32歳
死にトリにはお世話になってます。
運営スタッフの皆さん、お疲れ様です。いつもありがとうございます。
経験談募集ということで送らせていただきます。
性的被害にまつわる経験談なので、読まれる際はご注意をお願いいたします。
一年ほど前の夜、一人暮らしの自宅で、私はトイレに行こうと立ち上がりました。
その時、ずっとずっと忘れていた出来事を思い出したのです。
当時の経験を今現在のように感じるフラッシュバックとまでは行かず、今日職場でこんなことがあったなとふと思い出す。そんな静かな思い出し方でした。
思い出した直後は心を落ち着けようとトイレで用を足しました。何も思い出していないような、誰も見ていないのに平常心を装いました。
でもあれは本当にあった出来事でした。
本当にあった出来事だったから、なおさら心が苦しくなりました。
私は今、32歳です。
あの出来事が起きた時の年齢はうろ覚えですが、小学校に入学する前後の年齢です。
だから25年以上も昔の出来事です。
25年間もずっと蓋をしていました。その蓋が、どういうわけか外れてしまったのです。
私は、公衆の場で、知らない人が大勢行き交う繁華街で、父から上半身の服を捲られました。
何か用事があって繫華街に父と母、私の3人で歩いていました。何の用事だったのかは覚えてません。
私は二人より少し離れた先を歩いていました。
後ろから走ってくる足音が聞こえ、父だと思いました。
その瞬間、着ていた服を、下着も含めて、腕の付け根まで捲られました。
自分の身に何が起きたのか、それを理解できる年齢でした。
知らない人がたくさんいる中で、服を捲られた。お腹や胸の肌に直に空気が触れている。
この時、私は非常に強い羞恥心を感じました。あんなに強く羞恥心を感じたことは後にも先にもありません。
とにかくその場を離れたかったのですが、あまり道を知らなかったので、後ろにいる父に抗議もせず、ちょっと小走りになって先を進んだだけでした。
道がわからず、悔しいと感じました。
振り返らずに何故父の仕業と判断したのかと言いますと、父はそれ以前から私の尻を触ったり、後ろから抱きかかえて排泄を促すようなことを言ったりしていたからです。
その後も中学に上がるまで私の尻を触ったり、性器を意味する言葉を言ってきました。
私が嫌だから止めてと言っても、母が言っても、やめてくれませんでした。
大人になった今も性的なからかいをしてきます。
数年前に母方の祖父が亡くなった葬式場でさえ、私の着ている服を見て「誘っているのかと思った」と言うほどです。この時母は体調を崩していて、その場にはいなかったのですが、こんな時にまでこのようなことを言う、その下品さが不快で不快でたまりませんでした。
服を捲られた時、後ろに母がいたはずなので、もしかしたら母が父の行いに対して何か言ってくれたかもしれないと、勇気を出して母に訊いてみましたが、母からは覚えていないと言われました。
でも母の「覚えていない、当時もそんなことがあったとはわからなかった」という答えに対して、私は母を責めません。
父の、大人の身体で、子供だった私の身体は隠れてしまい、後ろから見ても何が起こったかわからなかったと思います。
父ではなくて他の大人ではないかと母からも言われましたが、知らない人であれば父も母も不審な行為に気付き、騒ぎになったでしょう。
痴漢なんて存在を知らなかったとは言え、確かにあの時振り返らなかったことは後悔しています。でも私の中では、あれは父による仕業と考えております。
もともと父に対して好い感情を持っていませんでしたが、この出来事を思い出して以来、これ以上関わりたくないと感じるようになりました。
今はコロナを理由にして、なるべく実家には行かないようにしています。
母とこの話題をしたのは一度きりです。母が大人になった私とこの話をしたことを覚えているか不明ですが、私はもう父のいる実家には行きたくないし、戻りたくもないです。
この経験談を読んで私の性別を推測された方もおられると思いますが、性別は明かしたくありません。
性自認が定まっていないというわけではなく、公衆の場で同意も無く服を捲られるなどの性的被害を受けるのは誰にでも起きうることであり、「かわいそうに」とか「それぐらい我慢しろ」と被害者の性別で態度を変えられたくないからです。
ここ最近、子供の性的被害を防ぐためにプライベート・ゾーンについての教育を積極的に行っていくことを耳にするようになりました。
私の子供時代にはプライベート・ゾーンなんて言葉の存在さえ知りませんでした。
プライベート・ゾーンのことを知ってもそれを侵害する人はこれからも出てくるでしょう。
でも、家族であっても不用意に触れてはいけない場所があることを一人でも多くの人が理解した世の中になれば、私みたいな嫌な思いをする人はいなくなることでしょう。
一刻も早く、そんな世界が訪れますように。
感想1
思い出したくなかった、思い出したら平常心ではいられないような出来事を共有してくださったこと、負担を感じる部分もあったのではないかと思います。読ませていただき、性的なからかいや加害的行為が幼少期から現在まで続いてそれはどんな相手だろうと許されないことだと感じました。また、その中でも一年前になって思い出した出来事は、蓋をしておかないといけないショックの大きいエピソードだったのだろうと思いました。
性に対する意識は人それぞれ感じ方が違うことが多そうです。だからこそアクシデントとしての行為であってもなるべく生じさせず、自分の行動が相手を傷つけたりないがしろにしたりしていないかを常に考え、相手を慮る必要があると思いますが、投稿者さんへの振る舞いを読むと、父親さんには昔からその視点が欠けているのかもしれないと思いました。
どうしたら、このようなことをなくすことができるのだろうと思います。そしてその一つが、投稿者さんが今回送ってくださった経験談でもあるのだろうと思いました。投稿という形で読ませていただき、現に読んだ私が真剣に今一度考えようとしている、そのこと自体がありがたい機会です。
私も、だれもが嫌な思いをする必要のない世界を願っています。
感想2
経験談の投稿、ありがとうございました。この経験談を読み、今まで蓋をしていた経験のフラッシュバックで、あなたが辛さや生きづらさを感じていることが伝わりました。また、最後に書かれている、性についての世の中の考えや、この国の性教育についてに疑問を感じながら生きているということを私なりに感じました。
幼少期の経験は、忘れてしまうことも多々あると私は感じておりますが、その中で記憶に残るような経験というのは大人になってから「あの時、なぜこのようになってしまったのか」「あの時の自分はそこまで考えていなかったけれど、大人になって色々な経験を積む中で、あれはおかしかったのではないか」と思い、考えても考えても結果が出ず、苦しむことがあると私は思います。
私の勝手な想像ですが、幼少期から受けていた父親さんからの性的な発言などにより、父親さんに対しては、良い印象はほとんどなかったのではないかと思いました。だからこそ、家庭の中で、母親さんの存在はあなたにとって、最後の救いであり、味方であってほしいという強い願いがあったのではないかと思いました。
でも、母親さんは、あなたのことを守ってくれるといった絶対的な権力を持っている存在ではなく、そこでもあなたは苦しめられたのではないかと私は感じました。実家には帰っていないというのは、あなたが自分自身を守るための手段だと私は感じています。それは、生きていく中で大事な本能だと思うし、自然なこととも私は思っています。
また、「プライベート・ゾーン」を侵害するような人がいることは、非常に生きづらいと感じてしまう人が多いと思います。私も、一刻も早く、この生きづらさを感じる方がいなくなる世界を望んでいます。