病気の自分と変わる自分

北海道 二十代 男


これは主に十代の体験です。。現在、統合失調症を抱えています。

人生が変わったのは十四歳の頃でした。中学に通っていた僕でしたが、二年生の頃に不登校になりました。原因は学校という場所が嫌だったからです。ただ嫌だったわけではなく、何故か、その場にいるのが苦痛だったからで、呼吸が上手くできなかったのです。

友人はいましたが、指で数えられるだけ。ですが、小学校からの繋がりで、仲が良かったです。不登校になっても、プリントを家まで届けに来てくれたり、一緒に学校に行こうと迎えに来てくれた子もいました。でも、僕はいつも断っていました。担任の家に来た時もありました。それでも行かなかったです。いじめが原因ではありません。その場にいるのが苦痛だったからです。同時に多くの視線を感じたのです。『誰かに見られている?』と。最初は気のせい程度で済みましたが、その症状は段々と大きくなり、家にいても見られている感じがしました。

『ネットで自分の家が映っている』『外の人が自分の悪口を言っている』

『天井に穴があって上の階の住人が覗いている』『家の中にカメラがある』この症状のせいで僕は精神が崩壊しました。何処にいても誰かに見られている気がして、死にたい気持ちに襲われました。当時住んでいた住宅の最上階から身を乗り出して飛び降りようとしました。

一番酷かったのは、上の階の住人が家を覗いていると思っていたから、包丁を持って殺しに行こうとした時がありました。しかし、飛び降りる勇気も、人を殺す勇気もありませんでした。

それから、心療内科へ行ったところ、統合失調症と診断を受けました。

ドクターが言うには、頭にアンテナがあり、常に音や声に反応してしまう状態だと仰っていました。まさにその通りで、かなり物音に敏感になっていました。人の咳払いですら怖かったです。そこで、幻聴だと発覚して薬を処方してもらい、闘病生活が始まりました。

しかし、それでも治らず、今度は精神科病院に行きました。そこで、現在も担当医のドクターと出会いました。麻酔科のドクターです。症状を全て話すと、隣で聞いていた母親が号泣していたのを今でも鮮明に覚えています。

診断結果、入院することになりました。期間は四か月ほどだったと思います。そして、十代で『電気痙攣療法』を六回受けました。詳しく言うと、頭部(両前頭葉上)の皮膚に電極を当てて、脳に電気を流す治療です。今思うと、十代でこの治療を受けるとは思いませんでした。麻酔から目を覚ますと、脳みそが回転しているような、気持ちの悪い感覚に襲われました。自分の力で立つことができず、車椅子で病室に運ばれていました。治療を受ける前はご飯を食べることができなかったので、苦痛でした。いや、苦痛というレベルではなかったです。これを書いている今も思い出してしまい、なんか気持ち悪いです。今となっては貴重な体験できて自分の財産ですけどね。

時々、外泊許可もあって、家にいる時は好きなものを食べていましたが、病院食では全く足りませんでした。大盛りにもさせていただきましたが、だめでしたね。

こっそり病室でお菓子とジュースを食べていたのを思い出しました。本当はだめですけど。

因みに当時も現在も母子家庭です。不登校の頃から毎日喧嘩をして、泣かせてしまいましたが、入院中は母の顔を見ると涙が止まりませんでした。お菓子もジュースも買ってきてくれたのは母です。面会が終わり、帰って行く姿を見るとまた号泣していました。それは、母も同じだったと思います。しかし、乗り越えた今では母がどれだけの大切な存在だったのかを改めて思いました。好きでも嫌いでもありませんが、感謝しかないです。

『見捨てないでくれてありがとう』この一言です。もし、僕が逆の立場(親)で同じ状況だったら、子供と向き合えるか自信がありません。親という存在はすごいですね。

話は戻りまして、食べてばかりいると体重が激増しました。顔はパンパンでお腹はブヨンブヨンでした。当時の写真を見ると別人です。自分でも『整形したっけ?』と思うくらいです。

(してないです。本当に。貧乏だったので)

苦しいに入院生活から四か月後、無事退院しました。症状も大分落ち着いていたと思います。

しかし、また新たな問題が発生しました。それは学力です。不登校で学校に通っていなかったので、勿論成績は最悪。当然、普通の高校には行けませんでした。なので、通信制の高校に入学しました。登校して授業を受けるのは月に二回だけ。ここで、また新たな出会いがありました。最初の一年間は五分も席にいられず、帰っていましたが、二年に上がった頃に、中学時代の部活で一緒だった同級生と遭遇。仲良くなったので、付き添いで来ていた親とも別れて、友人達と授業を受けていました。気がづけば、普通の学校生活を送り、新しい友人も増えていました。彼女もいました。(すぐに別れましたけどね)授業終わりには街中のカラオケ、ゲームセンターで遊びまくり、充実していました。友人の紹介で運送業でバイトを始めて、あっという間に高校を卒業しました。学力の方は、フリースクールの方と協力して何とかなりました。運送業は辞めましたけど。きつかったので。

高校三年の頃に引っ越してをしいたので、卒業後は近所の蕎麦屋でバイトを始めました。

そこで、良き先輩方とも出会って楽しかったのですが、就職先が決まったらしく先輩方は退職されました。そして、僕が一番上になってしまい、責任重大に。プレッシャーに負けないように頑張りましたが、明るかった人生は突如として暗闇に変わりました。

ある夏場のことです。夜にも関わらず、お客様が来店されて混雑していました。コロナが始まり出した頃ですかね。マスクをしてたのですが、お客様に言われました。

『お兄さん。匂いきついわ』

口臭のことです。夏場もあり、水を飲む暇もなかったんです。そして、その隣の団体のお客様からも

『あいつ口臭くね?』

とはっきり言われてあまりのショックに家に帰った後、一人で号泣しました。

一生の傷を負わされて、それは現在も治っていません。それが現在の悩みなんです。

言われた時はお客様に謝罪の言葉も言えずに、ただ、無言で仕事をこなしていました。

ですが、蕎麦屋で三年半働いて、口臭が原因で退職しました。一年は我慢して仕事を頑張りました。正直、倒れそうになるくらい。次々に入れ替わる職場の人も長年の付き合いの人も『そういう素振り』をされました。

鼻をこする。咳払い。お客様に言われた一言のせいで、自分の息が臭いと確信してしまいました。相手のちょっとした仕草が、自分に匂いのせいなのだと思ったのです。

死にたくもなりました。でも、僕は折れることを知らないのです。タフだとよく言われます。

これまでに乗り越えてきたこと。頑張ったこと。十代のうちに色々経験しました。

先ほども書いた通り、見た目も垢抜けて中学生の頃とは別人になりました。

当時のあだ名は『のび太』でした。短髪で丸眼鏡だったので。

今では、『イケメン』『韓流アイドルみたい』と言われます。実はこれ、自慢じゃなくて僕は嫌なんです。勿論、そう言っていただけるのは有難いことですが、僕の中ではハードルを上げられているだけの言葉です。何故って、口臭があるから。どうせ、会話したら幻滅するんだろと。蕎麦屋の後にスーパーの畜産担当でもバイトをしましたが、マスクをしても、飴を舐めても、ガムをかじっても、フリスクを食べても、水を飲んでも全部試しても『臭い』と言われました。初日で『吐きそう』とも言われたので、当然辞めました。決して、虫歯でも歯周病が原因ではありませんでした。月に一度歯科にも通っていたので、歯科医に完璧だと褒められるくらい清潔でした。多分、お客様に言われたのがきっかけで、より清潔にしようと思ったんでしょうね。だから、結果しないんでしょうけど、ドライマウスだと診断も受けていました。

長文ですみません。もう少しだけ書かせてくださいね。

ストレスが原因で口が渇くのです。たった一言で負ってしまった傷のせいで、ストレスが生まれてしまったのかと。悪循環ですけど、どうしようもありません。

そんな中、ほかのサイトでも体験談をアップしました。同じ病気の方に向けて書いたのです。ですが、読者が聞きたいのは『変わったきっかけ』だと思います。数年考えて思い出そうとしたのですが、分かりませんでした。で、最近分かったんです。

きっかけというものが、最初からなかったのだと。自殺しなかったのも、頑張ったのも、

大切な人のためがあったかもしれません。でも、それは大きなきっかけにはなりません。

誰だって死ぬ時は家族のことが思い浮かぶはずなんです。それが当たり前だと思うのです。

もし、自分が明日死ぬとして、頭に最初に思い浮かぶのは誰ですか? と聞かれたら絶対家族ですよ。で、きっかけがないと書きましたが、変わったのは

『自分がそうしたかったから』です。それが正解だと判断したから。昔からの性格なのか、とにかく負けず嫌いです。だから、折れなかった。でも、幼少期からいじめを受けてきました。だから、その馬鹿にしてきた人たちを見返してやりたいと思ったのかなと。病気に関しても同様です。

統合失調症という障害者として扱われたくなかった。病気でも関係ない。不可能などないと証明したかったのだと思います。実際、社会復帰もできたので、そこは証明できたかと。

これ以上後悔をしたくないので生き続けると思います。積み上げてきたものを壊すような気がしたので。最後に笑えているならいいやと。

正直、今も死にたいですけどね。でも、ゲームみたいなものです。

だって、せっかくレベルMAXまで上げたのにデータ消えたら嫌じゃないですか。

感想1

物語のような文章で、たしかにゲームのストーリーのような部分もあると思いながら、何度か繰り返し読みました。独特の感性の鋭さを感じました。投稿者さんは、周りの人から向けられる言葉や態度、期待などに気づきやすい・反応しやすい方なのかなと想像しました。

負けてたまるかという根気のようなパワーで、苦難を乗り切ってきたのだなと思いました。一方で、これをクリアしないといけないという思いが続いて、自分へのプレッシャーになってしんどくならないのだろうか、とも思いました。自分の力で何とかしようという気持ちが強く、他人に頼ったり甘えたりしづらい面もあるのだろうかと想像しました。

この経験談を読んで、人生では自分で選べることと選べないことの幅があるなと思いました。例えば容姿や病気などは、ほとんど選択の余地がないと思います。選択の余地もないことについて、本人が評価される(持ち上げられたり貶されたりする)のはあまり適切ではないのだろうと考えました。

死にたいと思いつつも、自分のために生きていたいという思いが伝わってきました。それらは両立するものなのだろうと思います。どちらが良い・正しいということではなく、どちらも今の投稿者さんの率直な気持ちなのだと受け取りました。

感想2

生活の中にあるさまざまなものに強く気づき反応してしまう状態なのだと読んでいて感じました。言葉やしぐさなどから多くの徴候を読み取り(あるいは、読み取ってしまい)、それを無視できないのかもしれないと思いました。そう考えると、私は生活する中で数多くのものを読み飛ばしているのだろうと思いました。また、人によっては、読み取りやすい面と読み取りづらい面がある場合もあるのかもしれないとも想像してみました。

この経験談はまさに「経験談」らしく、投稿者さんの視点から過去と現在の状況を書いてくださっているように思います。投稿者さんがもっとも気になることが変遷している様子も興味深く感じました。それは投稿者さんが決められることではなく、もっと否応なしのことなのかもしれないと思いました。

私が死ぬときのことを想像しても、家族のことが思い浮かぶかはわかりませんが、投稿者さんにとっては家族が大きな存在なのだということが感じられました。「負けず嫌い」で「折れなかった」と書かれていましたが、投稿者さんはひとつのことを信じ続ける力が強いのかもしれないと思いました。統合失調症と診断される前からの困っていた状態、治療の中での出来事、それに伴う生活のさまざまな側面を教えてくださりありがとうございます。