「生き地獄」という居場所

愛知県・23歳・女


つらチェックの結果、私は「世間(社会、親、友達)の求める理想の子にならなくてはいけないけれど、解放されるイメージも元気もないから死にたい」という結果でした。
今まで自分の中で上手く言語化できなかった感情を見透かされたような気持ちになりました。

私は貧乏な家庭で育ち、両親は宗教の信者でした。
宗教の考え方を幼少時に深く教え込まれ「~することが一番の幸せ」「~すれば私たち家族は救われる」といった話を毎日されていました。
しかし、私はそれを信じることができませんでした。
信者である両親が幸せそうにしているところを一度も見たことがなかったからです。

幼少時のことはあまり憶えていませんが、他に明確なのは…
・両親に暴力を振るわれたのは数回程度
・母親は私を産んだせいでうつ病(今現在も闘病中)になった
・親戚はこの状況を知っていたが、全く頼りにならなかった

中学~高校時代は、ほとんど家族とは口をききませんでした。
私には年の離れた姉もおり、当時姉は東京の私大に通っていました。
両親に「私も姉のように大学へ行ける?」とたずねたら、「あんたを大学へ送り出すお金なんて無いよ」と言われ愕然としたことは今思い出すだけでもつらいです。
他にも、母親がうつ病で入院したり、借金が増えて食べることすら厳しくなったりなど、
死ぬほどつらくて苦しかったはずなのに、それらのエピソードを思い出そうとすると記憶に靄がかかったようにぼーっとしてしまいます。

高校卒業後はIT関連会社に就職し、未成年ながらも社会人として懸命に働きました。
しかし2年後にはパニック障害を患ってしまい、そこから昨年春まではまるで地獄のような日々でした。
不安、葛藤、希死念慮で居ても立っても居られなくなり、ODや消費者金融からの借金を繰り返しました。
そして1年前の冬に自己破産をし、社会復帰しようと必死に就職活動をしましたがコロナ渦で上手くいかず…
何とか現在の職場に辿り着きましたが、決して良いとは言えない職場環境です。

こんなに壮絶な人生を送ってきて、今に至って、私は一体何のために生きているのだろうと思う毎日です。
正直、もういつ死んでも構わないと思っています。
両親や社会から「自殺はいけない」と擦り込まれ踏みとどまっていますが、何故そのような倫理観に束縛されなければならないのでしょうか。
どうせ生き地獄なのですから、生きても死んでも同じだと思います。

感想1

「両親が幸せそうにしているところを一度も見たことがなかった」と書かれていて、投稿者さんは幼い頃から家庭に対して違和感を覚える機会が多かったのかもしれないと思いました。また、見聞きした苦しい現実の中で、「ほとんど家族とは口をききませんでした」というのは投稿者さんの抵抗だったのかなと思います。苦しい記憶をうまく思い出せないのは、もしかすると投稿者さんの体が自分を守るために自動的に行っている対処法だとも言えるかもしれません。

家庭のことにしぼって書いてくださったということもあるかもしれませんが、親戚について「全く頼りにならなかった」と書かれていることからも、投稿者さんの家庭とうまく関わったり介入したりする他者や、家庭の外で関わって安心できる他者の存在があまりなかったのかもしれないと思いました。その状況で、自分で頑張らなければいけないと必死に生活をしてきたのだろうかと想像しています。労働環境もいいとは言えない状態で、現在も、日々の生活の中に苦しい時間がたくさんあるのかもしれません。

個人的には、生きること自体に意味はないのかもしれないとも思いますが(というか、意味というのは人間が考え出した道具であって、もともとあるものではない気がします)、投稿者さんはせめて意味でもなければ生きているのが苦しいのに、意味を見出すことができない葛藤のはざまにいるのかなと思いました。

投稿者さんが生き地獄と表現されたこの社会で、足りないもの、必要な人に行き届いていないものはたくさんあると私は感じています。どうしたらその「地獄」をすべての人が暮らしやすい場所に変えていけるのか、死にトリで考えていきたい、そして試していきたいと改めて思いました。その中に誰かにとっての救いになるものが少しでも含まれていけばいいと感じます。もしよかったら、一緒に考えていってくださったらうれしいです。

感想2

つらチェックの結果を見て、経験談を書いてくださり、ありがとうございます。

両親がいつも喧嘩して殴り合っていたというのは、幼いあなたにとって、強い恐怖や身の危険を感じる状況だっただろうと思います。両親に教え込まれる話はもちろん、生きていくこと自体を疑うような、不安な気持ちになってもおかしくないと想像しました。

また、私は、家庭以外のところに、あなたが助けを求められる人がいなかったことに疑問を抱きました。子どものときに家庭で苦しんだり、いやだなと思ったことがあった時などに、なんでも言えて考えてくれるような大人が、家庭以外の場所に必要だと改めて思いました。またそれは、子どもだけでなく大人にとっても必要だと思いました。

私は、あなたが自分の生活や考えや気持ちを、他人から大切にされていると感じられる経験が今までに少なかったのではないかと考えました。「どうせ生き地獄なのですから、生きても死んでも同じだと思います。」というメッセージを真摯に受け止めたいと思っています。そして、「生き地獄」の状況が多少なりとも好転するには、どういった社会であればよいのか、どんな生きる環境があればよいのか、知恵を出しあっていけたらうれしいです。

返信

経験談に目を通していただき誠にありがとうございます。

感想文を読ませていただきました、まさかお返事をいただけるとは思わずとても驚いております。

読みながら、自然と涙が止まりませんでした。今回私が家族のことについて語ったのは、感想1に書いてくださった下記のお考えの通りです。

親戚について「全く頼りにならなかった」と書かれていることからも、投稿者さんの家庭とうまく関わったり介入したりする他者や、家庭の外で関わって安心できる他者の存在があまりなかったのかもしれないと思いました。

他県に住んでいる親戚には「どうしたらいいか分からない、助けてほしい」という話を何度かした覚えがありますが、

親戚も仏教信者であったせいか「家庭の行方はあなた(私)の行動にかかっているから、自分ができることを精一杯頑張りなさい」と、偏った考えを植え付けられました。最後の砦であった親戚に突き放されたことで、幼かった私の精神状態はさらに悪化しました。

生きる理由を過剰に求めてしまうのも、幼かった頃に肯定されたり愛された経験がないからだと深く感じています。自分という存在が曖昧で、常に他人の意見を中心に生活をしています(自分の意見や意思がほとんどない)

生きづらさを抱えている理由は人によって様々ですが、それらの背景にある問題を例えるのであれば、複雑に絡まってほどけなくなった糸のようなものだと思っています。

一人で乗り越えることは恐らく不可能であり、時には糸を切ったり(問題の根本的排除)ほころんでいる部分の糸からほどく(比較的解決しやすい問題から対処していく)ことが必要な気がします。

長くなってしまいましたが、この度はこのように意見を述べる機会をくださり、真摯に向き合って返信をいただいたことに心から感謝を申し上げます。

私の生きづらさが解消されたわけではありませんが、少しでも幸せを感じることができるよう、ゆっくりと生きてみようと思います。