みかづきとまんげつ


28歳・女性


わたしは会社勤めの28歳女性独身。
ここ半年は記憶が飛ぶくらいに忙しい日々を過ごした。

4月6日。
半年ほど前から体調不良を訴えていた父。
その原因が分かった日。
父はステージ4の進行が進んだ膵臓癌だった。
忘れもしない、父の最初で最後の弱音「もうだめかもしれない」。
すいぞうがん?がん?腫瘍?悪性?
半年前は一緒に旅行して、三か月前は一緒に外食したよね?
先月まで元気に出社してたよね?
がんって高齢のひとがなるんじゃないの?
まだ58だよね?
主治医から話がある?
訳が分からず、信じられなかった。
その日を境に膵臓癌と抗がん剤治療在宅医療について調べ上げた。本を読み漁った。何かできることはないか何とかならないか、もがいた。しかし調べれば調べるほど手の施しようがないことを悟った。悲しかった。辛かった。あり得なかった。後悔した。なんでと思った。何も出来なかった。

5月18日。
父が1ヶ月ぶりに家に帰ってきた。私たちはさまざまなリスクを負って在宅医療をすることに決めた。
家族四人の戦いが始まった。
私と兄はリモートワークやフレックス制度を活用し、実家と県外の職場を行き来した。
仕事熱心だった父に心配をかけないよう、
自分の介護のせいで子供たちの仕事に支障がでていると思わせないよう、
身を削って仕事と介護をした。
何ともないフリをした。
無我夢中だった。

6月18日。
在宅医療と通いの抗がん剤治療を始めて一ヶ月。訪問看護、訪問入浴、リハビリ…父の習い事が増えた。生活リズムができてきて、抗がん剤治療が少し効いたのもあり、平和だった。
4月に脳卒中を併発した父は左半身不随だったが、それを苦ともせずリハビリを頑張り自力で杖をついて歩けるようになった。
このままよくなってくれたらどれほど幸せだろうと考えた。本を読み漁ったからそんな可能性は1ミリもないことは頭では分かっていた。けれど奇跡にすがりたかった。

7月18日。
また一ヶ月が経過した。父は相変わらずだった。ご飯も偏食してはいたがよく食べてくれた。どれだけご飯を食べても体重が増えることはなく、4月から20kgは落ちていた。
私は仕事が忙しくなり、介護と仕事のストレスで爆発しかけたこともあった。限界を感じた。けれど何とかとどまった。とどまれた。父のために。

8月18日。
夏真っ盛り。しかし父は寒がってフリースを着ていた。
腫瘍マーカーと抗がん剤治療の経過を主治医から聞いた。結果はあまり効果がみられず、父の残された体力と抗がん剤の毒を天秤にかけると抗がん剤やめた方がいい旨を伝えられた。父はショックを受けていた。いつかこの日が来ることを頭では分かっていたが耐えられなかった。耐えようがなかった。心臓が刺された気がした。

9月6日。
わたしの28歳の誕生日。一番におめでとうと言ってくれたのは父だった。もしかすると来年はもう言ってくれないのかな…そんなことを考えるだけで涙が出た。
訪問医と父の今後について玄関で話をした。9、10月が山場かもしれない旨、何があっても驚かないでほしい、覚悟をしておいたほうがいいと言われた。10リットルの涙を流した。

9月17日。
父の呼吸がかなり苦しそうで在宅酸素がきた。酸素吸引機も持ってきてもらった。
当たり前のことがひとつずつできなくなっていた。歩くこと、排泄すること、自分で食事を取ること、起き上がること。それでも沢山話をした。
この日はリモートワークをする兄妹にポカリとって、爪切って、綿棒とって、尿瓶持ってきて、靴下はかせて、ベットの角度あげて、10分おきくらいに注文がきた。お父さんうるさいねって兄妹で顔見合わせて笑った。それが最後の甘えだとも知らず。
お気に入りのアニメを見ながら父は月が見たいと言った。

9月18日。
朝は痰がつまり苦しげだったがその後また眠りについた。
父は一日のほとんどを寝て過ごしていた。私はなぜか穏やかで介護ベッドの隣で本を読んだり勉強をしたりしていた。
17時ごろ目を覚ました父は、昨晩明日食べようと約束していたグリーンカレーを食べようと言った。21時、また明日ねおやすみと言って寝た。ご飯を食べられているから、まだ、大丈夫だ、と思っていた。

9月19日。
父は目を覚まさなかった。
介護ベッドのとなりで寝ていたのに気づけなかった。
まだまだ話したいこと沢山あった。
教えてほしいこと沢山あった。
助けてほしいこと沢山あった。
見せたいもの沢山あった。
そばにいてほしいイベント沢山あった。
父の心臓が止まった。私の心臓は切り裂かれて修復不可能になった。
少しずつ体温が失われて冷たくなる父の身体。父の温もりを最後の最後まで感じていたくてずっとそばにいた。

9月20日。
父が旅立った。
火葬後、雨が降っていないにも関わらず虹が出た。父が笑っているようだった。
夜は大きくてまんまるな満月が夜道を照らした。中秋の名月だった。満月となり私たちを照らした。最後まで粋な父だった。

12月19日。
三か月が経った。
父譲りの私は幸い強い。一度も会社を休まず、自分を奮い立たせて毎日をこなしている。仕事、資格の勉強、運動に励んでいる。失っていた日常を取り戻しつつある。
三か月間、死との向き合い方、親を亡くすことについて考えた。本を読み、人と話し、映画を見、絵を描いた。
その中で考えたのは、親を無くすのは自分がいくつでも当たり前に辛いもの。ただ自分がどのライフステージにいるかでも変わる。日常の何気ない節々で父を思い出す。悲しみに浸りたい時もあるが、どんなに泣き叫んだ時点で父は帰ってこない。それなら笑って充実した日々を過ごしてるほうが父も喜ぶはず。
人を亡くす経験をした人は強く優しい。

父はいつも私を見守ってくれている。虹となり、蝶となり、満月となり、ずっと私たちを見守ってくれている。

父が残してくれた1番の財産、自分自身を大事に、これからも強く優しく生きていきたい。

感想1
投稿者さんとご家族みなさんの詳細な闘病記だと感じました。
みかげつとまんげつというタイトルが、投稿者さんの気持ちのいろいろな部分が小さくなったり大きくなったり揺れ動いたことを表しているのかも知れないと初めは想像しました。でも火葬後の夜の名月のエピソードと、いつも見守ってくれているお父様を満月と書かれておられるので、みかづきは誰のあるいはどんなことを表していたのだろうかと知りたくなりました。

お父様を突然に病が襲い、そのことを詳しく調べれば調べるほど諦めざるを得ないような耐えがたい情報にしかたどり着けなかったのだろうと想像しながら読みました。そのたびに投稿者さんとご家族のみなさんは驚き、悲しみ、怒り、笑い、願い、受け止め、悟り…、などを繰り返し経験されたのだろうと想像しています。それらの情報がもたらした衝撃の大きさは、「10リットルの涙」「切り裂かれて修復不可能」などに表されていて、実際には筆舌に尽くしがたいほどのものだったに違いないと思っています。

もっと沢山のことをして過ごしたかったのに、その願いが叶わずに過ぎてしまった半年は、投稿者さんにとってはあまりに短い半年だったかも知れません。また一方で、日常が失われ続けたとてつもなく忙しい半年はそのストレスも重なって長く感じたかも知れないと想像しました。その間の投稿者さんの気持ちの振れ幅はいかほどのものだったろうか、おひとりでは抱えきれないような、そして文字に表しきれない出来事と思いがあったのではないでしょうか。私の一方的な想像と陳腐な表現とで申し訳ないのですが。

お父様のご逝去から三か月が過ぎ日常を取り戻しつつある中で、投稿者さん自身が本来持っておられるお父様譲りの強さのもと、時間をかけて「強く優しく」生きて行こうという決意がもたらされたのだろうと読ませていただきました。記憶が飛ぶほどの忙しさをもたらした病気とか変化を強いられた日々が誰かを何かを責めるでもなく、また悔やみはあってもそのことだけに囚われずに書き綴られた投稿者さんの心の強さを私は感じました。
「笑って充実した日々を過ごしてる方が父も喜ぶはず」、こうした形で思い出されるお父様の生前の生き様が、どれほど気高くご家族にとっての誇りだったかを感じずにはおれません。謹んでお悔やみを申し上げますとともに、お父様の安らかなる眠りをお祈り致します。

感想2
経験談の投稿ありがとうございます。
大切な人との別れを、時間を追って記録と記憶を行き来するような形で書かれているように感じました。
9月以降の3ヶ月、投稿者さんは父親さんという存在と、そしてその存在がいなくなったことについて、どのように捉えることができるのか考えてこられたのだろうと思います。「奮い立たせて」と書かれていて、すこし、心配な気持ちにもなり、無理をしないではいられないような状況なのだという理解をしました。それが続くことはしんどいと思うのですが、でも一方で普段どおりの生活を続けることで落ち着ける部分もあるのかもしれないとも思っています。

人がいなくなることは、この世界の当たり前のことで、人だけでなくすべてのことに永遠はないようです。でも、一緒の時間を生きているときには、それがずっと続くように思えるようなこともあるのではないかと思います。だからこそ、大切な人がいなくなることは想定しきれないことで、悲しいし、苦しいことなのかもしれないと、自分のことを振り返って思います。(的外れだったらすみません)

なんとなく、その悲しみや苦しみを乗り越えなければいけないということもない気がします。
投稿者さんが書かれているように、自分自身と、そして大切な人との記憶と共に生きていくことは、過去を完全に切り離すのではなく、大切な人がいた時間とつながっている時間を生きていくことだとも言えるのかもしれないと思いました。

返信
拝読させていただきました。
気持ちに寄り添っていただきありがとうございます。電車の中で読みながら大粒の涙がふたつ、目からこぼれ落ちました。

父の約半分の歳を生きていますが、まだ半人前にもなれていない私自身をみかづきと例えています。

投稿をした理由としては、父の死を、時間と共に「なかったこと」にしたくなかったからです。

明日は父の命日で4ヶ月が経とうとしています。ひとりぼっちになってしまったような寂しさが堪え、父を思い、涙を流す夜もありました。しかし、周りには私を照らし導いてくれる人が沢山います。話を聞き自身の体験を交えつつ笑いとばして、前向くため背中を優しく押してくれるひと、自分ごとのように一緒になって泣いてくれるひと、頑張ったね立派だよおかえりなさいと言ってくれる職場のひと、そして、私が知らない父の青春時代の話や職場でのようすを聞かせてくれたご友人。
周りに恵まれている、と改めて気付かされるとともに、何気ない日常を愛でながら、これからも強く優しく生きていこう、と決意しました。