この先俺はどうなるのか

岐阜県・20代・男


現在27歳

21歳の時に両親が死んだ。両方とも癌だった。父親は余命宣告もうけてたし、心の準備もできてた。でもまさか母親まだ逝くなんて思ってもみなかった。

父親の葬儀のとき、母は普通に元気だった。なのに4ヶ月後父と同じように真っ白な顔で棺の中で横たわってた。あまりにも急だった。

俺はその時専門学校をやめて1年ニートをして、やっとフリーターとして再出発してたばっかりの時だったのに、その矢先の出来事だった。

母は優しく、ニートで精神的に病んでた俺を常に否定せず認めてくれていた。

兄と姉がいたがその2人はいわゆる普通の人間だった。就職もしてその年齢としては恥ずかしくないような生き方をしてた。家族で俺だけがどうしようもないくそやろうだった。

両親が死に家には兄、姉、俺、祖母の4人。祖母は比較的優しい部類の人だと思うけど、昔ながらで就職した結婚して家を建てて、それが当たり前と信じて疑わないひとだった。

俺にはどうも合わなくて、でも年が経つにつれ、兄も姉も結婚して家を出ていった。

残されたのは俺と祖母の2人だけ。

この先どうすればいいのか分からない。

この春、6年ほどアルバイトで働いてた会社に正社員として入った。でも、給料が減ることなど大事な内容はすべて後に教えられ、バイトだった頃の方が明らかに労働条件がいいことに加え、深夜勤務もあり、精神的にもまた限界を迎えてしまいつつある。

せっかくこれから人並みに普通に生きていけると思ったのに、俺には無理なんだろうか。

深夜勤務をしてから毎日のようにイライラして、物とか人にもあたりそうになるしまつ……他を探した方がいいと言ってくれる人もいるけど、人の顔色伺う俺はそんな簡単にできない。俺はどうしたらいいんだろう。

ニートに戻ってしまうのもこわい。

祖母も心配はしてくれているが、やはり価値観の押しつけをされる。正論だから悪いのは俺。祖母の言ってることが正しくて、それを受け入れられない自分がおかしいんだ。

母はもう居ない。誰も俺を認めてなんてくれない。

だったらいっそ、このまま消えてなくなってしまいたい。

両親が死んでからもう6年……ずっと死ぬのがどうして俺じゃなかったのかと思い続けている。あの時死んでいたのが俺だったらこの家族はどれだけ幸せだったのだろうかと。

生きるのがつらい。

未来に希望が見出せない。

兄も姉も結婚して家まで建てた。できてないのは俺だけ。俺だけが人として、大人として生きていない。

祖母と2人、勝手に死んで、勝手に家を出て、勝手に人に色々押し付けて、俺はそんなの望んでないのに、背負いきれないのものを背負わされて……もう無理だ。普通じゃない俺には背負いきれない。

いっそ全てを投げ出して命も何もかも放り投げてしまいたい。

母ちゃん、俺、会いたいよ。

もう疲れた。誰か助けて。

感想1

経験談読ませていただきました。

投稿者さんにとって母親さんが理解者であったこと、その母親さんが他界して社会で良しとされがちな価値観で評価されたり比べられる世界に取り残されてしまったような感覚になっているのではないかと私には想像されて、望んでないのに「普通」にならなければならないプレッシャーに押し潰されそうになっているようにも感じました。

「この先俺はどうなるのか」というタイトルからもこれからへの不安が伝わってきました。きっとこれまでも自分自身や自分と社会との関係に悩んできて、母親さんが投稿者さん自身や投稿者さんが進む道を否定せずに認めてくれることで安心をえながら歩んできたことを想像し、その母親さんが亡くなってからは投稿者さんが心細い中で生きてきたのだろうと私は思いました。この春に正社員になる決断をした結果、きつい現実となったことで自分の歩む道に自信がなくなってしまったようにも私は感じられました。

自分の選択をプラスと捉えるかマイナスと捉えるか、つらさがある時にはマイナスになりがちだなと私は思います。そんな時に否定せずに考えを尊重しながらも気づきを与えてくれたり一緒に悩んでくれる存在がいるとプラスの面も見えてきたり、そんな存在がいるというつながりを感じるだけでもつらさが緩和されたりすると私は思います。

 大切な存在を亡くした後、そのような存在を見つけるのは難しいことだとも私は思います。自分の中にいる亡くなった人にいくら問いかけても答えが出ないこともありますし、否定されにくい匿名の電話相談などを活用してもその場だけの安心しか得られないこともあります。ただ、自分をどう保つのか、自分がどう選択するのか、結局は自分で決めるしかないとしても、こうやって経験談を投稿してくださったように誰かに発信や相談をすることで、自分以外の考えや選択肢に触れる機会はつくれるのではないかと私は思いました。

 

感想2

どこか独り言のような、けれど投げかけるようにも読める文章だと思いました。支えになってくれていた母親さんも亡くなり、周囲の状況から追い詰められている感覚を強く感じました。

会社についての話を読み、労働条件などの大事な情報が契約後まで明かされなかったというのはとてもおかしな状況だと、憤りを感じました。しかし事実そういう状況があるときに、投稿者さんが自分の中だけでは抑えていられずに、物や人にあたりたくなるのも自然だと感じました。また不安を感じる中で、多くのことを考えることは負担だと思いますし、転職活動を躊躇するのも無理もないと思いました。

祖母さんの言っていることが仮に正しかったとしても、大多数の人が是という内容であったとしても、本当は適切な答えはおそらく人それぞれ異なっているので、受け入れられない自分をおかしいと思う必要はないと思います。

「人並み」や「普通」という言葉が指すものはとても曖昧で、実はそれは自分の周りにいる人が言っていた「普通」でしかなかったりすることも多いように思います。だから、それにならなければいけないということは決してないと思います。

結婚や家を建てることだけが目指すべき場所ではないと私は思います。(私自身にはあまり興味がない、ということもありますが…)それよりも、投稿者さんが望むことを考えてみたいと思いました。

投稿者さんがいいと思う時間、自然だと思える時間があるのならそれがなによりだと思います。そういう時間を、仕事をしながらでも、そうでなくても、探してみられたらいいのではないかと個人的には思いました。そのために死にトリをどう活用できるか考えてみると、たとえばとりコミュやアプリで思ったことを書いていってその中でご自身として吐き出し整理すること、あるいはここチャットで交流し、刺激を受けながら発見の手がかりにしていくことなどができるかもしれないと思いました。