ソーシャルディスタンスが心地良かった


東京都・30代・女性


2019年4月にうつ病になりました。それまで朝から晩まで仕事をしていてタフだったのに突然立っていられなくなり、声も出せず、文字が読めなくなりました。数ヶ月の療養とリワークをこなし2020年2月に復職しました。無事に通勤できるか、お客様や取引先様、部下の皆に笑顔で接することが出来るか不安で不安で仕方なかったのですが、職場はどんどんコロナで出勤停止やリモートワーク、商談や出張の禁止、ついには店舗休業するところも相次ぎ、私の不安とはうって変わって、休職中から変わらず1人黙々と何かする日が再スタートした感じになりました。マスクで表情が読めないのは、人の機微に触れるのが苦手な私には快適で、安定剤や睡眠薬が手放せないためアルコールは禁忌でしたが飲み会もないため断る理由を考える必要もなく、順調に職場復帰を果たし、上司からの評価も高く、時々体調に波はあるものの、生きて仕事が出来るところまで回復しました。しかし11月に緊急事態が解除され、うつ病になりかけた時期と同じ体制に会社が戻ると、徐々に体調が・・・深夜までの残業や、残業からの飲み会、ランチタイムや商談は人の顔色を伺い、夜遅くなっても帰らない大勢のお客様のお相手もし、当たり前の日常が戻ってきた喜びを感じられない自分が異端者のようで情けなく、コロナで犠牲になられた方や職を失った方達もいるのに罰当たりで、ワガママな自分が最低な人間で、普通ではないな、と自覚してしまうので、日々コロナ禍が開けていく明るいニュースに戦々恐々とする毎日です。

感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。
「ソーシャルディスタンス」って言葉、前からあったのかなかったのか知らないですが、このコロナ禍でよく耳にする言葉ですよね。このコロナ禍での意味としては、感染症の拡大を防ぐために、人同士の距離を大きくとり、密集度を下げることという意味があるようです。この経験談を読み、タイトルになっている「ソーシャルディスタンスが心地良かった」というのは、コロナ禍での意味合いと言うよりは、あなたがコロナ禍よりももっと前から感じていたソーシャルディスタンスがあったのではないかと想像しました。なぜかというと、会社や周りの人間関係に対して、「笑顔でいなければ、明るくしなければ」と言う気持ちが強く、少なからずあなたが無理をしながら生きてきたのではないかと思ったからです。また、他人に気を使いすぎて、顔色を常に伺ってしまい、敏感に相手の気持ちに反応してしまう(私の勝手な想像です。間違っていたら、すいません。)あなたにとっては、このような集団での生活よりも、一人の時間を過ごしている方が、ずっと気が楽なのではないかとも思いました。
うつ病になるまで、社会という集団に入らなければ…と必死だったのではないかと感じ、それが限界を越えてしまったのではないかと思いました。

それぞれ、その人その人で、他人との距離感の取り方やどのくらいの距離感が心地よいのかって、違うと私は考えています。学校や会社といった集団生活の中で、集団は同じ距離感で集団として動かなければいけないような圧力って少なからず、この国にはあるように私は感じています。でも、それでみんなが心地よく過ごせるはずないのではないでしょうか?
私は、それを念頭に置きながら、相手の「ソーシャルディスタンス」に入り込まないように気をつけているつもりでいます。このコロナ禍で、あなたのように「ソーシャルディスタンスが心地良かった」と感じている方は他にもたくさんいるように感じています。それは、コロナ禍が始まるもっと前からの集団生活のあり方に問題があるように私は思います。
コロナが終息する日を願いながら、この国の集団生活が「一人一人のソーシャルディスタンス」を考えながら、過ごせるようになることも強く願っています。

感想2
文章を読ませてもらいました。ここで綴られている、仕事における不安は、個人的な問題ではなく、社会的(ソーシャル)な問題だと思いました。
感染症は人間の力ではどうにもならない部分も大きいけれど、仕事についての不安は私たち人間が工夫すればどうにかできるのではないかと考えました。ただそのためには、社会的影響力を持った動きが必要なのだろうと思います。
昨今、新型コロナウイルスは社会への影響力がとても大きいように見えます。私たち人間の持つ社会への影響力がとても小さく見えてしまうほどです。でも、本当にそうなのでしょうか。
以前は朝から夜まで仕事をしていたと書かれていて、人間の自然な生活ペースに照らせば異常なほど忙しく、心身への負担がかかっていたのではないかと思いました。それを強いるような、社会的な大きな力が働いていたのではないか、現在もあなたの心身や生活に覆いかぶさっているのではないかと思いました。
ソーシャルディスタンスという言葉が世に出てきたのはこの2年のことかと思いますが、それ以前の私たちの生活は、様々な面で距離を詰め過ぎていたのではないかとも思えます。物理的距離だけでなく、時間的距離も詰まり過ぎていた(生活のスピードが速すぎた)のかもしれません。
感染症対策が求められる状況になったことで、それまで「普通」「当たり前」と多くの人が思ってきたことを見直すきっかけが生まれたと思います。この機会に、私たちが閉じ込めていたそれぞれの思いをもっとオープンにして、お互いに知って、寛容な文化をつくりたいなと思います。なので、私は、このように「死にトリ」で思いを発信してくれたことに感謝しています。
他のところでは、本音を話してはいけないと感じているのかなと思いました。本音を話せる相手を見つけるのはとても難しいなと、私も感じます。社会が大きな変化の途中にあるため、人と人がどのように繋がればよいのか、誰にどれくらい自分をオープンにしていいのか、分かりづらくなっているのかもしれないなと思っています。また、これまでと違った新しいものの見方や発想は、他人に受け入れられるまでに時間がかかってしまうこともあり、発信するのに勇気が要るようにも感じます。でも、その声はどれも例外なく大事で、私たちがより安心かつ安全に暮らしやすくなるためには必ず耳を傾けなければいけない存在だと思います。
心地よい暮らしについて、これからも考えたり発信したりしてもらいたいです。私もあなたの心地よい暮らしを遠くから応援したいです。そして、自分にできる工夫や発信はしていこうと思います。

返信
コロナの感染予防の観点ではなく、他人との心地よい距離は人によって異なる、というのは当たり前のことなのに、忘れていたようです。
気づかせていただいて、ありがとうございます。
この気づきや、自分自身の中にも私ならではの人との心地良い距離があることを自覚し、また他人に対してもそれがあることを心に留めて、この経験を活かしていければ、今の鬱々とした気持ちも無駄にならないかと前向きに捉えることができそうです。
今は服薬しながらの通勤をしておりますが、どうしてもハードな仕事をこなさなければ、という状況から抜け出すことは難しく、うつ病は少しずつの回復になっていますが、少しずつ本音で話したり客観的に見てもらえる人などに話ことで状況を変えたいと思いました。