奈良県、47歳、女性
私は、幼い頃から母親に厳しく育てられてきました。時には手を出される事もあり、家庭や母親が大嫌いでした。
でも、当然そんな事を誰かに話すことなく、自分だけの秘め事として生きてきました。
そして、中学生になるまでは母親の期待とおりに勉強も頑張り、毎年学級委員にもなり絵に書いたような優等生でした。
思春期になり、友達の家庭と自分の家庭の違いを感じ始め、自分はダサいと感じ、急に無気力になってしまいました。また、中学時代に故意ではないけれど大きな裏切り行為をしてしまい、自分はずるい最低な人間だと深く自己嫌悪に陥ってしまいました。その出来事も手伝って私はますます無気力で劣等感が強くなり、死にたい消えたいと感じながら中学時代を過ごす事になりした。
その後も、高校進学、短大進学、就職など人生の節目にはダサい自分をリセットしようと試みますが、そもそも人間関係を作る事が下手なので生きづらいまま時だけが過ぎていきました。
人並みに結婚にも憧れ、出逢いも何回かありましたが、わたしの心が冷めて頑なで結果的に振られてしまい恋愛もうまくいきませんでした。
仕事、恋愛両方ともうまくいかなくなりパニック状態になり、精神科を受診しようとしたら母親に大反対されました。母親は結婚さえすれば全部まるくおさまると考え、私に了解せず結婚相談所に申し込んでしまいました。適齢期の娘を心配してやってくれたのでしょうが、とても腹立たしく思い、これまでの母との関係性も手伝って実家を出ました。
その後、カウンセリングを受けましたが、自分が自覚していた以上に母親との関係性に歪みがある事が分かりました。私は母親に反発しつつも逆らえないような強い洗脳のような状態にある事が分かり、今まで人生をうまく運べなかったのがなぜかが分かり、絶望的な気持ちになりました。
カウンセリングを受けたり、心理学の本を読んだりしながら、今現在は自身と向き合ってきている途中です。以前よりは楽に考えられるようになったものの、人間関係を築くことは私にとっては難しく、ストレスを感じたり、自分に嫌悪したりを繰り返しています。
私の人生の3分の2以上はしんどさで、生きづらさは長く続いています。
感想1
家庭や学校などで経験して感じたことを言える相手がどこにもいなくて、たくさんのことを「自分だけの秘め事」にしてきたのではないかと想像しました。それでは、誰かに理解されたり状況が変わったりする見込みもないため、死ぬことや消えることしか逃れる方法がないという発想になったのだろうかと思いました。
投稿者さんは自分なりに変化を求めてできることをしようとしてきたのだと思いますが、誰か理解や協力をしてくれる人には出会えず、カウンセリングが初めての機会だったのかなと思いました。カウンセリングを通して感じた絶望感は、中学時代の死にたい消えたい気持ちとは異なる種類のものであるように思えました。他の誰か、自分の身に起きた出来事を共有して語り合える人(ここではカウンセラー)がいる状況で感じる絶望と、それがいない状況で誰にも見向きもされず感じる絶望は、同じと言えば同じだけれど、かなり違うように思ったのです。
この経験談が、初めは「家庭や母親が大嫌い」から始まっているのに、途中から「自己嫌悪」に変化していて、それは、家庭や母親ではなく自分に目を向けるようになったからなのか、色々理由があったのかもしれないと想像しました。
ここに書かれているのは、他の誰でもなく投稿者さん自身の言葉や感情だと思いました。それは、母親の期待通りにやることを完全にではなくとも止めて、自分で人生をつくってきたからできていることなのではないかと思いました。死にたい消えたい気持ちや生きづらい実感は、投稿者さんが自分自身であることを支えてきたとも言えるのかもしれないと考えました。
長く続く生きづらさについて言葉にして伝えてくださり、ありがとうございました。
感想2
実家での母親との関係に長らく違和感を感じ、「大嫌い」と思いつつも「秘め事」としてきたということで、それを言える(伝えても大丈夫だと思える)相手がいなかったのかなと思いました。
思春期になって「自分はダサい」と感じるようになったというのが印象的でした。「ダサい」という感覚は、母親への違和感と、一方でその母親の期待通りにしようとしている自分のズレからきているのかなと想像しました。またその他にも、「ダサくない」と感じる他の誰かとのギャップを感じることで、比較して考える機会が増えたのかもしれないと思いました。
実家を出たことは、母親という自分ではない存在の「理想」ではなく、自分自身のことを見つめる機会になっていったのかなと思います。
投稿者さんには人間関係を築きたいという気持ちが比較的強くあり、それがうまくいかないことでつらさを感じることも多かったのかもしれません。人によってどんな人間関係を構築したいか(それとも、そもそもあまり他者と関わりたいとも思わないか)は違いそうですが、投稿者さんが人と関わりたいと願う思いのもとにはどんな感覚があるのだろう?と気になりました。
また「人生の3分の2以上はしんどさ」と書いてあり、その残りにはどんなことが含まれるのかも聞いてみたいと思いました。