父からの殺意

静岡県

母子家庭・精神科通院中
私が上手に生きていけなくなったのは、父とのことが大きいと思っています。2歳から10歳まで父から暴力を受けて育ちました。
人生で一番古い記憶は、父に包丁を向けられている記憶です。それに至った経緯は分かりませんが、たぶん私が父の機嫌を損ねてしまったのでしょう。それが全ての始まりだと思うのです。それから少しずつ、私の世界は不安定さを孕んだのです。
小学生にあがってからは、生きていくことに必死でした。父に殺されてしまうのではないか、その恐怖が付き纏ってくるのです。父に怒られたことは徹底してやめました。言われたことは、できる限り実行しました。喋るなと言われたら、家でも学校でも喋らない。目が気に入らないと言われたら目を隠して生活します。死ねと言われたならば死ぬ方法を考えて出来るだけ実行するようにしていました。あるときは、殺虫剤を吸って病院に運ばれたこともあります。そうしなければ、父に殺されてしまうと思っていたからです。
そうやってなんとか生きてきて、10歳の誕生日の日、本当に父に殺されかけたのです。死ねと殺してやると叫びながら私の首を締め付けてくるのです。抵抗なんかしませんでした。抵抗する気力なんか残っていなかったからです。やっと、私を殺してくれるんだとそんなことすら思いました。その日、私は本当に父は私を殺す気なのだと痛感しました。
結局、その年の夏休みに両親は離婚し、私は母方についていったことによってその生活に幕が降りました。その後、中学1年の秋に父と再会したのです。それから、昔のことが出てくるようになり、眠れなくもなって学校に通えなくなりました。高校は通信制高校に通ってっていますが、高校でも上手く通えず休学をしています。
父は何故私に殺意を向けたのか。その疑問が私を支配しています。一生答えの出ない問いなのかもしれません。それでも、殺意を向けられたという事実が理解できないのです。

私は生きるのが下手です。すぐ、日常が成り立たなくなります。食事も入浴、睡眠もろくに出来ません。精神科に通っていても、カウンセラーさんを信頼できない、担当医も信用できず、本音なんて言えません。人として欠陥だらけです。それでも、私は私として私なりに生きていこうと思います。

すごく読みにくい文章だと思いますが、誰かの目に留まって読んでいただけたのなら幸いです。

感想1
文章の書きぶりから、とても聡明な印象を受けました。客観的に、慎重に様子を見たり、状況を整理したりすることが、生き延びる技術の一つだったのだろうか、と勝手な想像が湧きました。
「父に殺されてしまうのではないか」という恐怖はとてつもなく大きく現実的であり、安全など世界のどこにもないように感じられたのではないかと思いました。
「私は私として私なりに生きていこうと思います。」という言葉が力強く響いています。この気持ちが何かによって支えられているのだろうか、それともそう言い聞かすことであなたが自分を支えているのかな、と気になりました。
文章を丁寧に紡いで送ってくださって、ほんの少しかもしれませんが、あなたの経験に向き合う機会をいただき、ありがとうございました。

感想2
非常に状況を広く深く理解をしていて、そして冷静な印象を受けました。あなたが経験したことを考えると、それはいつも危険と隣り合わせで緊張をして生きてきたことによる、無我の境地のような達観に近いのかもしれません。「私は生きるのが下手です。」とありましたが、文章からは生きるのが下手である人とは思えませんでした。うまい表現が見つかりませんが、非常に自分に対して正直で、不器用かもしれないけれど、誠実であるがゆえに日常のことがうまくできないだけではないかと思ったのです。日常のことが問題なくできることがうまく生きることだとすると、生きるのが下手かもしれませんが、恐ろしく、理不尽な仕打ちを受けても自分である感覚を失わずにいたからこそ、心身の不調という形でサインが出ているのではないかと思い、それはうまく生きてきたことでもあると私は感じました。
「本音なんて言えません」と書いてありましたが、この経験談では本音は言えましたか?もし、少しでも本音を言えたとしたら、もっともっと本音を書いてもらいたいと思いました。また、本音を読んでみたいと思いました。死にトリは本音をいつでも待っています。