虐待、トラウマ、自傷などに悩む方々へ


埼玉県 中1 女子


これまでの家庭環境、虐待、フラッシュバックなどを書き出していきます。たった1人でもいいから、この文章が誰かに届いて、影響を与えられたらなと思います。
ちなみに私は現在中一の女子です。
同年代の方は参考になるかもしれません。

前提として、父について少し触れておきます。
父は私が生まれる前はかなりのヘビースモーカーでしたが、私が2、3歳の頃に禁煙し始めました。父は異常にプライドが高く、少しでも気に入らないことがあると家族だけでなく外出先でも激高するような人でした。
まず私が小3の時に、祖父が創業し父が経営していた会社が倒産していたことを知りました。母親が知らされたのがこの頃と言うだけで、本当はもっと前から倒産していた可能性もあります。母がその事実を知った時には父は既に多額の借金を抱えており、住んでいたタワーマンションを売却して引っ越さなくてはいけなくなりました。金銭的な理由で引っ越したにも関わらず、父はそのプライドの高さから見栄を張り、私の転校先の小学校の目の前にある家賃20万円の3階建て一軒家を借りました。この行動に対し、当然ながら母は猛反対。毎日のように激しい喧嘩を繰り返しました。結局父が、金銭面に問題は無いと言って押し切りました。今となってはそれが全くの虚言であることは明らかですが。私は都内某所の小学校に転校し、転校先ではあまりこれといった問題は起きませんでした。元々性格に難のあった父ですが、この頃から金銭面の問題もあり、どんどん攻撃的な性格になっていきました。この頃の父の行動は以下のようなものです。
・私に向けて人格や存在を否定する発言
・同居している祖母に食事代 を全く渡さない
・私の貯金を盗んだり、私物を勝手に売る
・家中の家電や家具を売る
・母の私物のブランド物を勝手に全て売る
・喫煙も再開し、毎日大量に飲酒と喫煙、ボートレースなどのギャンブルに溺れる
・家賃、電気代、水道代などの諸経費を滞納、借金も返済せず、大家などから毎日のように催促、私自身も話しかけられた
など…
父と母は毎日何時間も3階で激しい喧嘩をしていました。私は妹にそれを聞かせないため、怖がらせないために必死で妹の気を紛らわせました。それと共に、些細なことですぐに激高する両親(母もストレスからかそうなっていった)の機嫌を損ねないため、2人の喧嘩の内容から、どんなことを言わないように気をつければ良いか探っていました。どんなに長時間喧嘩をしたあとでも、2階(リビング)にやってくる時には平静を装っている2人を気味悪く思ったりもしました。
3階にある一室が私と妹の部屋でしたが、いつの間にか父に乗っ取られていました。父は私の部屋だった部屋で生活し、父と母は居住スペースを分け、生活を共にすることはほぼありませんでした。自分の部屋に自由に入ることが出来なくなった私は、父がいない隙に自室だったはずの部屋に忍び込みました。すると、床は酒の缶やビンで埋めつくし、タバコの臭いにまみれ、シンクには吸い殻が溢れかえっていました。その様子を見た私は、拒絶反応からすぐに扉を閉めました。
やがて、最低限の生活すらままならなくなり、母は昼夜問わず働き詰めになりました。
夜間私と妹の2人きりは危ないという理由で、母は仕方なく私に、夜間は父と過ごすようにと告げました。この頃から両親は、自分に都合のいいように操ることが出来る妹を、激しく贔屓するようになりました。父も母も、本当に些細なことで激高し、私に対して人格否定や存在否定を含む発言を繰り返しました。
そんな状況だったため、私に居場所はありませんでした。
特に父は酷く、母のいない夜間、私に逃げ場はありませんでした。自分が空気になったかのような感覚でした。
そんな状況を見兼ねた母が、妹に対し、夜間自分がいない間はYouTubeを見ていい代わりに3階にいる父親を呼びに行ってはいけないと伝えました。しかし、妹は寂しさからか、毎日のように父親を呼び、YouTubeも見ていました。
こんな状況の中、何も出来ないことへの無力感や、繰り返される存在否定的な発言により激しい自己嫌悪に陥った私は、次第に自傷行為に走るようになりました。母は自傷や自殺などは精神的に弱い人がすることで、生きたくても生きられない人を冒涜する最低な行為だという考え方でした。そのように言われて育ったからか、自分の衝動に激しく戸惑いました。そのため私は、自傷行為をしていることを気づかれるわけにはいきませんでした。見えにくい太ももや、腕を上げても見えない位置の二の腕などを切っていました。自傷行為は今も辞められておらず、小4から中1の今まで3年以上続いてしまっています。やめなくてはいけないとわかっているのにやめられない自分にさらに激しい嫌悪感を覚え、また自傷に走るという負の連鎖にはまってしまったのです。
結局、両親は離婚し、私は転校はせず母と妹と共にアパートに引っ越しました。
学校の目の前の巨大な一軒家に住んでいた私が、急に狭いアパートに引っ越したので、友人たちも何かあったと察していたと思います。もし仮に周囲が気にしていなかったとしても、私は意識してしまっていました。母は当然のように昼夜問わず働き詰めで、私も妹も母と過ごす時間はほぼありませんでした。学校から帰って妹の世話などをし、寝かせたあと、この時間帯に自傷行為をしていました。この頃から寝たくても眠れない日々が続きました。寝ようとしても眠れなかったり、途中で何度も起きてしまったりしました。この頃は毎日2.3時間ほどしか眠れていませんでした。母もストレスから攻撃的になり、限りなくゼロに近い母と過ごす時間は、罵りあいや喧嘩を繰り返しました。その際に人格や存在を否定する発言もありました。そのような発言に苦しむと共に、自分や妹のために身を粉にして働く母に対して何も出来ないことを思い悩みました。ここでもまた激しい自己嫌悪に陥っていました。父が勝手に母名義で多額の借金をしたことでその返済にも追われ、本当にギリギリの生活でした。母方の伯父の家族に様々な面でお世話になりました。私が小5の時、母がある男性を連れてきました。私は過去に、両親のやり取りを見るために母のスマホを覗き見したことがあり、その際まるで恋人のようにやり取りしていた男性がいました。母が連れてきた男性はその人でした。何回か様々なところに遊びに連れて行ってもらいました。その時点から私は色々と勘づいていましたし、母もそのことに気づいていたと思います。そのため、小5の冬、いつの間にか自然と母は再婚していました。再婚に伴って私は再び転居及び転校をすることになりました。相手の男性はバツイチで中小企業の重役、年収1000万以上の方でした。
特に学歴も良くない母と、どのようにして接点を持ったのかは未だに不明です。
突然新たな父親ができ、生活を共にすることになったということが受け入れ難く、激しく葛藤しました。また、家族なんていくらでも替えがきくんだという事実に失望し、人間不信のような状態になりました。実父から存在否定などを受けていたことから、父という存在に激しいトラウマを抱いていたことも原因の一つだと思います。そんな私と対照的に、贔屓されていた妹は直ぐにその環境に適応しました。義父のことを父として受け入れ、母が望むような自然な対応をしました。そんな妹に対して劣等感を抱き、またも自己嫌悪に陥りました。その方は金銭面に少し余裕のある方だったので、私が兼ねてより希望していた中学受験をさせて貰えることになりました。小6の夏期講習からという、異例の時期からのスタートでした。そこから私は毎日血眼になって必死に勉強しました。集団塾だけでなく個別塾にも通い、休日はほぼ一日中自習室で過ごしました。満足に食事をとる時間などなく、ストレスも相まって半年で5キロ以上体重が落ちました。新たな学校での人間関係は上手くいっていましたが、ある日筆箱が盗まれ、それを皮切りに犯人不明の陰険ないじめが始まりました。ほとんどの人とは仲良くしていましたが、一部の人から恨みを買ったのだと思います。最終的には私物に死ねと書かれ、総額1万円分程の私物が盗まれました。受験の方は、第一志望としてある超難関校を設定しました。最後の模試では一歩届くか届かないかという程度の学力でした。しかし、奇跡が起きることを信じて、最後まで諦めず勉強し続けました。試験当日、電車で会場に向かいました。しかしその途中で冷や汗が止まらなくなり、最終的に倒れました。余裕を持って出発していたこともあり、少し休んで何とかして試験を受けました。が、当然全力を出し切れる訳もなく、呆気なく私の第一志望への夢は終わりました。必死で努力したのに、万全の状態で受験することさえも出来なかったことが、悔しくて悔しくてたまりませんでした。結局、第二志望と第三志望の学校には合格し、第二志望の学校に通うことになりました。今はその学校で、特に人間関係の問題などはありません。母はこれまでの出来事で性格が歪み、今でも些細なことで激高したり、私に対する存在否定を繰り返しています。父にも母にも感謝していますが、それを上手く伝えられないこと、父を父として受け入れられないことなど、自分の未熟さに嫌気が差します。私も様々な出来事によって情緒不安定になり、存在否定などを受ける度に自傷行為に走ってしまいます。理由もわからず切っている時もあります。私立に行けているなんて、すごく恵まれた環境にいて、もっと辛い人は沢山いること、わかってます。なのに自傷に走ってしまう私は弱いのだろうか。母によく、お前は何でもかんでも環境のせいにしているだけだと言われます。私は環境のせいにしているだけなのだろうか。
少し話は変わりますが、生活に困っていた時お世話になった伯父には、娘と息子(私のいとこ)がいます。年に数回ほど相手の家に泊まりに行くことがあるのですが、小4か小5の頃から一歳上のいとこから性的な被害のようなものを受けています。具体的には下着の中に手を入れられて直接身体中を触られ、怖くなって部屋から逃げようとすると強く掴まれて無理やり引き戻されたりなどです。母などに相談すれば済む話なのだと思いますが、生活苦の時、そのいとこの父にあたる伯父に助けて貰ったため、後ろめたい気持ちが強くあります。結局今まで誰にも相談できていません。両親の喧嘩や怒鳴り声、私に対する罵声、いとこからの性的被害などが、今でもフラッシュバック?のように唐突に鮮明に蘇り、その度にとても苦しいです。
「相談窓口」といったワードでヒットした様々な機関に相談させていただいた結果、私のような事例は十分に心理的、性的な虐待(被害)にあたり、症状もフラッシュバックといえることがわかりました。
私の場合、心療内科などの専門機関を受診することはどうしても難しい環境にいるので、匿名で相談するという選択をしました。誰かに打ち明けるだけで楽になることもあります。もし専門機関に行ける環境にいるなら躊躇うことなく受診すべきだと思います。
現に私は、専門的な治療を受けることが出来ていないので、
・過去のトラウマのフラッシュバック
・唐突に虚無感に襲われ何もかもがどうでも良くなる
・睡眠障害(酷かった頃は毎日2.3時間ほどしか眠れなかった)
・立ちくらみ(つい最近立ち上がった瞬間平衡感覚が狂い気づいたら地面に倒れ込んでいた)
・全身に湿疹
などの様々な問題が起きています。
私のようにならないためにも、もし専門機関に行ける環境にいるなら躊躇わずすぐに受診することをおすすめします。
また、私のように自傷行為をしている皆さんに伝えたいことがあります。
自傷行為をしている人全員に当てはまるとは到底思いませんが、少なくとも私の場合は自己嫌悪から自傷行為に走っていました。そして先述したように、やめなくてはいけないと思うのにやめられない自分を責め、また自傷行為をしていた。いや、しています。
だからこそ言いたい、皆さん自分を責めないで。これは自分にも向けています。
この文章が誰かの力になれたら幸いです。

感想1
とても凛々しい文章だと感じました。そして、どんな場所でどれくらいの時間をかけて、この文章を書いたのだろうと投稿者さんの姿を想像しました。
幼いころから、ピーンと張りつめた緊張感を纏いながら生きてきたのだろうと受け止めました。自傷行為をしているときは、もしかしたらですが、ある意味リラックスしている状態ともいえるのではないかと私は考えてみました。唯一、緊張感を手放している状態、そんなイメージを持ちました。
 父母に感謝しているけれど、それを上手く伝えられないことに嫌気がさしているのですね。もしかしたらですが・・・本当は父母に嫌気がさしてる。でもそれを認めてしまったら、中学生の投稿者さんは生きるすべを失ってしまう。だから今は自分を責めざるを得ない。そんな構図が浮かびました(決めつけのように感じたらごめんなさい)。
 文章の端々から、投稿者さんが希望を捨てていない印象を持ちました。なぜだかわからないけれど、私は感じました。

感想2
経験談の投稿、ありがとうございます。
「私は環境のせいにしているだけなのだろうか。」という一文で立ち止まりました。
私は、環境に目を向けて、どうしてそうなったかという背景を分析的に考えられるセンスは、とても貴重であるように思いました。なぜなら今の世の中では、それぞれの人が置かれている環境の中にある問題を無視して、個人の問題にしてしまう考えが根強く、それによってたくさんの人が生きづらくなっていると思うからです。
みんなが今よりも苦しまず生きられる世の中にするには、生きる環境の問題への理解を深めていくことが大切だと、私は思っています。なので、この経験談のように、辛さの背景にあったことを詳しく記述してもらい、読ませてもらえるのは、本当にありがたく思います。
厳しい環境への理解を深めていくと、自分たちの力で生きる環境を改善できるのだろうか、世の中を動かすことなんてできるのだろうか、といった諦めや絶望を感じることもあるかもしれません。でも、似たような環境にいて苦しんでいる人や、何とかしたいと思う人が、自分だけではなく、たくさんいることが分かれば、心強く思うこともありそうです(私自身、このサイトの経験談を読んでいて、そう思うことは少なくありません)。
匿名での相談をしてこられたことで、ご自身の過ごしてきた環境と、その影響で出ている症状についての理解が深められ、自分を責めることではないのだ、と頭の中の整理がついたのだと解釈しました。ただ、頭の中では解っても、心が追い付くのには、少し時間が必要なのかもしれません。
家庭環境で起きていることがよく解っていなかった妹さんと、ある程度解っていたあなたとでは、大人たちからの態度が対照的だったとありました。これは、贔屓される方と否定される方、どちらの立場も、それぞれの生きづらさがありそうだと思いました。
この経験談のように、家庭環境での経験とその影響を整理して、言葉で書いたり相談したりすることは、偶然あなたのいた立場や背景から、比較的やりやすかったのかもしれない、と思いました。
自分のいる環境のことがよく解らず、いわゆる自己責任論に流されて苦しんでいる人は、たくさんいると思います。なので、今後も、あなたの経験してきた生きづらさの背景になっていることを、小さなことだと過小評価するのではなく、そのまま発信してもらえたらなと、私は思いました。
苦しい経験の影響は、自分を責めることではないのだと解ったところで、全くなくなることはないだろうと思いますが、あなたが自分の存在を否定せず認めてくれる人と過ごす経験が増えて、薄まっていくといいな…と思いました。