私の”死にたい”の原点(と酒が嫌いな理由

39歳

体験談募集ということで、これを機に私が何故死にたいと願う状況になってしまっているのかを振り返りたい。これを以て今後の私の生き方に光明が差すことを祈りたい。

私がオカシクなった始めは、高卒社会人一年目。
慣れ親しんだ地元を離れ、まずは新入社員全員を集めた一か月の研修に入った。慣れない土地で、知らない人間達と一か月の共同生活をするのは初めてで、ストレスがかかっていた。一人になってリフレッシュする時間が必要で、よく一人で外出していた。
同期の連中の半分とは親しくなれたが、もう半分とは親しくなれなかった(喧しい連中で嫌いだった)。
研修期間が終わり、赴任先は遠く二県に分かれることになる。
私は嫌いな同期達と同じ赴任先となる。親しくしていた者たちとは別れる。馬の合う奴ばかりであったので私はとても落ち込んだ。嫌いな連中と、知らない土地に行かなければならないことに落込みは酷かったが、どうにか寮生活に入った。

入寮して間もなく、新入社員歓迎会が開かれた。どの課へ所属するかは分かってはいたが、本格的な実務はまだであり、これが同僚との初顔合わせである。私は指定された時間通りに会場である寮の多目的室へと向かう。

「おいごらぁ!なに新入社員が最後に来とるんだ!!なめとんのかぁ!!!」

私は心底恐怖した。新入社員””歓迎””会という事であったから、とても歓迎されるのだと嬉しく思いながら向かったのに、会場に入った途端の恫喝であったから酷く動揺したのを覚えている。しかも同僚の面々は私達を待たずもう酒を飲み出来上がっていたようで、私が席について間もなく、とある一人(酩酊)に髪の毛を強く掴まれ引っ張られ、

「お前なに考えてんだ!?上司を待たせるとか、ふざけてんのか、あ?」

睨みつけられ殴られんばかりの勢いでしたが、近くの方が諫めてくれて事なきを得ました。が、その人は私に言う。

「お前(私)が悪いから謝罪しろ」

大勢の前で大声で謝罪しました。で、気づく。あぁこれは””歓迎会””ではないのだと。

新生活のこととか、同期との関係の事とか、同僚との関係のこととか、仕事の事とか、一杯一杯だった所から溢れてしまった。会が終わってから悲しくて苦しくて、でも誰にもその気持ちを訴えることが出来なくて。

”初めて自殺を図ろうと考えたのはこの歓迎会が終わってすぐの時です。”

ここから、それぞれの課へ配属されますが、まぁ楽しくもないし、やりがいも無かったです。業務内容も難しいもので、分からないから質問しても「聞く前に自分で調べろ」と言われ、資料室で膨大な資料を探すところから始めます。新入社員の私には何処になんの資料があるのかも分からないのです。よしんば資料らしきものを見つけても、どこに知りたい情報が載っているのかが分からないし、内容もよく分からない。「こんなことも分からないのか」「ちゃんと調べたのか」「俺に聞くな」…もう毎日パニックでした。

課の親睦会として飲み会を月に一回以上はセッティングしなければいけませんでした。私は毎回幹事として強制参加です。拘束時間はとても長く、夕方6時くらいから朝6時くらいまで私は付き合わねばなりませんでした。上司の好みの酒を覚えて作ったりしなければなりません。上手く作れないと怒られました。当時未成年の私(高卒新人19歳)であってもお酒を飲まされます。記憶を無くすほど飲みました(ヘタしたら死んでたんじゃないかと思うほどに)。飲めないとはいえません。飲めば飲むほど強くなる理論(?)のもと、飲まされました。私が今現在において酒と飲み会を嫌悪しているのはこの経験があってのことです。

だんだんと寮の自室に引きこもることが増えてきました。大袋一杯の菓子と大ペットボトルのジュースを大量に買い込んで胃に詰め込んで嫌なことを忘れようと過食。寝る時間がどんどん遅くなり、朝方まで起きて朦朧とする意識の中で栄養ドリンクで意識をごまかしながら出勤、トイレに行くと言って個室で寝たりしてました。

そしてとうとう、自室から全く出れなくなってしまいました。朝が来て出勤できない。暫くして一年上の上司(先輩と言ってはいけない)が部屋を訪ねてくれましたが、出るのが恐怖で布団の中でガタガタと震えていました。

そこからは、病院に行き、鬱病と診断され、あれよあれよという間に、休職することになり、実家に戻り、退職することになります。
現在も「死にたい」ですが、息を吐くよりも多く「死にたい」と考えた続けたのはこの時が一番多かった。何をしていてもどこにいても「死にたい」でしたから。

やはり、私の「死にたい」の原点はここにあるのだと再確認した(再確認はしたけど、どうしたものか…)。

この先も働いたり辞めたり(病めたり)を繰り返して、今現在はまた無職。数えきれないくらい死にたいと願い、計画的に自殺を図ろうともしてきたが出来ない。
今日もまたふと死にたいと願い、それが出来ないことを嘆き、苦しみながら生きていく…というのがもう嫌だ!

喜楽に生きたいだけなのに。

感想1
経験談を読みました。一人になってリフレッシュする時間が取れれば、人と関わることは嫌ではないタイプの方なのかなと想像しつつ読みました。また、人間関係や仕事についてどのような考え(こうしたい、こうすべき、など)を持っている人なのだろう、新卒で入った会社でのハラスメントによってそれがどう変化したのだろうと気になりました。
親しくなれた同期と嫌いだった同期がちょうど半分ずつだったというのが、どうしてなのか、偶然なのか、そんなこともあるのだなぁと思いました。
会社であれ、どんな集団であれ、新しく人を迎え入れるときに、歓迎されるのだと期待するのは、ごく自然で正当な感覚だと私は思います。でも全員の前で怒鳴られ責められたら、歓迎されていないと思って苦しくなっても、その中に言える相手がいないと思うのも無理はないし、耐え切れずに自殺を考えたというのもおかしくないと思いました。もし会社以外で何かしら人との関わりがあったりすれば、連絡して逃げ込めるような安全基地になったのかもしれませんが、知らない土地で、初めての仕事で、そうしたつながりもなかったのだろうと思います。それに人を頼って生きようとする気持ちも、自分の安全を優先して考える余裕や自尊心も、削がれていたのかなと想像します。だから、自分の部屋にこもって出られなくなるのも自然なことだと思いました。
今は一旦、仕事を脇に置いて、あなたが安全だと思える人とのつながりを探してみてもいいのかなと思いました。

感想2
経験談、読ませてもらいました。職場での話、どれくらい前の記憶かは書いていませんでしたが、非常に臨場感があり、リアルな表現でそれだけ強く脳裏に焼き付いているのだろうと想像しました。こうした職場の実態は聞いたことはあっても、実際に見たことがない私にとっては、ただただ、こんなことがあっていいわけがないと大きな驚きや落胆を感じました。
上司の言動は見事なまでのパワハラですし、お酒の席の強要もあまりにもひどく、これだけのハラスメントを経験したのですから、死にたい気持ちになったり、パニックになったり、ひきこもってしまうのは無理もないと心から思いました。
最初に「これを機に私が何故死にたいと願う状況になってしまっているのかを振り返りたい」とありましたが、自分なりの振り返りはできたでしょうか?そして、「これを以て今後の私の生き方に光明が差すことを祈りたい」ともありましたが、何か光明は差したでしょうか?この経験談を読んで、同じような経験をした人は自分だけではないと思ったのかもしれませんし、その上で、自分が受けた経験は理不尽だった、そして自分のせいではないと思ってもらえるのなら、他の誰かの光明になる可能性があるのではないかと思いました。
会社に勤める前は楽しいこともあったのではないかと想像していますが、今、それを思い出して少しでも自分らしくいられる場所や方法を見つけられたらと願っています。

【感想への返信】
ご感想頂きありがとうございました。
今回の内容はおよそ20年前の出来事です。ようやく他人に話せ感想を聞けるほどには落ち着いた感じですが、それでもしんどいものがあります。
初社会人としてのこの経験が後の私の働く考え方に与えた影響はとても大きいもので、この体験以降、私は労働と会社と社会と人間に恐怖と侮蔑の念を持ち続け正規雇用(正社員)として働くことを忌避し続けております。
このような信念を強くし続けてきたわけですから、それと相反する人達との縁は切れ友とよべるものはおりません。身を寄せている両親がいる実家においても年々居づらさが増しているような感じです。
私が働くのが苦しいと生きるのがしんどいと吐露してみた所で「苦しくても働かないといけない。働かないと生きていけない。生きるのがしんどいのは働いていないから。お金が無いとしんどいぞ」と、私の苦しい思いは、”苦しいのだったら働け”くらいしか返答がないものです(お前だけでなく私だって苦しいのだという不幸自慢にすり替わったりもする)から、私の悩みは発したらいけないものなのかと落胆し、私はこの世界では生きられないのかなと思っています。
フリーターであっても働くことへの嫌悪感は増すばかりで、働いて辞めての繰り返しです。辞めてリフレッシュともいかないのが辛い所。逃げ場がない感じ。今現在無職ですが、もう働く気力も大分失せてきました…というかもう働きたくありません。自分を殺すことも出来ないので、死んだように生きてまいりましたが、どうにか喜楽にいけないものか…。
振り返り、自分の生きづらさの原点のようなものに気づいた。多種多様な存在との調和を求めるきっかけになったが、なかなかにこの社会は難しい。
一筋の光がたまに見えようとも、それが広がりを見せてくれることは未だにない。
それでも自分自身でどうにか出来ると信じたい。