私の人格が作られた実家


両親が私が3歳の時に離婚と同時に、私は「母子家庭の娘の妹。」となった。5歳となる幼稚園の年中の歳の位には、既に「生存競争」を意識していた。姉の存在も合って、常に比較される日々。「今日を生き抜く為には常に姉より秀でていなきゃ。」「何か褒めてくれる良い事をしなきゃ」「幼稚園の皆が喜ぶような事をしなきゃ。」「何か目立つ事をしなきゃ」「お母さんが機嫌良くなる事をしなきゃ」そんな事ばかりを考えていた。幼稚園児特有の「仲良しの輪」には入れなかったけれど、優しくて気の良い子が仲良くしてくれた。父は大卒の一般企業で金融政策課とかなんとかいう部署に居て、母は地元の公立高校を卒業した後直ぐに金融機関に入って18才から勤めている。私はそんな母の仕事を理解した時から自慢に思っていて、友達と喧嘩した時や何も考える事が無い日に、「私の母は金融機関の◯◯勤めだ。」と心の中で思っていた。それでも幼稚園から小学校中学年の3年生迄ずっと土・日曜日の母の機嫌は悪く、カーテンは閉まったままだった事が多かった。不思議な事に、小学校3年生までの私の記憶の中では、喧嘩をした事もある筈なのに友達関係で悩んだ事もなく、発言が苦手だったにも関わらず、仲間外れにされる事もなかった。それは私の中では、引っ越した新しい家があった事、両親が離婚してすぐ生活を始めた母方の生家から新しく引っ越した環境の変化が新しい価値観を私に植え付けてくれた所による物が大きいと思う。苦手な保育園の先生と怒られてばかりだった環境からの逃げは、すがすがしく、開放的で、誰も知らない所でのこれからの生活にワクワクした。私の大好きで厄介な「特別感」があったのだ。「特別」で居る事に強い誇りとこだわりを持つ私は、先生に怒られても「私には父親がいないから。」と理由付けで事を終わらせて来た。近所の同い歳の子どもが進学する学校とは違う学校へ行った私は、「私服」で登校する小学生達を横目に制服を着た自分が自慢気だった。教育熱心な親達に育てられる子ども達との生活は、品よく、正直楽勝だった。自分に悪い所があったとしても、先に謝られる。そして友達で居てくれる。身なりも地方の小学生にしては格好良いものを着ていた。私はそんな環境で個人として時間を過ごせた事が嬉しかった。たとえ母が自分の同僚の9つ歳下の男性を家に連れて来ても、この生活を守りたかったから、嫌になって辞めても同じ町内に住む母の姉の息子の2つ歳上の従兄弟と同じ学校に行く事になるのが嫌だったから、家で笑っていた。10歳の節目の歳になる難しい歳頃に。ご飯は家の裏の一つ家を挟んで公園の前にある叔母の家で食べた。夕食だから、当たり前に家族全員が揃っていた。自分達が好きで来て居るんじゃないのに、居心地の悪さを感じた。そして夕食が終わると、家で母が「この子達をどうしよう。」みたいな話。でもそれさえも心地良かった。その後は母が連れて来た恋人の接待。「この人は一体誰ナノ?」と思いながら、子供らしい子供の話をした。だから誰も私の傲慢な性格に気づく事無く、私は中学に進学する。あっそういえば、あった、小学生の時の「嫌な事」。県の名前の付く皆が通っている塾の先生に服装を注意されたんだっけ。あの時はせつなかったなぁ。悔しかったなぁ自分を守る為に母子家庭で可愛い服着てると目を付けられるという自分なりに考えた事故防衛だった。英語の教師に目を付けられた私は、授業中に答えを間違えてバカにされて泣いても、その次の日塾に行った。だって世間体的に行かなくちゃ。だって平成だもん。学校行って、小学生中学年から塾に行ってが当たり前だった。平成の時代を繋ぎたかった。「先生から嫌われる癖」は、高校生になっても続いた。しかも私の「進路指導の特権」を持っている先生だ。こんな様で母子家庭から「人に勝ちたい」欲求を持って育った私は、部活に所属せず「勉強」だけを続けた結果、推薦で私立の大学に受かった。こんな調子だから、当たり前に自分には何も悪い所が無いと思っている、人格が出来上がった。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございました。

この経験談を読んで感じたことは、あなたではない他の誰かが書いた文章のように(客観的に見たように)、書かれていると思いました。そのように感じたのは、今のあなたの様子が書かれていなかったので、出来上がった人格が今現在どうなったのか書かれていなかったからです。(書かなきゃいけないというわけではありません。率直に私が、現在のあなたが気になったので、こう感じました。)

「母子家庭の娘の妹。」となり、「母子家庭の娘の姉。」との生存競争は、今となっては生存競争だと思えるけれど、当時は、母親さんに好かれるために自然とやっていたのだと想像しました。幼いながらに、生存競争で勝ち残るためにはどうしたらいいのかということを、大人以上に考えていた様子が思い浮かびました。毎日一緒に生活している中での生存競争ということで、気が休まる時間は無かったのではないでしょうか。その中で、母親さんの仕事について自慢するということも、生存競争の中で勝ち残る術のような感じだったのではないかと思いました。

この経験から、「特別」でいることに対しての強い誇りとこだわりが生まれたのは自然なことのように私は思いました。あなたにとって、「生存競争」に勝ち残るために「特別」で居続けることが最も大切なことだったのではないかと想像しました。「特別」で居続けるための努力が、嫌だったことでも家で笑っていたということや、母親さんの恋人の接待をしていたということで(ここには書かれていない他の努力もたくさんあったのではないかと想像しています。)、とても心身ともにしんどかっただろうなと勝手に考えてしまいました。でも、当時はそれがあなたにとっての生き残る手段として(きっと当時はそんなことを考える時間もなく、必死に過ごしていたと思いますが)、やらなければならなかった環境だったということなのかなと思いながら読みました。

経験談の中の「」に書かれているものが、あなたの人格のキーワードのように思いました。「」の中には、当時の気持ちが書かれていたりしますが、それも今のあなたの中に人格として残っているイメージを持ちました。初めにも書きましたが、この今までの人生で形成された人格と、今どのように付き合いながら生活しているのかが気になりました。「母子家庭の娘の妹。」から私立の大学に受かった間の経験から出来上がった人格は、最後の文章で書かれている感じからすると(「当たり前に自分には何も悪い所が無いと思っている」)、私はこの人格で生きづらさを感じているのではないかと想像しました。(私の勝手な想像です。間違っていたら、すいません。)

幼少期の記憶は、人格として残る場合が多いと私は思います。私は記憶を整理することで、人格を少しづつでも変えていけると考えています。(変えなくてもいいとも思っています。)ただ、もし、生きづらさを感じているのだとしたら、この死にトリを通して、記憶の整理ができるといいなと思いました。(余計なお節介かもしれませんが…)

感想2

経験談を送ってくださり、ありがとうございます。

これまでのあなたにとって生きることは戦いのようなもので、戦って生き延びるために様々な考えや気持ちを武器として獲得してきたのだろうと理解しました。

「どう評価されるか」ということが第一の基準になっていて、他人(親や先生など)から振り回されてこられたように見えました。

自分を曲げてでも、他人の意向に従わなければならないことが多く、そのためには(逆説的にも)他人を一部コントロールすることも必要だったのだと理解しました。それは相手より上に立っているというわけではなく、他人の権力に支配される中で生き延びる方策だったのだろうと思いました。

あなたの中に、いつも自分を騙しているような感覚があるのかな、「当たり前に自分には何も悪い所が無いと思っている」のも自分の思い込みで本当は違う(かもしれない)という考えがあるのだろうか、と考えました。

でも、自分を格好良く見せるための膜を剥がしたら、痛そうだし、戸惑いそうです。それに、現在もまさに、その膜がないと生き延びられないところにいるのだろうと推察しています。

この経験談は、今のあなたにとって、育った環境による影響がとても大きい、というメッセージでもあると受け取りました。これまでの環境がどんなものだったか、それによってどんな影響を受けているか、ということをあくまであなた自身の目線でリアルに説明するような文章だと思ったからです。

親が離婚したことだけでなく、それに伴って「父親がいない」「母子家庭」という世間からの目線(レッテル)があり、それもあなたにとって重いことだったのだと理解しました。親の事情で、他人からあなたへの目線が変わる、ということは、ひとりの個人として見られていないように感じるだろうと想像します。

また、幼少期から、親や先生たちに姉と比べられて、負けないように努力せざるを得なかったのだろうと思いました。「本当は比べたくないし競争もしたくないし、自分のペースで楽しいことをやりたい」などと思うと、余計に怒られて辛くなりそうですし、そんなふうには思えなかったのだろうと想像します。「高く評価されるように努力しなければ生きることを許されない」と言っても過言ではない圧力があったのだろうと思います。大人たちがそんな戦場のような状況を作ってしまうのはどうなのだろうか…と残念に思います。私は、本当は、親の機嫌をとらなくても、高く評価されるような努力をしなくても、生まれた時からひとりの人間として生きることを認められるべきだと思います。

年齢が上がるにつれ、生存競争の相手が姉だけでなく、あらゆる他人に広がっていったのだろうと思いました。それに伴って、あなたの武器も増やす必要があり、実際に知識が増えることで武器を増やすことが可能だったのだろうと思いました。そしていつの間にか、他人に競わされているのではなく、自分の意思で競争しているように思うようになったのかなと考えました。

あなたの武器の一つに、「特別である(べき)」という考えがあったのではないかと思いました。「私は特別である」と思うことで、自分の存在を許容する根拠にすることができたのかなと理解しています。

母親や叔母のもとでは、存在を大事にされ歓迎されているとは思えないような扱いを受け、それにもかかわらず、あなたが母親の機嫌を良くするよう、嫌だと思うことも嫌と言わずに、努めなければならなかったのだと理解しました。

このような経験を重ねてこられて、あなたが自分の気持ちや存在を大事に思えなくなっているのではないかと、気にかかりました。

また、普段から他人の目線に合わせて、本来の自分を抑えているのかもしれない、とも考えました。本当に思っていることを言ってはいけない、やりたいことをやってはいけない、やりたくないことをやらないようにしてはいけない、と感じていませんか…?

ただ、他人の目線に合わせて「どう評価されるか」を基準に、考えを組み立ててきたとしたら、自分の気持ちに沿って自由に振舞おうとしても、そもそもどんな選択肢があるのか、ということが見えづらくなっているのかもしれないなと考えました。

この「死にトリ」などを使って、色々な人と言葉のやり取りをすることで、もしかしたら選択肢の見え方が変化することもあるかもしれません。よければ今後も、何か書いたり読んだりしてみてほしいなと思っています。