京都府・20代・女
だらだらとした文になると思います。
寝不足が治ったら大丈夫だと、気力ややる気も元に戻ると思っていました。
睡眠導入剤を内科で処方してもらって、寝ることはなんとかできるようになったんですけど、ドロっとした物が払拭されなくて。
常に消えたいなって思考が頭の隅にあるんですよね。
寝る前とかは特に、ドロっとしたなんかが、身体を覆っていくような感じがしてます。
中学生の頃から漠然と死にたいなと思うようになりました。おそらく、部活内のいじめのローテーションが原因だと思います。ずっと自分が標的にされてたわけでなく、順番に標的が変わっていくタイプのものでした。
中学生の頃のは、中学生の時に終わったんですけど、それ以降も線路に飛び込んだら、迷惑料はいくら取られるんだろう?とか、日本じゃなければ拳銃とかの流れ弾で死ねたかもしれないのにとか、不謹慎で申し訳ないんですけど、自然災害が自分の元にのみ起きたりしないかなとか、、、
自分で死んだら周りが迷惑しちゃうっていうのは重々承知してるので、誰か突然道端で刺してくれないかなと思ってみたり
なんか、心臓発作とか自然死でいきなりとかないかなと考えて10数年経ってるんですけど、なかなかないもんですね。
交通事故も1日に10人の方が亡くなってるっていう統計見て、なんで私じゃないんだろう?って、生きたい人がいただろうに、いくらでも代わるのに
別に生活に困ってるとかでは無いんです。
コロナ禍で給料は落ちてますけど、生活が出来ないほどではなく、家族も元気に暮らしてます。
愛されてないとも思わないんですけど、
かといってこういった気持ちを相談しようともならなくて、、、
心配をかけたくないっていうのと、私はこういう人間じゃないと思われなくちゃいけないなとずっと家族の前でも演じてる感じがしてて
「世界一長生きするね」が小学生の頃の口癖で
親からも「あんたは、心臓に毛が生えてるような人間でしょ」って言われてます。
人からは明るいとか、おっちょこちょいとか何も考えてなさそうって言われることが多いです。
そうしなきゃなとも思います。
ただ、最近全然上手くいかなくて
仕事が嫌いではないんですけど、仕事のことを考えると頭痛がしたり、職場の子どものことも大好きだったはずなのに、考えると上手くやれない自分の不甲斐なさに涙が出てきたり、、、
明後日も仕事があるから、頑張って準備しないといけないんですけど、手につかなくてずっと数独して1日を終えてしまいました。
もう訳が分からないんです。仕事は好きなはずなんです。大学で朝の8時半から、夕方6時まで自習室で勉強してボランティアも行って、教授にガミガミ言わて泣きながらもなんとか面接練習して、運動音痴だから体育館で後転の練習して、なんとか試験に1発合格して、親にも「バカじゃなかったんだね」って認めてもらえたのに、、、
なんで楽しくないんでしょう?
努力が足りないんでしょうか?
頑張らないといけないのに、わかってるのに、体がなんか思うように動かなくて
夜も寝たいのに寝ないと次の日しんどいってわかってるはずなのに、なかなか寝付けなくて、食欲も最近湧かなくて、口に無理やり突っ込んで、前までしてた数分の筋トレも続かなくなって、体がダレてるのが目に見えるのも苦痛で、明るい私で居たいのに笑顔作るの難しくなって、相手に配慮のないような言葉投げてしまって傷つけて、婚約者にも突然別れ告げられて、きっと愛されるような人間だったらこんなことないはずなんですよね。
ある日突然フワッとシャボン玉みたいにパッと消えちゃえないかなって。元から存在してなかったみたいな、そんな感じで。
だらだら、失礼しました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。最初のほうに書いてありましたが、「ドロっとした」という表現から、どこかずっとスッキリしない状態が続いているのかなと想像していました。死にたいと思うようになったきっかけは中学生の頃にあったとは思いますが、幼少期から”ありのままの自分”というのを出すことのできない、周囲(特に家族)の思い描く自分でいなければならなかったことによって、生きることに疲れてしまっているところもあるのかな?とも感じました。シャボン玉みたいにパッと消えることができれば、誰にも迷惑をかけなくて済みそうだからそういった表現をしたのかな?とも感じました。
色々な場面でこれまで”こういう私でいなきゃならない”というようなことを思うことがたくさんあったのかなと感じるのですが、投稿者さんにとって何をしている時が一番気を遣わずにいれる時間なのかな?と気になりました。(もしかしたらそういう時間がないかもしれないですが・・・)また、「そうしなきゃ」と思ってしまうということは、ありのままの自分を出すことによって失望されてしまったり相手の期待を裏切ってしまうことへの恐怖や不安などもあったりするのかな?と考えていました。
上手くいかないと感じてしまうことが続くことで、負の連鎖から抜け出せなくなってしまうような感覚というのか、分かっていてもできないということが私自身もあるなと思いながら読んでいて、今は出来る限り少しでも自身を休める時間を作ってほしいなと思いました。「明るい私でいたい」と思うのは果たして本心なのでしょうか。明るくいられない時まで無理して明るくいる必要なんて私はないと思います。
心配かけたくなくて相談にはなかなか踏み切ることができないようですが、身近な人でなくても匿名でSNS相談や電話相談などもあります。そういった場所で、普段は外に出せない抱えている素直な思いや考えをお話してみるのもどうでしょうか。もちろんそういったところに話すのは・・・と抵抗がある場合は、また死にトリに投稿者さんの声を届けてほしいです。
感想2
シャボン玉のようにパッと消えることを想像してみました。最初から存在がないことになるなら、誰にも迷惑もかけませんし、困らせる心配もないので、そう願いたい気持ちがわかる気がしました。「ドロっとした物」と書いていましたが、私にはあなたの周囲をぼんやりとした霧のような、膜のようなものがかかっていて、麻痺しているような、ひりひりしているような感じに思えました。何だか、とても疲れているように感じたのです。
周囲から言われていることから考えてみると、あなたはひょっとしたらいつも明るくふるまって、全力で頑張って、無理をし続けてきたのではないだろうかと思いました(違っていたら、すみません)。
周囲に、少しでもあなたの本心をみてくれる、わかってくれる人はいそうですか。抱えてきたものを少しでも吐き出して、受け止められれば何か違うのかもしれないと感じました。少なくとも、こうして経験談を書くという行為はあなたにとって必要だったからこそ、書いてくれたのだろうと思っています。
簡単ではないかもしれませんが、少しでも休めるのなら、休むことができたらなぁと思いました。でも、それは難しいかもしれないので、せめて気持ちを書いて外に出してみると、ドロっとした物の正体が少しでも解明できるのかもしれないと思っています。
よかったら、死にトリにまた来てください。