虚空を生きる

30代 男

はじめに。苦しい、つらいという感じ方は人によって異なるので、すべてを共有するということは難しいと思います。ただ今回は自分の気持ちを吐き出したいという思いと、本稿を読んでいただき第三者が何を思われるのか知りたいという気持ちが芽生えたので応募いたします。生きづらさに関してはこれまで色々積み重ねてきましたが、ある意味私にとってトドメとなったエピソードを1つ掘り下げながらお話いたします。

 私はごく普通、生活するには困らない程度の家庭に生まれ、父、母、3つ離れた妹と暮らしていました。親の教育は厳格ではないものの、例えば兄妹喧嘩に関しては「お兄ちゃんなのだから我慢しなさい」と言われたり、人生観においては「頑張っていれば見ていてくれる人がいる。結果が出なくても続けなさい」といった教育を受けてきました。

 そして、ここから私が生きづらさを抱えることになり、生きることをも難しいと強く感じることになる20代のお話をします。

あるタイミングから祖父が抱えている持病の関係で、家族全員で祖父が住む家へ引っ越すことになりました。祖父は間もなくして病状が悪化し、地域の大きい病院に入院することになって間接的な介護生活が始まりました。私は大学卒業後に近くの会社で正社員として働いていましたが父は仕事で夜遅くまで帰ってこず、母はパートの仕事に加えて家事もあるので私が仕事を定時で終わらせて帰ったあとに、運転免許を持っていない祖母を車に乗せて毎日送迎しました。祖父は現役のころはいわゆる職人で、悪い言い方をすれば頑固者でした。入院生活でもその元気さを発揮し、病院食を食べれば「不味い!なんでこんなものを食わせるんだ!」と騒いだり、消灯時間になってもテレビを見続けて看護師から注意を受けたりしていました。あまりに元気な祖父の状況を看護師から私へ苦言を呈し、それから面会のたびに「お忙しい中、いつも祖父が迷惑をおかけ申し訳ございません」と謝る日々が続きました。祖母は昔から亭主関白の祖父に意見することはもちろんできず、祖父のわがままに対して少したしなめる程度に留まりました。

このような日々がいつまで続くかわからず、妹に手助けを頼もうとある日相談をしました。最も分担しやすいもので言うと祖母の送迎ですが、妹は「ごめん、運転免許持ってないから送迎無理だし何もできない」と断りました。では病院から帰ってきてから一人の時間が増えがちな祖母の話し相手になって気分転換の手伝いをしてはどうかと提案したところ、それも忙しいので難しいと断られてしまいました。

妹の部屋からは、よく友人との通話の声が毎日廊下へ漏れていました。

祖父の介護生活が始まってから1年ほどして、祖父は亡くなりました。最期は家族と親戚に見守られ、病気で苦しい思いはしたとはいえ良い最後だったと思います。

葬儀や告別式になると、田舎の方からも親戚が集まった関係で忙しかったことを今でも覚えています。私は車の運転ができるので主に送迎を担当していましたが、落ち着いて家に戻るとそこで妹が殊勝に親戚にお茶出しなどして家のために動いている様子が見られました。親戚の叔母さんからは「良い妹さんだね。こんなに気遣いができるなんて」と言われましたが、私はなんとか言葉を選んで「わざわざ遠方から祖父のためにありがとうございます。自分は送迎ばかりで家の中のことができず、たいへん助かっています」と答えるのが精一杯でした。

妹は祖父の入院期間で1回もお見舞いにいくことはありませんでした。土日で家族が揃っているときも妹だけ「行かない」と留守番し、祖父が亡くなる直前まで行くことはありませんでした。そして祖父が亡くなったあとの親戚に対する妹の振る舞い方を見て、私は恐怖心を覚えました。

葬儀等が終わったあと、私は会社での仕事をこれまでのペースに戻そうとしましたが居場所はとっくになくなっていました。「お、今日は定時で帰らなくていいのかい?」と嫌味を言われたり、この1年間で同期はたくさん勉強して仕事をどんどん与えられるようになったりして、私は置いてかれていると実感しました。

私は会社を辞めました。朝起きて目は開いているのに体を動かせず、ただ目から涙がこぼれ始めてしまったのです。自分でもダメだとわかりました。

私の体調はメンタル面に響き、2年近く寝込みましたが友人の助けもあってなんとか立ち直ることができました。そこから環境を変えようと、家を出て遠い地方で一人で暮らしています。

地方へ行ってから家族とのやり取りも減ったので近況などは年末年始がほとんどでしたが、実家へ帰ったある日、妹から「彼氏と結婚することになった」と報告を受けました。いきさつを聞くと、祖父の介護中に偶然出会った異性とウマがあってそのまま付き合い、結婚するとのことでした。

甘やかされたまま育ち好き放題してきた妹が、祖父の介護生活中に彼氏を見つけ結婚。

一方私は家族のため、祖父のために自分の趣味の時間も捨ててはたらきかけた結果、体調を崩して2年間ほど寝込み社会的地位を失いました。この差は一体なんでしょうか。

「頑張っていれば見てくれる人はいる」一体誰が私を見てくれたのでしょうか。

「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」我慢した結果どうなりましたでしょうか。

祖父の介護1年と少し、自分の体調不良で2年寝込み、復帰後は2年間の遅れを取り戻そうとがむしゃらに動いても結果がついてくることはありませんでした。ただ虚しいという気持ちが強くなりました。

 今日を生きるために働き、生きるために食べ、生きるために寝ています。私は痛くない、苦しくないのであればいつ死んでも構わないと思っています。このような不条理を素直に受け入れて昇華できるほど心は強くありませんし、無駄になった20代を取り戻そうとすればするほど虚しさだけ積み重なります。諦めなければならないのです。私は諦めるために、そしてもう頑張りたくないから、この生きづらい世の中でこれ以上虚しさを積みたくないからこそ、死にたいのです。

ただ、死ぬ勇気がないから生きています。

最後に乱筆ではありますが、ここまで読んでいただいた皆様へ感謝申し上げます。

感想1

人の顔色を窺ったり期待に応えようとすることを、幼いころから自然とやっていたのかなと思いました。投稿者さんは、ある程度、親などからの期待に応えられたため、その役割をやめることが一層難しくなったのかもしれないと考えました。そうした背景から、自分が人生の主人公になり切れないような虚しさがあるのかなと思いました。周りの人たちに振り回され、心身ともに疲弊していそうだとも思いました。

今、投稿者さんが本当に欲しいものや、望むことは何なのだろうと思いました。嬉しさや楽しさといった心地よい感覚でしょうか。人生の主体になることでしょうか。感じたことや生きる時間を共有できる人との関わりでしょうか。

頑張らずに生きていても大丈夫なのだと、私は思いますが、頑張ることに慣れている今の投稿者さんにとっては、頑張らないことよりもむしろ頑張ることのほうが簡単なのかもしれないと想像します。

また、投稿者さんは元来真面目な性格で、仕事などを通して社会の役に立ち、地位や評価を得ることを重視する方なのかなと思いました。人や社会のために心身を削りながら動いても、報われないどころか、虐げられたり、不利な立場に置かれたり、人との関係が断たれたりしてしまうと、何のために生きているのか分からなくなりそうだし、人や社会への信頼も崩れてしまうかもしれないと思いました。

ただ、私は、このような経験を通して投稿者さんが知ったことや思うことは、社会が無視してはならない声であり存在だと考えているので、今後も負担になりすぎない範囲で発信してもらいたいと思います。

感想2

投稿を読ませていただき、我慢を強いられることが多い生活を送ってきたようだと思いました。「頑張れば報われるから我慢しなさい」というメッセージを浴びて、無意識的になのか、意識的になのかはわかりませんが、少なからずその言葉通りに努力してきたのにも関わらず、報われたと感じられるような経験を重ねることがあまり多くなく、そのギャップに苦しんでいるのかもしれないと想像しています。

そこで比較対象となり続けてきたのが妹さんの存在だったのかなと思いました。近くで見てきたからこそ、やりきれなさをより強く感じるのではないでしょうか。もし違ったらすみませんが、自分とは無縁な人が同じように結婚するなどしたときに感じる気持ちと妹さんが結婚することになったときに感じた気持ちは重みが異なるのではないかと読んでいて思いました。

「不条理」という言葉が印象的でした。おそらく条理に合わないことはこの世にはたくさんあります。でも、それが苦しくなるほどに投稿者さんは努力し続けることに疲れているのではないだろうかと想像しました。

投稿者さんにとって「楽しい」と感じられることや、感覚的にいいと思えるものはなにかないだろうかと思いました。もしあれば教えてほしいです。投稿者さんが無理や我慢を強いられるのではなく、ゆとりのある状況の中で投稿者さんのための時間を過ごすことができることを強く願います。