私が生きたくない理由

東京都・20歳・女性

死にたくなる原因の体験談、との事でしたので事実や感じたことを中心に書いていきたいと思います。

まず、前提として私は典型的な一人っ子で両親が過保護だったのもあり、かなり幼い性格です。

始まりは小学校でした。私は保育園から同じ小学校に上がった人が少なく、知り合いが居ませんでした。元来明るい性格だったからか友達作りには苦労しませんでしたが、逆に固定の相手が居なかった事で疎外感はありました。そんな中、私の皮膚炎や悪癖をネタに男子に悪口を言われるようになりました。それが1年生で始まり、4年の時に新しく転校してきた悪ガキの遊びにされました。いじめへと発展し、男子への不快感と人間への不信感が強くなり、尚更特定の相手を求めるようになりました。時期を同じくして一人の女子の友人が出来ます。その子と同じ中学に上がり、喧嘩をしながらも仲良くしていました。

中学では笑顔は多いものの、自己中心的な考え方が受け入れられず、教師や先輩、同級生と衝突するようになります。小学校から同じ人が多かったのも手伝って孤立はしがちでしたが、周りの人は優しく、特別荒れる事もありませんでした。しかし、優しくされる度に人に対する恐怖感が募り、家庭で褒められる事の少なかった私は優しさに答えるには自分はもっと出来るようにならなければと思うようになります。文句を言われることの多かった性格を矯正するために試行錯誤をして、自分の行動を逐一振り返ってダメな所を繰り返し反省し、強く思い込む事で悪癖含めて性格を変えていきました。

なまじ成功してしまったのがいけなかったのでしょう。受験期に入ると部活のストレスと性格矯正の反動である考え方のまとまらなさに、受験と親の不調、反抗期が混ざって膨大なストレスを抱える事になりました。

勿論勉強どころではなく、学校でも周りに怪しまれる程には言動がおかしくなりました。指摘される事はありませんでしたが、注意は何度も受けました。家でも学校でも休める場所は無くなり、受験は失敗。仕方なく偏差値の合わない馬鹿学校に入学しました。

誰にも会いたくなかった私は家から少し遠い学校を選びました。勿論小学校で出来た仲のいい友人とも別です。気の置けない友人もいない新しい環境で、膨大なストレスを消化できないまま高校での生活が始まりました。

高校ではもう性格矯正も進み、人付き合いに対して積極的ではなくなっていました。しかし、頑張らなければいけない、受験の失敗を取り戻さなければと委員会で1年ながら副委員長をしたり、クラスの係や部活、勉学にも全力で取り組みました。結果、学校での知り合いも増え、私の名前が知られるようになりました。しかし、人付き合いのしたくなかった私はスマホを持っていない事を口実に連絡先を交換することもなく、学校でも一人を貫きました。

頑張らなければという思いだけで毎日学校に行ってタスクを消化する毎日。無理が来ないわけがありません。元々体が弱く、季節の変わり目は熱を出し冬はインフルエンザ、生理も重く月に一度は動くのもままならなくなる。そんな状態で、副委員長をやっていた文化祭委員が中心になる文化祭で、異例のクラスの出し物で全イベント2位、2年の時には全イベント1位の人気を誇るまでになりました。私にとってこれしかない高校での楽しい思い出です。結論から言うと、2年の文化祭が限界でした。

1年の時の担任は所謂ダメ教師でした。国語の教師なのに日本語がおかしく、時には授業中に新しい言葉を作ります。
相手をするのは主に私でした。ある時、掃除の時間にごみ捨てに行くのですが、何故か担任が燃えるゴミの袋と燃えないゴミの袋を入れ替えたのです。私が捨てに行き、燃えるごみの箱をひっくり返してみたら全て燃えないゴミ。勿論ゴミ捨て場の職員さんに怒られました。おかしいと思って記憶を辿ると、ゴミ箱の近くにいる担任を思い出しました。急いで戻って担任に話を聞くと確かに入れ替えたと言います。人生で初めて本気で大人に対して怒鳴り散らしました。
普段は、文句は言っても怒鳴る事などしません。声が良く通る関係で物凄く響くからです。特に多数の人間が居るところでは怒鳴ったことなどありません。
それから数日後、保護者会から帰って来た母に耳を疑うような事を言われました。なんと保護者会で私に怒られたという事を母に言ったそうなのです。仮にも担任が生徒に怒られたことをわざわざ母に言う必要がどこにあるのかと思いました。もう大人に対しての尊敬の念など無くなりました。大人というだけで何故偉いのかとよく言われますが、自分が死にたいと思うようになってからは生きてるだけで偉いのだと考えていました。しかし、人としてどうかと思う大人がいると、教師がいると知って大人という存在が信じられなくなりました。

元々の人間不信、男子嫌いに大人への嫌悪感で最早役満状態です。
2年に上がり、最初に勉強で問題が起きました。同級生と話していた時、何故この学校に入ったのかという話になりました。彼は偏差値60以上でどんな学校でも選び放題だったらしいです。そんな中、馬鹿学校に入った理由は、部活だと言いました。勉強も苦労はないと語っていました。私も勉強に関しては同意していました。正直勉強しなくても平均点、得意な教科に至っては、90点は固かったのです。ああ、こういう人もいるんだなと勉強で負けないように頑張ろうと気合を入れなおしました。
そんな話をした次のテストで私は得意教科で満点を取り、学年一位になります。これが問題でした。私の他に満点がいなかったのです。私が単独一位、何故、と思いました。内容は簡単で、特に引っ掛けもありません。ケアレスミスにしても1問間違い程度の点数の人はいません。勉強に関して無気力になった瞬間でした。
以降、授業中は両耳イヤホンで一切の音をシャットアウト、勉強もしない。それでも配られたプリントや教科書を読めば全教科80点以上をキープできました。

部活では、平気で嘘をつく同級生、面食いだと言って憚らず部活中でも男の話をする先輩、和気藹々としているようで閉鎖的な部活の雰囲気。確かに強いのでしょうが人としては嫌いな集団でした。部活をさぼるために学校も休みました。見かねた親に部活を辞める事を勧められて顧問に話を通して辞めました。

もう頑張る理由も見つけられなくなっていました。この頃には病んでいたのでしょう。今でも鮮明に覚えていることがあります。部活を辞める直前、同級生に何気なく言われたのです。最近笑わないね、と。その時に初めて疲れているのだと気づきました。

2年の秋、学校を休学してから半年間、ほぼ自室から出ない生活を送りました。食事は1日1食か2日に1食、ネットに溺れる日々。辛さなど何もない何も考えられない時間でした。正直殆ど記憶にはありません。気づいたら半年過ぎて、次の事を考える時期が来ました。無気力の弊害で時間通りに行動することが出来ず、毎日決まった時間に、ということがどうしてもできませんでした。太陽の光に嫌悪感も覚えるようになり、蛍光灯の光ですらストレスが溜まります。
そこで夜間の学校に行きました。友達も作りましたが半年で行けなくなりました。次にネット高校を見つけます。年に1週間のスクーリングのみで後は自分のタイミングでレポートを進めるだけ。私にはうってつけでした。2年留年しているので2年生からのスタートで去年、無事卒業し、新しくやりたいことも見つけてこれからはまた頑張らないと、と意気込んで大学受験も合格して今大学1年生です。

時間は戻って、高校の時にとあるネット上の友人Sと出会います。Sも辛い体験から仕事が出来なくなり、鬱で家から出られなくなった人でした。趣味が同じだったのもあって話題が多く、通話中に無言でもお互い別の事をしながら、12時間以上通話していたこともありました。
ノリが似ていて楽しく趣味の話をしていましたが、Sは躁鬱で自殺衝動が激しい人でした。ある時ODしたと連絡が入ってぱったりと音沙汰が無くなってしまったのです。恐らく遺言のつもりだったのでしょう。私は警察に連絡しましたが住んでる大まかな地名しかわかりませんでした。それでも姉のように慕っていたSが居なくなることが怖くて分かるところまで一人で出かけました。その時にS繋がりで仲の良かったもう一人も合流して二人で家を探しました。一晩ネットカフェで過ごして情報収集もしました。2日目、Sから連絡が入って家に押しかけました。生きている安堵で思いっきり泣きました。
それからSは私に鬱に関しての話を色々してくれるようになりました。私も高校に行けなくなって引きこもりになると二人でゲームをする毎日でした。しかし、そう仲のいいばかりではありませんでした。Sの地雷を踏み抜いて何度自殺未遂に至ったか。私も地雷を踏まれて自殺未遂をしながらの付き合いでした。連絡を取らない時期もありましたが、なんだかんだ長く付き合いました。

私が大学に入って、ストレスが増えるといつも愚痴を聞いてもらっていました。人生相談に乗ってもらったり相手の家に泊まったりする事もありました。私の家に泊まりに来たのは2度。そして2度目の泊りがきっかけで縁を切る事に踏み切りました。

1度目の泊りの時、母と仲良く話しているSを見て過呼吸を起こしました。その時は何故過呼吸を起こしたのか分かっていませんでした。正直な話、ストレスが溜まりすぎると頻繁に過呼吸を起こして一人で鎮めていたので、特別何か原因があるとは思っていなかったのです。

2度目の泊り、日本列島を縦断し多くの被害を出した台風19号の時です。Sは避難の為に泊まりに来ました。台風直撃の前夜、Sと別の友人と3人で通話していた時です。私とSと考え方の違いで口論になりました。Sはそれを口論ではないと言いましたが、不毛な言い争いです。
私は話をする時に相手との共有を目的とします。だから説明はきちんとするし、相手の意見を自分が理解できるまで聞きます。意見が対立した場合は妥協点を探してここならお互い納得できるよね?と持ち掛ける事が殆どです。しかし、その妥協点ですら押し付けられているとSは言いました。私はそれが理解できませんでした。価値観の違いとSはよく言いますが、人の考えをそういうモノだと放置し、話し合いを拒否するのは私自身の意見を聞く気がないんだと判断しました。それまでにも同じ話題での口論は何度もしていました。何度説明しても、もういいと言われてしまってはどうにもなりません。
耐えられなくなった私は台風直撃当日、嵐の吹き荒れる中家を出て一人で散歩に出かけました。私は雨が好きです。誰も私を気に掛けないからです。結局その日一日戻らないつもりで出たもののスマホを忘れた事に気づいて前科のある私は間違いなく親に警察に通報されてしまうと、1時間程で戻りました。それでも1時間、雨に降られながら(傘は役に立たない程の雨で結局ずぶ濡れ)色々考えました。寒いので頭が熱くなる事もなく色々考えました。結論は先も言った通り、縁を切る事でした。正直決めたからには即行動したいのですが、流石に台風の中追い出す事もできません。最終日、笑顔でSを家まで送り、帰宅してからSに連絡を入れました。簡潔に、結論だけ。Sは分かった、今までありがとうとだけ言って既読がつかなくなりました。そのまま連絡先を消して関係するデータを消しました。

姉とまで慕い、人間不信でもう二度と親しい人は作らないと決めていた私が大切にしていた友人がいなくなった今、親以外に生きる理由はありません。

私の考え方についての話をしていないのでSと縁を切った理由は分からないと思いますが、私が生きたくない理由と鬱になった大まかな経緯は以上の通りです。

私はもう誰の救いも求めていません。この体験談自体、誰か一人でも参考になればと書いてはいますが、必要ないのではという思いも強いです。ですが、私以外の人間は生きたいと思える何かがあるのなら生きる方が得策だと思っています。

感想1
こんなに詳しく書いてくださってありがとうございます。
あなたには独特の表現力と思考、感性があると思いました。それは、他の多くの人にはないもので、個性・センスだと思います。それはあなたと同じように感性の鋭い人一定の人たちにとって必要性があるものだと思います。とても貴重な経験だと思います。
おそらく出来事そのものよりも、そうした独特の感じ方や考え方について、もう少しわかるとより役に立つと思いました。だから、いくつか質問したいと思います。もし、よかったら答えてもらえると嬉しいです。

①書いてくれたような自分自身のことを客観的に捉えて、「自分にはこういう側面や特徴がある」と気づいたのはいつごろからですか?どのように気づいたのでしょうか?

②いろいろなエピソードからずっと何らかの生きづらさを抱えてきたと思うのですが、あなたが少しでも人を信用したり、生きようと思えるためにはどんな出会いや手助け、機会があったらよかったと思いますか?

以上2点についてもしよかったら、率直な意見をお聞かせください。

感想2
死にたい背景には、人間不信のなかで自殺未遂をし合いながら付き合ってきた友人との別れがあったのですね。文章から、自分自身の信念に従い、まっすぐに努力し続ける人生を送ってきたのだろうと感じました。性格の矯正を繰り返した結果、そのような生き方をしてきたのだろうと思います。ただ、その信念に生きるからこその生きづらさもあったのではないでしょうか。あなたが努力していることに気づいてくれる人が増えると生きやすくなるかもしれないなと勝手ながら考えました。

感想3
初めのほうに自己中心的な性格と書かれていますが、そうでもないような印象を受けました。どちらかと言えば、自分の感覚や意思をしっかり持たれているのだなと思いました。自分が何を信じる・信じないのか、何を求める・何を求めないのか、いつもよく考えられていて、決めたことは簡単には曲げずに貫く強さがあるように感じました。
あなたが「もう生きたくない」気持ちになるまでには、いろいろな要因が複雑に絡み合っているようです。生きづらい原因はこれ、と一言では表現できないのだろうと思いました。だからこそ、何をどうしたら問題の解決になるか、人生に希望を見いだせるか、分かりづらそうです。じっくり時間をかけて、色々な人と出会うことが、前進させてくれることもありそうです。
今は親がいることが生きる理由になっているのでしょうか。新しくやりたいことを見つけて大学に入学したと書かれていたので、大学でやりたいことはできそうかな?それは生きるモチベーションになっているのかな?と気になりました。やりたいことができているとしても、なかなか思うようにいかないとしても、それについてぜひ聞いてみたいです。
もし会場が近ければ、リアル居場所に来てもらえたら嬉しいです。

~質問の答え~

①私の考え方は自分を見つめなおすうえで必要だったからとしかわかっていません。もともと損得勘定をする方ではありましたが、数値やデータとして自分を量るようになったのは自己分析をするうえで必要不可欠だと思ったからです。

②先に結論を言うと、分かりません。人間不信と簡潔に書いてしまいましたが、私は元々が博愛主義で性善説を信じています。ただ、私自身に適用されるとは思っていません。人は他人に対しては優しい。けれど私にだけは優しくないかもしれない。と、常に可能性として考えています。なので、人間すべてが味方ではないと考えているわけではありません。そして、それを辛いとも思っていません。
信用できないから、信用するためにかけなければならない労力があり、人と積極的に関わりたくないという、言ってしまえばそれだけなのです。故に、私は人を信用する術を知りません。ああいう人や場所が良かった、と思うこともないので分からないのです。

~感想についての余談~

私の生きる理由は現在、親の他にないです。やりたいことというのも、あくまで親が生きている間の場繋ぎとして、親に先を見ているとアピールする為のものでしかありません。

体験談に、私の考え方はあまり書きませんでした。それは、私の考え方は世間一般の常識からは非常にズレたものだからです。信条があるのも、単純に意見を変えるということを好んでいないというだけで、何か崇高な心得を信じているわけではありません。私の考え方を理解できた人間はいないし、共感してくれる人間もごく少数です。そのことはもう受け入れています。ただ、多くの人が共感を求める為に読むもので、共感を得られない話をしてもしょうがないと思いました。

ただし、一つだけ伝えたいとすれば、孤独は感じるし、違うという事を隠しも嫌ってもいなくても、悩まないという事はありません。辛いとは思ってなくても不満はあります。周りが傷つけているのではありません。自分を認めていないわけでもありません。どうしようもないから私は変化を求めていません。そういう人もいるんだという事だけ知って頂ければ十分です。