経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何のために生きてるの?

23歳 女 生きるモチベがありません。
小学校や中学校では生徒会活動等をやるような活発な人間でした。しかし人生が変わったのは中学校でのいじめだと思います。中2の時に同級生と担任からいじめられ卒業まで続きました。でもいじめよりも何より辛かったのはいじめられている時に味方になっていてくれた信頼していた女友達が裏でいじめの主犯だったという事実でした。事実に気がついたのはもう中学を卒業してからすぐの事だったので、とにかく悲しくて悔しかった。「もう友達なんて信じない」そう決めた高校生活では人間不信のせいで友達も出来ず、自傷も止まらなくなりました。その先の短大でも友達が出来ませんでした。出来なかったというより作ろうとしなかったの方が正しいのかも知れません。とにかく人が大嫌いで関わることを避けてきた、集団の中に入る事が苦手だった私は短大の授業にも泣いて出席することができず人と関わる場面も少なく対人恐怖症が悪化したまま社会人になってしまいました。
私の家庭は両親がとても仲が悪い家庭でした。母は父に対して気に食わないことがあると叩いたり蹴ったりします。それは私に対してもありました。小学校の低学年から食事や洗濯等の家事は私がやって当たり前、完璧にこなせていないと母からの怒鳴りや暴力は日常茶飯事でした。でも友達のいない私にとってはこれが一般家庭でみんなも同じ事をやっていると思っていました。お弁当なんか作ってもらった記憶はありません。母は「人を頼るな、自分で何とかしろ」が口癖だったので、どんなに辛くても自分が我慢したら、、、と他人に対しての頼り方が今でもわかりません。
社会人になりすぐ一人暮らしをしました。学生時代に頑張って貯めたバイト代で母親から離れられた事はとても嬉しかった。けれど、結局辛い時に人に頼ることが出来ない、人が怖いという気持ちは治ることは無かったので仕事も長くは続かず転々とする生活でした。何個も精神科を周り薬を飲んでも自分の理想としている仕事をきちんとこなし私生活も充実しているという姿にはなれず仕事が続かないのは職場が合っていないだけと思い転々とし続けて1年半が経った時、ついに心が折れてしまって頭を床や壁に打ち付ける自傷が止まらなくなりました。結局は職場が合っていないのではなく、人とのコミュニケーションが全く取れず人も頼れない自分の性格に気がつけていなかっただけでした。夜間の精神科に駆け込み薬をもらい気がつけば社会不安障害(社交不安障害)と診断され一般職への就職はドクターストップがかかりました。
現在は病院に通院する中で助けようとしてくれる方は沢山います。でも「自分が頼ることでその人に迷惑じゃないか」「相談したいけど相手の時間を奪ってしまうのが申しわけない」「自分は一般職で働けない出来損ないだ」「結局周りの人も裏切るのではないか」「嫌なことがあっても上手くスルーが出来ず発散が出来ないため溜まってしまう」「良いことなんてひとつも無いのになぜ生きなければならないのか」自分へのレッテル貼りが止まりません。1人でいたら不安が襲ってきて外に出ても人が怖い、居場所がありません。
みんなはどうして生きていられるのですか?生きるモチベはなんですか?

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
中学生の頃のことがきっかけとなり投稿者さんの、人と関わる上での考え方や価値観などが大きく変わり、自分に対して前向きな捉え方ができなくなってしまったのは無理もないことなのではないかなと私は感じました。信頼していた女友達がまさか主犯だったということを知った時の気持ちは想像以上にショックだった(それ以上に言葉では表現できないくらいの感情を抱いたかもですが)ことと思いますし人間不信にもなってしまうよ・・・という気持ちにもなりました。
また、家庭内も決して安心のできる場所ではなく常に緊張感と隣り合わせで毎日過ごされてきたのではないかなと想像していました。お母さんからの怒鳴り声や暴力は日常茶飯事とあり、そして他の家庭がどうであるのかも分からないとなると、辛さは確かに感じてはいるけどそれが当たり前となり感覚もどんどん麻痺していき、SOSの出し方も自分が何に辛いと感じているのかさえ見失ってしまっていたのではないかなとも想像しました。
人に頼るということができない中でも、夜間の精神科に駆け込んだというのは投稿者さんにとって大きな一歩だったのかもしれないなとも思い、そうせざるを得ない状況だったのかもしれませんがその時の心情はどういうものだったのか、良ければもう少し詳しくお聞きしたいなと思いました。
「何のために生きているのか」「生きるモチベは何か」は正直私自身も分からないまま日々を過ごしています。どういう状況だったら、どういう状態が投稿者さんにとって少しでも安心感を抱けるようになるのか、他の人たちはどうして生きていられるのか、そのあたりのことを機会があれば一緒に考え深めていきたいなと思いました。

感想2

いじめはニュースでも、インターネットでも、また身近にもよく聞く話題ですが、同時に人にとても大きなダメージを与えるものだということを感じます。なぜこんなに人を苦しめるものが、こんなにもなくならないのかと考えてしまいます。
投稿者さんはもともと活発な人間ということで、人と関わることも好きだったのかもしれないと想像しています。でもいじめの間に味方になってくれていたと思っていた友達が実はそうではなかったことからも、人を信じることが難しいと感じるようになったのも無理はないと感じました。
そして、その状況を変化させるためにはなにが必要だったのだろうと思いました。人は不完全なもので、ときに悪意を持ってしまうこともあると思います。集団であるときにそれが助長されることもあると思います。でも、それを人にぶつけなくてもいいやり方はあるのではないかと思います。ただ、教員も余裕がない教育現場では、人の距離を適切に保つことがむずかしい場合が多いのかもしれないと思いました。
また、家庭でも両親の不仲を見ていて、また投稿者さん自身も母親さんの思い通りにしないと暴力を受けるという中では、人と信頼関係を築くことをイメージしづらいように思いました。「他人に対しての頼り方が今でもわかりません」とありましたが、それを学ぶ機会が少ない中生きてこられたのだと思います。(それはもちろん投稿者さんのせいではまったくありません)
投稿者さんにとって、人との関わりがつらいもので、仕事でもうまく関わりづらかったのだと思います。「現在は病院に通院する中で助けようとしてくれる方は沢山います」と感じている一方で、でもそれを頼っていいのか、信じていいのかわからない、頼れないとも感じているのかなと想像しました。
人に頼れるなら、それは自分自身を生きやすくさせる力になる場合も多いとは思いますが、それがすべてでもないとも感じますし、すぐに頼れるようになろうとしなくてもいいのかもしれないと思いました。
ただ、「良いことなんてひとつも無い」と感じるのはしんどいと思いました。投稿者さんが好きなものとか、落ち着く音楽とか、好きな景色など、なにか一つでも投稿者さんの安らぎになるものがあればいいと思います。それが「生きるモチベ」と呼べるようなものになるかはわかりませんが、投稿者さんが少しでもつらくない瞬間があることを祈っています。

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