなって、初めて支援学校に連れて行ってもらった(後からそれが就学相談だったことがわかった)。支援学校の先生に、頑張り屋さんなんだね、と言われて不思議な気持ちになった。私は何にもできないのになんで頑張り屋さんなんだろうと思った。結局教室には戻れず学校を辞めてしまった。母親には「私はあなたのことは諦めたから」と言われた。
通信制の高校に転校したある日、数学の先生にプリントを渡された。算数のプリントで、繰り下がりの引き算のプリントだった。それすらできなくて「まだ難しかったね、」と言われた。恥ずかしかった。社会のプリントは、あなたには難しくてできないから、答えを写しておいでと言われた。それでもすごく時間がかかって、漢字が写せなかったり段を飛ばしたり、間違いだらけ。「これもできないんだね」と言われた。悲しかった。体育は、2人組でボールを蹴る練習をする時に、「あなたは先生と一緒にしようね」と端っこに連れて行かれて、ボールを手で転がす練習をしていた。周りの視線が痛かった。
不謹慎だけど、支援学級の子が羨ましかった。いつも先生が横についてくれて、わからない時や困った時に助けてもらえたりしてた。何より、支援学級の子はみんなに優しくしてもらっていた。私は、人の何倍も時間かかって1人でやっても、どれだけ必死に努力しても人並み以下しかできない、怒られるか、バカにされるだけ。もしかしたら、私はすごく頑張っている気が勝手にしてたけど、本当はすごく怠け者だったのかな。それなら、ほめてもらえないのは仕方が無いのかもしれない。

感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
たくさん習い事をさせてもらえたとのことで、色々なことに一生懸命取り組んでこられたのだなということが文章から伝わってくるなと思いながら読んでいました。習い事の内容はどれも親御さんが決めたものだったのか、複数ある中のいくつかは自分で選んだものもあるのか気になりました。頑張っても結果が出なかったり、周囲からバカにされたりというのが繰り返されてしまうことで、最初は好きだと感じたり頑張ろうと思えるものも、段々苦手に感じて苦しくなっていってしまったりしたのではないかな?と考えていました。
できないこと、苦手と感じるものがあるというのは誰にでもあることだと思います。でもそれが集団になるとどうしても優劣が出てしまったり、できないこと=恥ずかしいこと・良くないことといったような評価を下されてしまうことがあるのは私は納得がいかないなと思いますし、投稿者さんが「結果」を出すために頑張ってきたことに目を向けてくれる人が周囲にあまりいなかったのも、それだけみんなが”できないこと=恥ずかしいこと・良くないことといったような評価”が当たり前の価値観である社会なのだなと改めて思いましたし、投稿者さんと同じような思いを抱えた人はたくさんいると感じるので、機会があれば一緒にどうすればそういう社会でなくなるのかなど一緒に考えたいなと思いました。
投稿者さんにとって少しでも楽しいと感じる時間や周囲のことを気にせずに過ごせる時間ができるといいなと祈っています。良ければまたいつでも死にトリにきて、投稿者さんの声を届けてほしいです。

感想2
これまでの悔しい気持ち、悲しい気持ちを素直に書いてくれてありがとうございます。とても真っすぐで、自分の気持ちに正直で誠実な人柄が伝わってきました。
あなたの経験談を読んで、この世の中はどうしてこんなにも画一的な結果だけで安易に人を評価してしまうのだろうと悲しくなりました。本当は人が褒められたり、認められたりする要素は無数にあるはずなのに、多くの人が「できるかできないか」「上手いか下手か」など、非常に限られた物差しで判断してしまいます。それは、人の多面的な魅力を否定して、成長を阻害する愚かなことのように感じています。
あなたは最初の一文に「たくさんほめてほしい」と書いてくれました。私はそれを読んで、あなた自身が実は自分をほめたい気持ちを持っているのではないかと思いました。一生懸命に自分なりに頑張ってきたこと、取り組んできたこと、楽しいこと、好きなことその価値を知っていて、それが周囲に理解されないことが悲しかったのだろうと思ったのです。
だから、自信を持っていいと思います。自分自身を認めようとする気持ちを持ち続け、この経験談を書いたと感じたので、その姿勢はきっとあなたの一番の味方になると思います。自分をほめることはとても難しいですが、成長にとって大切なことだと思っていますし、その気持ちがあれば、わかってくれる人も出会えるように思います。
死にトリはいろいろなたくさんの見方や考え方で、一人ひとりを応援したいと思っています。私はほめるのはあまり得意ではないですが、経験談に表現されたあなたの考え方や感じ方、そして生きかたに大いに賛同しています。そして、こうして死にトリに参加してくれた
ことに感謝しています。また、よかったら来てください。