誰もいない世界に行きたい

神奈川県・男性・30代


私は母子家庭で育ちました。母は仕事に専念したいことを理由に、祖父母に私を預けました。

祖父は、疾患により障がい者となっており職を辞め、年金生活をしていました。働いていた時からの愛人がおり、職を辞したのちはもっぱら愛人の家で生活し、家には障害者年金を受け取るときにだけ帰ってきました。帰ってくると決まって祖母と口論が始まります。

祖父がいなくなれば静かか、と言われればそれもありません。祖母は、私に対し優秀であることを求め、勉強を強制、優秀な点を取れなければ、厳しく叱られました。

勉強をしたくないといえば家から出させてもらえない、食事が抜かれるといったことを受けていました。

祖母は、宗教にものめりこんでおり、私が体調不良になった際もどんなにつらい容体でも病院に行かせることなく手かざし療法のようなものを行っていました。

今思えば、気が狂っているというしかありませんが、母代わりに育ててくれた祖母に対し私は献身的であるとか感謝の念や愛情を感じていました。

祖母は、宗教への寄付や信者との付き合いの中で見栄を張る面があり、借金を抱えていました。

資金繰りが苦しくなると、消費者金融から支払いを催促する電話が頻繁にかかってきて、電気が止まることもありました。

母はその借金を返すため仕事に専念するといい、私を放置。助けてくれることはありませんでしたし、「私が働かないと困るでしょ」と突き放されました。

一方で、母自身が祖父母と面と向かって話しづらいことは私から伝えさせられました。母の代わりに罵倒されたり、怒りをなだめるのは私の役目でした。

私は、常に緊張感があり怒りの矛先を向けられるこの家から抜け出したいと思うようになりました。

中学校を出てから全寮制の学校に入り、その後、寮がある警備会社に就職しました。

集団生活の中、私は他人との距離を詰めることができず孤立することが多かったです。(中学以前もその傾向があったかと思いますが、家の印象が強すぎて学校生活の記憶があまりありません)

浮いていたわけではないですが、怒られたくない、嫌われたくないという意識が常にあり、自分から距離を詰めることはないですし、本心を話すことはありません。なので、卒業や転勤をすれば疎遠になるその場限りの友人関係を構築することが多いです。

職場ではなんでも率先してやる(本心は嫌われたくないだけ)ため、意図せず昇任を重ね、管理職に登用されることとなりました。上司は私の能力を買ってくれています。そのためどんどん期待値が上がっていきます。

期待値が上がればその分頑張らないといけないですし、部下もできますから役職に見合う人間にならなければという強迫観念がものすごくあります。

地位に相応しい人間となるべく仕事の合間を縫って、通信制の大学にも通うことにしました。しかし、単位を思うように消化できないことがストレスとなり不眠症、うつ状態と診断されて今に至ります。

仕事にはかろうじて顔を出せてはいるものの、家に帰ると思い通りにならない自分に嫌気がさし、ふさぎ込んでしまいます。

期待を裏切りたくない、でもこれ以上期待に応える能力がない。それが明るみになることで周りから嫌われたくない。

周りから誰もいなくなればそんな心配をしなくてもいいのに。

しかし、社会生活を営む上では全く誰かとかかわらずに生きることなんて出来っこありません。

真に一人になれる方法はどこにあるのでしょうか。誰もいない世界に行きたいです。

感想1

経験談を読んで、あなたの行動を決める素になっているのは「周囲から〇〇だと思われたくない」ということなのかなと私は想像していました。あなたがそれを自分の意志で望んでやっているというよりは、環境の中での生存戦略のようなものだったのかもしれないなとも感じました。ただ、それによって今も苦しい気持ちを抱えているようにも見えました。

他者があなたに不要な期待や無用な評価をしなければ、一人にならなくても少しだけ息がしやすくなるのかな、どうなのだろう…とぐるぐると考えています。期待を裏切りたくない、でも明るみになるのも…という気持ちで今まさに葛藤されている状況なのかなと思いますが、少しでもあなたにとって他者を気にせずにいられる場所があったらいいな、と心から思いました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。

これまでに祖母さんや母親さん、会社の上司などからの多くの期待に応えてきて、疲れているように思いました。期待というのは基本的に期待する側が勝手に持つものでしかないと思いますが、その中身を強制されたら自分らしいやり方を選ぶことも、模索することもできなくて困ることが多そうだと感じました。

また、期待に応えることにはキリがなさそうです。それで自分自身に求めるものも増えていって、力を抜くことがむずかしく苦しんでいるから、「誰もいない世界に行きたい」と思われるのかなぁと想像しています。

もしかするとそれは他者から期待を押し付けられることなく、ちょうどいい距離で生活したいということなのかもしれないとも思いました。

あるいはなんにもできなくても生きていられる場所で生きていたい、ということなのかもしれないです。(違和感があったらすみません)

私は、おそらくなにか偶然の巡り合わせでサイトを知り経験談を送ってくださった投稿者さんが、苦しさやしんどさをここで教えてくださったこと、私に考える機会をくださったことをありがたく思っています。

そして、たとえどんなふうに過ごしているとしても、努力していても、していなくても、苦しんでいても、だれかの期待に応えなかったとしても、幸せになる権利があると思いますし、権利なんてむずかしいことを言わなくても、私はそうあってほしいなぁと思います。

返信

お二方の感想を読ませていただきました。

だれもいない世界に行きたいという希望があります。

他人の目を想像することや、他人から感情をぶつけられることがないように自分でも工夫をして生きていければと思っています。

この欲求やこれによって生じる不安は消えることはないのだと思っています。ただ、この不安ともちょうどよい距離感で向き合えるよう試行錯誤していきたいです。