私なんて死ねばいいのに。

沖縄県・10代・女性


今の今までずっと、死にたいと思って生きてきました。大きな挫折や絶望を経験したわけではありませんでした。ただ日々の小さな後悔や悲壮感が振り積もって、きっと心が押しつぶされてしまったんです。

気づいた時には「死ねばいいのに」と、自分自身に言い放つのが癖になってしまっていました。

学校では仲の良かった友人から、人付き合いが悪い、あんたはいいよねだとか陰口を言われる。家では毎日のように親が私と成績優秀で利口な姉を比べてくる。そして何よりそんな状況を変えようともしない自分に嫌気がさす。私にとって信頼できる人なんて誰も居ませんでした。

ただ1人、私の1番尊敬して信頼していた先生が、授業中雑談で仰ったことです。「これだけはお願いしとく。俺より先に死ぬな。もう生徒の葬式には出たくないんですよ。」

雷に打たれたかのような衝撃でした。その後先生は微笑んだんです。その笑顔の端に悲しみを滲ませながら。

まるで呪いという足枷をつけられてしまった気分でした。なんて邪魔な足枷なんでしょうか。死ねない理由があれもこれもと出てくる度に、私は足首を切り落としたくなるんです。だって、空に昇るのに足なんて必要ないでしょう?

そう思っていてもやはり、時間は過ぎていくもので。どうしようもなかった私は、叶わない夢というか、理想というかを話してみたんです。

「来世は大きな木になりたい」

そう言うと皆が笑いました。

ある人はそんな生き方つまらないと

ある人はそんなに長くは生きたくないと

ある人は来世もまた人間が良いと

ある人は来世なんてないと

もう人生にに楽しさなんて求めてはいないんです

今世で生きていられなかった分も償わなければいけないんです

人間なんて醜いものです

来世を願って何が悪いんですか

と、

私は口をつぐむしかなかったんです。

そして私はこの希死念慮を周りの誰にも言わないと心に決めました。(ここだけでは発散させてください…)

口を滑らせるといけないから、私は段々と家で口数が少なくなり、声もか細くなっていきました。それで親が怒るのも当然だと思います。でもどうしろって言うんですか。もし話してしまったら、口に出してしまったら。だって、どんなに私の嫌いな人達でもこんな地獄に堕ちてきてほしくないんです。

ああ、はやく私なんて死ねばいいのに。

感想1

この経験談に投稿者さんの色々な感情や感覚が書かれていて、どれもおかしくないものだと思いました。体の一部を切り落としたくなることや、誰にも地獄に落ちてきてほしくないことなどは、似たように感じたことがあるので、想像できました。

今まで出会った人や環境は、評価や判断や感情を押し付けてくることが多かったのだろうと想像します。それらを押し付けるのではない関わりができる人や環境を今後開拓できれば、「死ねばいいのに」と自分に言う癖に変化が現れる可能性もあるのではないかと考えました。

感想2

大きな挫折や絶望があったわけではないと書かれていますが、人と比較されたり、陰口を言われたりする中で、徐々に自分の気持ちがすり減ってしまうことはあると思いました。

「俺より先に死ぬな」と言った教員の方は、それが必ずプラスのメッセージとして捉えられると考えていたのかもしれませんし、ただ死んでほしくないという思いを口にしただけなのかもわかりません。ただ、それが「こうあってはいけない」というメッセージと感じられ、投稿者さんにとっては重荷に感じられたのかもしれないと思いました。

自分に嫌気がさす、後悔が降り積もっているということから、自分に対しての責任感や戒めの気持ちが強い方なのではないかと想像しています。また「大きな木」というイメージから、想像力が豊かでいろいろなことを感じる力があるのではないかとも思いました。それだけに、他の人からの言葉や気持ちを受け取り、つらく感じることが多いのかもしれません。

他の人には言わないようにしている「死ねばいい」という気持ちを教えてくださってありがとうございます。死にたい気持ちや死んだほうがいいと思う気持ち、そのくらい苦しい気持ちを持ちながら、それを他の人に伝えることなく、一人で抱えるのはそのこと自体が苦しそうだと思いました。もしそれらの気持ちを当たり前の感情として書くことのできる場所が必要になったときは、死にトリを、たとえばここチャットやとりコミュなどを活用してみてほしいと思いました。