経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

病気、お金、生きていく事

学歴も就職も何がそんなに大切なのか分からずフラフラと生きてきた。
当たり前のように転職し、何となく生活を繋いで実家で適当に生きていた。
ある日妊娠が分かって無職の男と結婚。浮気されて5年で離婚。
親の反対を無視して家を出たもんだから、帰る場所がない。娘と2人で生活を始める。
2年程してネットで知り合った人と付き合う事に。
今考えれば、散財、DVの気配はあった。だけど、生活費の為に男の収入が必要だったから気付かないようにした。
マンションを買って籍を入れ新しい生活が始まった。
収入は2人合わせてそこそこあったが、夫の散財が凄くてすぐに生活は傾いた。お金の事になると怒鳴られた。私のやりくりが悪い。騙し取ってると。
私もやりくりが上手な方ではないし、そうなのかと思った。積立の保険を解約し、お金になるものは全て売った。それでも家計は苦しかった。
もちろん親には言えない。
そのうちキャッシングに手を出した。限度額に達してまた新しくカードを作っての繰返し。夫もキャッシングをし続けた。月の返済が私の月の給料を上回り、私の債務整理をするしかなくなった。
それでも夫の散財は止まらない。そして私は自己破産もするしかなくなった。
こんな目に合ったのだから、何か失ったものを回収しないと納得できないと思うようになってきた。離婚したら夫が楽になるだけだから嫌だった。
夫が脳梗塞になった。
左半身麻痺が残り、長距離運転のドライバーだった夫は仕事の復帰は無理になった。
お金のなかった夫は勝手に保険を解約していたので収入は傷病手当だけになった。もともと高血圧や糖尿病があったので住宅ローンの保険も支払いがなくなるような保険には入れなかった為に働けなくなっても支払いは続いた。
自己破産をしてるしもうお金を借りる所がなく、親に泣きついた。
親は助けてくれると言ってくれた。
お金の面でもかなり助けてくれた。何となく親との関係も修復できてきた気になってきた。
だけどお金は無限ではない。脳梗塞になって1年ほど経って、親はいつまで続くのかと怒り出した。
実は障害は身体だけでなく脳にも残り、散財に加え暴言や暴力があった。病院はその散財も暴力や暴言も病気の1つだから受け入れなければいけないと言われた。お金の事や暴言暴力が辛くても相談できる人はいなかった。親に迷惑ばかりかけて本当に死にたくなった。自分のカスみたいな人生に嫌気がさした。
その思いを母親に初めて話した。
もうひと頑張りするから離婚して家を出なさいと言われた。その時の私は深く考えず、その通りになるように行動した。
夫の10年の呪縛から離れて約半年経った。
私はものすごく間違った所にいた。
病気や障害、お金、大変な経験をしたけど、やっぱり大事なのは本当の事を話して相談できる場所だと思う。
学校の進路や就職、そこからちゃんと向き合って話せる人がいたら私の人生はもう少し違っていたかも知れない。話を聞いて導いてくれる人がいたかどうかで人生全然違う。当たり前に産まれた時からそんな環境の人って多いかもしれないけど、私は違ったんだなって思う。
今もまだ親に迷惑ばかりかけている自分を受け入れる事はできない。老後も思いやられる。
娘にとっても私はそんなに重要ではないだろう。
娘は私と違った道を歩かせたいから道を作りまくってとてもしっかりした子に育っている。この先、私が娘の負担になってはいけない。
だからなるべく早く死にたい事に変わりはない。
親より早く死にたい。
娘に迷惑を掛けないうちに死にたい。

感想1

お金というのは十分に持っていてうまく使いこなせることができる状況であれば便利なものであると思いますが、そうでなくなると途端に人を窮地に立たせ、苦しめるものになるのだということを改めて感じました。投稿者さんはお金というシステムに振り回されてきたようにも読めました。また、文章の後半で「向き合って話せる」人がいなかったことを投稿者さんは書かれています。そう考えてみると、お金だけでない社会構造の欠陥の中で困ってきたのだろうと感じました。
投稿者さんが書かれている通り、私も「本当の事を話して相談できる場所」がとても大切だと思います。ただ、まず「本当」のことを話すことがむずかしかったり、自分にすらなにが本当なのかわからなかったり、その場所を信頼できると思うことがむずかしかったり、相談の仕方がわからなかったり、あるいは相談することを大事だと思えなかったり…障壁になってしまうことはいろいろありそうです。そう考えると、特別なときにだけ相談するのではなく、日頃から、一人だけでない複数の人と話すことができる環境がどこにでもなければいけないようにも思います。
投稿者さんは思いを母親さんに話すことができ、そこから、呪縛から離れることができたと書かれています。相談したり、自分の本当の思いを話したりするために、なにがあったらいいか、どんな機会があったらいいか、もし思いつくことがあれば教えてください。
死にトリでは「相談」という形での対話は行っていませんが、相互に話し合ったり、話を聞いたり、伝えたりする機会を大切にしてコンテンツを設置しています。死にトリの場が、そして社会が変わっていく姿を一緒に考えてみたいです。

感想2

 予期しない大変な出来事が次々に起こり、投稿者さんのあらゆる力が奪われてしまったのだろうと思いました。でも、わずかに残されていた自由の中に、「本当の事を話して相談する」という選択肢があったので、今に繋がっているのだろうかと私は思いました。
だとしても、親よりも先にそして娘にも迷惑をかけないうちに早く死にたい、とおっしゃるほどに強く思われているのはどうしてなのか、読み返しては想像してみました。
一つめには、「散財も暴力や暴言も病気の1つだから受け入れ」るべき、と相談にも応じてくれなかった医療機関での体験から、親に迷惑をかけ続けることへの自己嫌悪があったのだろうかと想像しました。
二つめには、死にたいほどの思いを母親さんに打ち明けたことで、呪縛から解き放たれた体験からこれまでの人生を振り返り、自分の環境や選択が間違っていたと結論づけられたのだろうかと想像しました。雑な読み取りですので、的外れだったら申し訳ありません。

投稿者さんは親御さんの導きで、生活の環境を変えるきっかけが生まれ、人生の節目でどんな資源や環境があれば良かったかについて言及されています。向き合って話せることや話を聞いて導けることが大切というお話には、共感と納得をさせていただきました。
ところが、ご自分の価値については、「自分を受け入れる事はできない」「老後も思いやられる」「娘にとっても私は重要ではない」など、とても否定的な評価になってしまっていることが気になりました。また、冒頭の「ふらふらと生きてきた」や「何となく…適当に生きていた」というような言い回しにも、自分を責めすぎてはいまいか?と少し心配をしながら読んでいました。
でも投稿者さんが置かれた状況は、どんどん選択肢が狭められていくような過酷な環境だったように私には読めました。追い詰められると判断する力も鈍ってしまうでしょうし、選択肢そのものが見当たらないこともあったのではと想像したのです。
投稿者さんにとっては限界に近いような体験を経たからこそ、「相談できる場が大事」だと意を呈したのだと思います。私も「相談できる」選択肢を、誰でもどんな状況でも持ち得る世の中になることを望んでいます。投稿をありがとうございました。

感想3

経験談を読みました。冒頭の2つの文章から、あなたは自分の感情や意思をそれなりに抱いているけれど、それが世間で良しとされていることから離れているのではないか、といった後ろめたさのようなものを感じ、自分の感情や意思がないことにする場面が多かったのかもしれないと想像しました。
私は、結婚をするのも離婚をするのも、個々の自由な意思でできればよいと思いますが、「生活費のために必要だから」という理由では、既に自由ではなく、納得いかない気がしました。人間関係の選択と、生活に掛かる費用の問題は、基本的に別のことではないかと思います。まず一定の収入を得て生活を営む自由がなければ、人間関係を選ぶ自由も脅かされそうです。また、背景として男女で収入格差が大きいことがあり、配偶者間の支配に繋がっているのだろうと思います。
子どもの頃から話を聞いて向き合ってくれる人がいなかった、本当のことを話せなかった、ということが書かれていて、その当時のあなたの生活環境や、どんなコミュニティがあればよかったのかなどを、もう少し深く聞いてみたいと思いました。自分のことを話せる機会が少なかったことによって、自分のことを後回しにして他人を優先しようとする傾向が身についているのかなぁと想像しました。
今のあなたが、(周りにどう見られるかとか、費用がどれくらい掛かるか、などに関係なく)大切にしたいことや欲しいと思うものって何だろうと思いました。私は、自由と時間が必要なのかな?と考えました。素の自分を表現できる(しても大丈夫と感じられる)自由をこれまで掴みづらかったのではないかと思い、それを得ていくためにも時間をかけることは大切なのではないかと想像したからです。

お返事1

返信、ありがとうございました。

私の話を読んで、そして第三者として意見をして下さった事に感謝致します。

私は小さい時から転勤族でした。
なので保育園や学校、近所、環境が変わって行くことに順応できていませんでした。

例えば、保育園のトイレの場所、先生の名前、クラスの名前、通学路。
順応していなかったので思い出も全く整理されていないので、思い出という記憶がありません。

思い出はないのに、転校生だと注目されて方言を珍しがられた事は覚えています。
転校生としてどう馴染んだらよいか分からず、勉強も転校すれば全く違っていて焦って、休み時間や下校時間が嫌で、遠足や集団行動、ペアや仲良いグループで行動とか本当に嫌でした。

親には心配をかけたくなかったけど、心配してほしかったし、色々聞いて欲しかった。
それは学校の先生に対しても同じでした。

相談できる場所が必要なのですが、そこへ行くタイミングが分かりませんでした。
まだ頑張れる、まだ我慢できる、そう自分に言い聞かせてきたと思います。
そう過ごすうちに相談のし方を忘れてしまったんだなと思います。

身勝手な考えなのかもしれませんが、「何かあったら言ってね」よりも「今、何か心配な事や悩みや不安に思ってる事はない?」と、聞いて欲しかったんだと思います。
常に誰かが自分の側にいる安心感がもてる言葉です。

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