そのままの自分


物心ついた時から、両親は事あるごとに喧嘩。

夫婦で酒の席に出かけ、母は酔っぱらうと調子に乗り、無口な父は家に帰ると母に暴力を振るった。

幼なかった私は、母が死んでしまうと思い、庇ったけれど投げ飛ばされた。

そんな事の繰り返し。

歯ブラシも重要さを教えられていなくて、幼稚児で虫歯だらけ。

大人になった今でも歯には悩まされている。

父は私が小学生の頃、病気で他界した。

貧乏な生活の始まり。

母は掃除していないと、私を責めた。

家具を投げた。

父が他界して数年、母も病気で働けなくなり、極貧生活。

兄の働いたお金で、何とか高校卒業。

大学進学の選択肢はなかった。

勉強しなくていいからいいのって、自分を納得させた。

やりたい事もないしと、とりあえず大学進学する友達が羨ましかった。

今現在、まともに育っていない自分が、人に愛されるはずがない。

いい人の仮面を被って、友達、家族に愛されたがった。

だけどそろそろ限界がいている。

本当の自分を見せるのが怖い。

本当の自分でも、誰か愛してくれるのだろうか。

唯一、夫には本当の自分を見せることができていた。

けれど、もう、愛されていない事がわかった。

もう、本当の自分はどんなだったかわからない。

いつも疲れている。

母も病気が悪化している。

看病したくても、素直にしてやれない。

友人達の仲良し親子が羨ましくなる。

今さら、仲良くなんてできない。

病人に優しくできない自分は最低な人間だ。

感想1

過酷な環境で育ち、必要な経験や学習の機会をあまり積むことができず、大人になった今でも本来の自分の姿を隠しながら生きている苦しさが伝わりました。

私は、投稿者さんが母親の世話をしなくても何ら問題ないし「最低な人間」でもないと思います。ただ、自分は最低だというふうに考えることによって、投稿者さん自身が安心を得ようとしてきた面もあるのかなと想像しました。(自己評価を最低にしておけば、それよりも下がる心配はないというイメージです。)

今、投稿者さんが人としての尊厳と安全を守られる環境で生活を送れているのか、気になりました。疲れているときにゆっくり寝たり、好きなものを食べたり、などはできているでしょうか。

投稿者さんが持っている本来の感性を発揮して、この社会の中で一緒に支えあって暮らせるようになっていくといいなぁと思いました。

感想2

「本当の自分」という言葉が何度も出てきて、どういう意味を持っているのだろうと気になりました。両親の不和を見て、母親さんを守らなければと思っても無力さを感じる機会が多かったのかもしれないと想像しました。その中で理想の状態と現実がかけ離れることをたくさん経験したのかもしれません。

無理をしてでもいい人として他者と相対しなければいけない、ご自身の本当の気持ちを隠さなければいけないことが多かったのかもしれないと思いました。また「本当の自分はどんなだったかわからない」と書かれていましたが、率直に「愛されたい」「羨ましい」という言葉を書いている投稿者さんは素直な自分の気持ちも捨てずに持っているのだろうと思いました。投稿者さんが望む「本当の自分」というのは、その上で、素直な気持ちとギャップなく振る舞うことができている状態のことなのかな?とも想像しました。

また、家族といっても別の人間として生きているので、無理に好きだと思わなければいけないこともないし、仲良くする必要もないと思います。最低だと思う必要はないと思います。

「いつも疲れている」と書かれていますが、それもひとつの「本当の自分」なのではないかと思いました。疲れていても無理をする、のではなく、疲れているならば十分に休むことができたらいいと思いますが、生活の中ではむずかしいこともありそうです。投稿者さんにとって休める空間や一息つける場所があるといいと思いました。死にトリが追い立てられることなく参加できる場所のひとつになればいいなと思っていますので、気が向いたときがあればまた訪れてみてください。