埼玉県・20代・女
私は五人家族の二人目として生まれた。上と下にきょうだいが一人ずつ。両親と共に、今も昔も家族揃って、一軒家で暮らしている。
私は小さな頃から、人と話すよりも本と話していることが多かった。父は仕事が忙しく、母は下の子の世話で手一杯。上の子はそれを見て駄々を捏ねていた。私は自分だけの世界を楽しむのが好きで、──例えば、そう、様々な本のキャラクターや作者と話したり、人形遊びをしたり。そうやって日々を過ごしてきた。
そのせいか、同じ組やクラスの子たちとも、あまり馴染めないのが常だった。私は一人が大好きで、おそらく少し変わっていた。学校では、みんなそれなりの距離感を持って付き合ってくれていた。私はそれを不便に感じたことはあれど(忘れ物をしたときに借りに行ける友達がいないから)、不幸に感じたことはなかった。
成績はどちらかといえば良い方で、家もお金持ちに属していた私は、中学校から私立の学校に行かせて貰えることになった。受験は大変だったけれど、上の子もそうだったし、下の子もそうだった。
けれど、そのあたりから家庭環境がおかしくなった。
父は遅くまで酒を飲み、帰ってきてから私たちに怒鳴り、トイレで吐き、私や他の誰かの言動が気に食わないと、物に当たるようになった。母もストレスを溜め、頻繁にヒステリーを起こした。ちょうど大学受験を控えていた上の子に、やたら二人で圧をかけるようになった。よく喧嘩もするようになった。言い合いはヒートアップして、最後はただの怒鳴り合いになる。決まって家族全員が集まっているときに起きた。私は自分の部屋に逃げ込んだ。上の子はプレッシャーで体調を崩してしまったけれど、両親は気にも留めなかった。
私たち子どもは、三人で自分の世界に浸るしかなかった。
どうして、そうなってしまったのかも分からない。誰かに言って解決するものではないし、親元を離れるような経済力も、自分の状況を説明できる言葉も持っていない。
第一、信頼していたはずの大人が二人、簡単に信じられなくなってしまった。
誰を信じて話せと言うのか。
冷静でいられるはずがなかった。
そうこうしている内に、私は高校生になっていた。通っていた学校は課題が多く、それをこなすだけで一日が終わってしまうくらいに忙しい。加えて、その頃には、私は両親の存在に怯えるようになっていた。家に帰っても、心が休まることは決してない。過積載の船がどうなるかは、みんな知っているはずだ。
私は学校を休みがちになった。最初は体が重い程度だった。徐々に希死念慮が体を蝕んでいった。自分の死ぬ姿を想像し、何度もリプライしていた。今、階段から落ちたら? 校舎から飛び降りたら? 交差点に踏み出したら? 私は死ねるのだろうか。私の場合、『死にたい』という気持ちを認められず、どうにか押し込めていたのだろう。
授業が進むスピードは早く、すぐに追いつけなくなった。どんどん体のしんどさは増していき、ある時、布団から起き上がれなくなった。起きなくちゃ、と思うのに、不思議なくらい動いてくれない。やらなくちゃ、と思っているのに、何一つ出来やしない。朝起きることも、勉強することも、誰かと話すことも、どんどん出来なくなっていく。抜け出そうとすればするほど、私はぬかるみにはまっていった。
英語の教科書を読もうとした時に、それは起きた。
読めない。
文字が滑って、単語の意味が認識出来ない。
読んでいるはずなのに、内容が全く理解出来ない。
大好きな本を手に取らなくなった。それが好きなもので起きてしまうことを恐れた。
ある日、意を決して、私は本を開いた。ひたすらに祈っていた。信じていない神様にだって縋った。
結果は無慈悲だった。
私はストレスを溜めると、布団の中で声を押し殺して泣く癖がある。
あの日私は、声を上げて泣いた。
誰にも話したことがない、一番辛かった時期の話だ。
ほとんど学校に行けなくなった私は、転校を余儀なくされた。何かあると察しながらも、友人たちは私のことを見守ってくれていた。この時ばかりは、数少ない友人たちが恋しかった。
新しく通い始めたのは通信制の学校で、休んでしまっても、自分のペースで取り返すことが出来る。もう後がない私は、地べたを這いつくばりながら、高校を卒業した。
それから一年半、何もしない日が続いた。高校時代に、自主的に病院に通ったものの効果はなかった。
私には支えが欠けていた。
いや、違う。一つだけあった。
かくことだ。
本は読めなくなったが、描くことと書くことは出来た。
たった今書いているものしか認識出来ないけれど、文字を綴ることは出来たのだ。読めないことといい、私の感覚は、誰にとっても理解しがたいものだと思う。けれど、それは私にとって、家族や精神科の先生より支えになった。
かいていると、不思議なことに頭の中が整理される。この間にあった忘れてしまいたい出来事も、かくことによって整理できる。ややこしいことをしているように見えて、とにかく一心不乱にかいた後は、清々しい気分になっている。
これを続けて、私は今、少しずつ本が読めるようになっている。以前は一日と経たず読み終えていたものが、一ヶ月かけて、文庫本一冊。楽しくて仕方がない。
一年半、私は何もしないことを決めた。
今まで心も体も追い詰めた分、それを受け入れようとした。
自分の最低な部分と、向き合おうとした。
自分の状態を認められずに卑屈になっていた時期、私は泥酔した父と言い争ってしまった。理不尽な言い分に、食ってかかったのだ。私は私の気持ちを優先した。踏み躙られて怒った。
それが間違いだったのかもしれない。
被害は凄まじいものだった。大事にしていたものを壊されてしまった。巻き込まれた上の子や下の子は、私を責めた。
そのような時、どうすれば良かったのか。未だに私は分からないままだ。
それ以来、家でも外でも、自分の気持ちを出さずに、押し込めて、ありのままでいることは出来ない。そのままの自分が一番、とは言うものの、自ら下水を垂れ流したい人はいないだろう。勇気云々以前の問題で、多分、大体の人はそうだ。内面のどこか、酷い部分を押し込めて、ひた隠して、偶に露呈してクズと罵られる。両親がそうだったように、私もそうだった。
でも、私はそんな自分が嫌いではない。
天邪鬼な部分も、一人が好きな部分も、こうして実生活の役に立ちそうにないことを色々考えてしまう部分も、私は嫌いじゃない。家族にも、誰にも理解はされなかったけれど。
時を経て、私はアルバイトを始めた。職場にいる人々は親切で、質問すると丁寧に教えてくれる。
私は人と関わるのが苦手だ。大好きな本を紹介するのは下手だ。大好きな私を紹介するのだって下手に決まってる。
私は自分の色々なことに折り合いをつけて、これからもこうして何か書いたり、描いたりしながら、生きていくのだと思う。
そして、いつか私の好きな私を、ひた隠すことなく生きていけたら。場所や時や人がどうだろうと、私は幸福になれるだろう。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。
私もよく読書をしますが、この経験談は小説のように、読みやすく引き込まれるような感覚になりながら読ませていただき、あなたは読んだり書いたりすることがとても得意なのだろうと、始めに感じました。次に感じたのは、「一人が大好きでおそらく少し変わっていた」とあなたが書いていることについて。家庭環境では、小さな頃から家族との距離を感じていたように私には感じられて、あなたが気付かないうちに、一人の時間が日常的になっていて、一人の世界をどう過ごすかを模索しながら過ごしていたのではないかと勝手に想像しました。今となっては、このように語られているけれども、幼い頃は孤独感や淋しいという感覚はあったと思うけど、一人の時間が日常的になっていた為、それを埋めるというよりも、自分自身と向き合う時間が自然と長かった事から、自分だけの世界が特段濃いものになっていたのではないかとも勝手に感じています。
今まであなたの中で作り上げてきた、一人の時間が、家庭環境がおかしくなったと感じた時から崩れてしまった(崩されてしまった)ようで、この頃から、周りの目を気にしながら常に気を張って過ごさなければいけなかったのではないかと想像しました。経験談に書かれているように、一番信頼していた両親さんという存在が信じられなくなってしまっては、これから先、誰に助けを求めて誰を信用していいのか分からなくなるのも無理はない状況だと私も思いました。
学生生活では、ある程度親元を離れながら、自分なりの人間関係を築き、自分で学習して、学校という社会生活が始まる時だと私は思いますが、「過積載の船がどうなるか」という例えが、家庭環境でも学校生活でも休まる時間がなく、限界を越え始めていたと理解しました。それでも頑張り続けようとされていたのは、そうするしか出来ない環境だったのか、もしくは過積載の船に乗っているということをこの時はまだ分かっていなかったのか(忙しさのあまり)だと勝手に想像しました。もし、前者だとしても後者だとしても、あなたの周りの大人が気付き、救いの手を差し伸べるべきだったのではないかと思ってしまいました。
書きながら、あなたなりに整理されているということなので、この経験談の投稿により、今までのあなたの人生を振り返ることが出来たのかもしれません。また、始めの方に書いた印象(あなたは読んだり書いたりすることがとても得意なのだろう)よりも、このように人生を振り返りまとめられるということは、ただただ得意ということだけではないということを強く感じています。
後半の方に読み進めれば進めるほど、自分自身を責めている気持ちが少なからずありながらも、ありのままの自分を受け入れようと努力されている姿を感じました。そのためにもあなたはこの経験談を投稿してくれたのではないかと私は思いました。自分の苦手な部分も理解されながら、自分の中で折り合いをつけて…というのは、なかなか誰でもできることではないのではと思い(私自身がそうすることが難しい場面が多々あるので…。)、このように考えられるあなたは今までの辛い経験も自分の中で整理されている方なのだろうと私は思いました。
最後に書かれている「私は幸福になれるだろう」という言葉が「自分の道は自分で歩む」といった決意表明のように感じて、今も今後もあなた自身を支えているようにも感じました。
感想2
タイトルのun-coverという言葉に、経験談を書かれたときの思いが端的に表されていると思いました。
読んでみて、家庭や家族に関する、その時代の世間でよくある価値観(このような家庭を築くのが望ましい、みたいな)があなたの経験に影響しているように思いました。そこには、「家族は長く続くべきだ」という考えも含まれていそうだと思いました。
あなたは特定の他者に対して、そこまで興味を持たないタイプなのかなと思いました。そうなると、両親ときょうだいという家族で長期間、一つの家で暮らすことは、距離が近すぎて、あなたにとって必票以上に家族の人たちからの影響が濃くなってしまいそうだと思いました。学校であれば、程よく距離を持って関わり合うこともできたけれど、家族とはそうにもいかない環境だったのだろうと思いました。
親たちの乱暴な振る舞いや感情の表出に対して、あなたやきょうだいには何の責任もないと思いました。
私は、中学生くらいからは実家ではなく下宿で生活することも、当たり前に選べるようになればいいのになと思っています。中学生の年代であれば、自分の望む生活環境を判断して選択すること、そして実際に他人の助けを借りながら自分の生活を成り立たせていくことが、ある程度可能だと思うからです。にもかかわらず、そのような選択肢は現状では殆どなく、保護者の用意した生活環境しか選べないというのは、不自由過ぎるし、若者の人権が軽んじられていることの表れではないかと考えます。
生きている社会の中で、自分の権利が軽んじられていれば、生きる気力すら尽きてしまうのも無理はないと思います。それでもあなたがなんとか時間を過ごして生きようとする中で、今までできていた生活の動作や知的な作業ができないという症状が起きるのも納得できました。
一方で、周りの人がどうだろうと影響されにくい、自分の思考や楽しみを持っていること、それを支えにしてきたことも伝わりました。
たしかに、人は自分の一面(好きなところも嫌いなところも)を隠したり偽ったりして、自分を保とうとしていることは、よくありそうだなと納得しました。無自覚にそうしていることもありそうです。それによって、誰かにとても苦しい思いをさせるわけでもなければ、構わないと思いました。興味深い示唆をありがとうございます。
返信
経験談を読んで頂き、ありがとうございました。
現在、働きながら小説家を目指しているので、表現などにも感想を頂けてとても嬉しいです。
書いた意図を優しく掬いあげてくれるような感想を読み、色々なことを想像して読んで頂けたことが伝わってきました。私自身、当たり前と思い込んでいた部分に気付いたことや、別の可能性もあったかもしれない、と想像が広がったのは、頂いた感想を読んだからだと思っています。未だ人との関わり合いに苦手意識はありますが、こういった気付きこそ、他者との関わり合いの中で、特に生まれやすいものとも思います。
書いているときは、ただ必死に書いていました。一心不乱にキーを打つだけで、読み手のことなど頭にありませんでした。
しかし、振り返ればそうではなく、自分は何を見て辛かっただろう、あのとき何を思ってどうしていただろう、と過去を追体験するように思い出そうとしていたのです。私はずっと、ただ身に起こったことを誰かに分かって欲しかったのでしょう。
長い間言葉に出来なかった体験を、小説のような形で出力できたのは、それが「好きなもの」(私の場合は本などの物語)という防壁そのものであったから、というのが大きい気がします。投稿した文では、終わりがあるのであの最後となっていますが、実際は解が一つではなく無数にあり、変化していく内の一つ、程度に捉えています。
人生のしんどさをありのままに書くことは、触れなかった傷に初めて触れるようなもので、誰にとっても簡単なことではないと思います。その上で、様々な方が同サイトの経験談を書かれているのは、すごいとしか言いようがありません。投稿数だけ、ままならない現実を抱える方がいると思うと、複雑な気持ちですが。
何より、他者の経験に寄り添いつつ、未来に手を繋いでくれるような感想が、私には眩しく見えました。それが一番難しいことも相まって、雨間に架かる虹のようだと思います。
ネットにこのような場があると知れたことも、一つの収穫になりました。
最後に、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。