奈良県・10代・女
私の家庭環境はとても良いです。
欲しい物も買ってもらえて、私立の中学校にも入れてもらえました。
クラスメイトも優しいです。どんくさい私のことをいつも助けてくれます。
こんなに優しい人たちに囲まれて、幸せで恵まれた生活を送れているはずなのに、何故かとても死にたいです。
毎日生きづらくて吐きそうです。
こんなに死にたい理由は、恐らく過去の記憶が関係していると思います。
順を追ってお話します。
小4のときのことからです。
私が小4のときの先生は、キレやすい性格の人でした。
機嫌がいいときは、みんなに優しく接するリーダーシップのある先生に見られていました。
でも、キレたときは誰も手がつけられないような怖い先生にガラッと変わりました。
先生は返事がなかったり、挨拶しなかったりしたことが続くとキレます。
物に当たりながら大声で怒鳴り、その後には教室を出ていきます。
先生が教室を出ていったあとのクラスの空気を、よく覚えています。
泣きながらみんなのどこがいけなかったかを話し合おうとする人、その子をなだめる人、ただ泣く人など色々いましたが、その時の空気はまさに地獄でした。
そして先生が帰ってくると、さっきの怖い雰囲気とは全然違う先生になっていました。
まるでみんなを完全に諦めたような、失望したような冷たい目でみんなを見ていました。
先生は泣いている子に、
「泣くんじゃないよ。もう全部終わりなんだよ」
と言いました。
それからはさらに地獄でした。
先生は当てつけのように適当に授業をされ、みんなが返事をすると「もう返事しなくていいですから。返事禁止です」と言われます。
挨拶をしっかりしましょう、と書かれた生活目標のポスターを剥がして丸めて捨てられました。
みんなが謝っても返事をしても聞いてくれません。
本当に見捨てられたように感じて、今日は許してくれるかな、一年このままなのかな、と泣きそうな気分で登校していました。
そんな毎日が続いて1週間くらいすると、先生は長々と話をします。
そして、「これからは仲良く授業しようね」というような結論になり、優しい先生に戻っていきました。
このようなことを2回ほどされました。
2回だけなのでまだましな方だと思います。
でも小4でメンタルが弱い私には重すぎました。
その他にも色々ありましたが、書いていくときりがないので言われた言葉だけ書いていきます。
「先生は仕事で来てるだけ、君たちは来なくちゃいけないから来てるだけ」
「先生はあなた達のこと全員は信用してません」
「何回言っても漢字直らない人はもう直しません。はんこだけ押して返します」
「先生は2ヶ月も待ったのに君たちはなんにも変わらなかった」
「実験しようよ。このまま一年間ずーっと返事も挨拶もないクラスがどうなっていくのか」
その後、私はPTSDになりました。
この程度のことでなってしまうのはメンタルが弱すぎるからだと思います。
それで保健室登校でした。
このままずっと保健室なのかな、とぼんやり考えていましたが5年生からは魔法がかかったように毎日行けるようになりました。
多分担任が変わったからです。
5年生からは楽になれると思っていました。
でも実際はまた地獄が待っていました。
前の担任が抑えつけた反動か、新しい担任が優しすぎたのか、わかりませんが、学級崩壊しました。
ひどいときは授業中の立ち歩き、常に先生に反論する、女子がキレて教室を出ていく、など問題だらけでした。
そんな中、生徒より先に担任の先生が倒れました。
日に日に元気がなくなっていき、遂には担任を降りるとまで言ってきました。
クラスメイトみんなに四角い用紙を配り、
「新しい先生にこうしてほしい、と思うことを書いてください。校長先生に渡します」
と言われました。
もちろんクラスメイトみんなで止めようとしましたが、結局先生は校長先生に紙を出したみたいです。
校長先生に止められて、担任は降りずに済んだみたいですが、先生のメンタルは限界に近かったと思います。
そんな先生を見て、私の心まで曇ってきました。
でも、5年生では持ちこたえられました。
6年生では学級崩壊も起きず、平和な学校生活を送れましたが、今度は学校外で辛いことがありました。
このころちょうど中学受験真っ只中で、塾に缶詰状態でした。
私は劣等生なのでテストの点はいつもひどく、いくらやっても伸びない成績ややる気が出ないのにやらなくてはいけない勉強にストレスを感じていました。
塾の男子に「死ね」と言われたり塾内でカンニングや悪口が蔓延していたのもあり人間関係、勉強、プレッシャーなど一気に降り掛かってきて遂に潰れてしまいました。
それから鬱状態になり死にたいとしか考えられなくなる生活を送っていました。
ここまでが過去の出来事です。
あれから2年たち、今はましになりましたが、
やっぱりとても死にたいです。
あのとき言われた言葉、されたこと、あったこと、全てぼんやりと覚えています。
私は虐待もされてない、死ねとは言われたけど酷いいじめは受けてない。
なのにどうしてこんなに死にたいんでしょう。
私のされたことは普通ですか?おかしいですか?
おかしかったのはメンタルが弱くていつまでも過去に囚われてくだらないことでPTSDになる私ですか?
わかりません。
感想1
みんなでいいクラスを作らなければいけないという重圧が、先生にも生徒にも圧し掛かっていたのだろうかと思いました。その要因は、誰か(みんな)がおかしいからというよりも、一人の大人に何十人もの生徒の学校生活の全てを丸投げするような構造や、学校内に溜まり続けているピリピリした重苦しい空気感なのではないだろうかと想像しました。
学校でも塾でも、そこにあるもの以外の景色が見えない閉塞感がありそうだと感じました。投稿者さんが、死にたいと感じることに、なぜ、どうして、と思う様子から、必死に死にたい気持ちを抑えようとしているように見えました。できれば死にたいと感じずに明るい気持ちで生活を送りたいのかなと想像しましたが、投稿者さんの中では、それが願望というより「そうでなければいけない」という義務感に変換されているのかもしれないと思いました。このような義務感を感じさせる圧力も、これまでの環境から受けてきたのだろうと想像しています。
同じ出来事に遭遇しても、感情の揺れやすさや受け取り方は人それぞれだと思うので、死にたいと思うことをおかしいと捉える必要はないのではないかと思いました。
10代までの人にとって、家と学校と塾以外の空気が吸える場所の選択肢がたくさんあった方がいいのではないかと考えさせられました。
感想2
投稿を読ませてもらい、投稿者さんは人の心をしっかりと感じ取ることができる人なのだろうと思いました。だからこそ、小学4年生の教員の態度に強く揺さぶられ、小学5年生のクラスの先生の様子や学級内の様子や、その後の塾での出来事に苦しんだのだろうと思います。ただ、投稿者さんが悪いということではなく、その豊かな心を大切にしてくれない環境があったことが問題だと思いました。
小学4年生のクラスの担任は、なんらかの事情を抱えていたのかもしれませんが、読む限り子どもと関わる立場の人として問題があったのだろうと思います。本当であれば、周りの教職員や他の近い立場の大人がサポートしたり、その状況をちゃんとモニタリングしたりして、適正な状態を作っていく取り組みが必要だったのだろうと思いますが、それがなされないまま、ダイレクトに、子どもである投稿者さんにダメージが向かってしまったのだろうと思いました。教育現場には余裕がないことが多いのだとも思いますが、あまりにもやりきれない思いがしました。
また、投稿者さんはつらい記憶をよく整理し、自分の状況と照らし合わせてどんな出来事だったのか位置づけているように思いました。それは簡単なことではなかったと思います。その苦労をしてきた投稿者さんが「自分がおかしいのか」と思う必要はないのですが、そう思われてしまう実情があったのだと感じました。
このことを、安心して話せる人(大人でも、友達でも)はいるでしょうか。もしいなければ、死にトリの「とりコミュ」などで発信してみてはどうかと思いました。かならずコメントがつくわけではないのですが、ひとりの心にとどめておくと苦しいことも、誰か、実際に会うわけではない誰かに向けて言葉で表現していくことで、少しほぐれていくことがあるかもしれないと思いました。といっても、つらい記憶を無理に書くべきだということではありません。日常の中で思いついたことなどを、よければ書いてみてください。