普通な家族、普通な生活

北海道 10代 女


私の家族はごく普通で、周りから見ても仲の良い家族だと思います。実際、私の幼なじみの子の家は色々複雑なようです。また、私の学校生活、交友関係なども普通です。

私には、普通がなんなのかよく分かりませんが、何が言いたいのかというと、『日常に刺激がない』という事です。どこに居ても刺激がないんです。そりゃ事件とか起こらないに越したことはないですが、何も無さすぎるのもそれはそれで疲れるのです。

私は自分から話すのが苦手なので、聞き役に回る事が多いです。でも、聞き続けるのはとても疲れます。かと言って、自ら話すのはもっと疲れます。なので話を聞き、適当なところで相槌を打ち続けるのですが、学校ではもちろんのこと、家でも続けるのは疲れます。

私には弟がいるのですが、弟はあまり空気を読むのが得意ではありません。なので私が空気を整える役割をします。常に気を張っている状態なので、家に居てもあまり休まりません。

そうやって空気を読み続け、相手に合わせ続けた結果、本当の自分がどれなのか分からなくなりました。合わせてる間に自分の感情を押し殺す事が癖になってしまったようで、感情の変化があまりなくなりました。今では映画などを観ても、感動しません。

正直学校に行きたくないです。疲れるだけなので。友人達はみんないい人ばかりです。だからこそ言い出せないこともあります。ですが、少し前に弟が不登校でした。今は通えてますが、今私が休んだら、また行かなくなってしまうかもしれません。また、あまり親に心配かけたくないというのもあります。

ゆっくりと休める場所がありません。そうなると『消えたい』という発想になりました。生きていても、いづれ死に、死んだら記憶は消える。なら、生きている意味はないのでは?と最近思います。消えてしまうのにわざわざ疲労だけを蓄積させていくなんて、意味が無さすぎると。

ここ数日はずっと『消えたい』と思っています。ですが、リスカは心配されると面倒くさい。自殺は準備が面倒くさい。何もしたくないんです。って言うのも言い訳で、ただ死ぬのが怖いだけかもしれませんけど。よく分からないのでいいですが。

本当に何もしなくていい休み、が欲しいですね。もしくは跡形もなくこの世から消えたいです。

感想1

経験談を読みながら、あなたの思う「普通」とは何かを考えました。おそらく、周りの人と比べて、自分は「普通」なのだろうと漠然と感じているのかなと思いました。でも、「普通」だからといって、「普通」の人間になれる訳ではないと私は思いました。
そもそも、「普通」って、なんなのだろうか。
「普通」という環境にいるからと言って、「普通」でいなければいけないのだろうか。
そもそも「普通」ということは、何を基準にしているのか。
日々、私はこんなことを考えています。
考えれば考えるほど分からなくなって、結局答えが出たことはないし、これからも出ない気がします。

「日常」と「非日常」って言葉がありますが、刺激があるのは「非日常」だと感じるのと同じ感覚でしょうか…
あなたは「日常」の中で、聞き役に回って話を聞き続けたり、空気を読み続けていることが続き、常に気を張っている状態が「普通」になっていてあまり休まらない状態になっているということは、「日常」「普通」があなたを生きづらくさせていたということなのではないでしょうか?

このことから、「普通」って、疲れることというあなたの文章が、なるほどなと思いました。「普通」ということは、「普通」でいなければいけないという圧力になっていることもあるのだと思ったからです。

周りがいい人だから、本音を言えないという環境にも、あなたの中で「普通」を貫く思いがあるように感じました。親さんにも心配をかけたくないというのも、同じような思いがあるように感じます。

「消えたい」気持ちになるほど、「普通」ということに疲れてしまったことが伝わりました。
誰一人として、同じ人間はいないはずなのに、この世界はみんなと同じ方向に歩いて、同じ歩幅で歩いていかなければいけないような圧力を感じる瞬間ってあると思います。

「本当は何もしなくていい休み」欲しいですね。
これ、誰でも取得できるような世の中になるといいなと思います。
そのためにも、この死にトリで、「普通」「当たり前」「常識」ということについて、これからも考えて行きたいと思います。

貴重な経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

文章を読んでいくうちに、「刺激がない」と書かれていることについて、疑問や推測が浮かんできました。

人に話しかけられるのは、刺激とは違うのだろうか?いつも同じ話を聞かされるのかな?硬直的な考えの人が周りに多いのだろうか?
「刺激がない」というのは、「変化がない」ということなのだろうか?
読まされる空気は、刺激なのでは?空気の圧力に押しつぶされてしまいそう…。学校は刺激が多すぎて疲れそう…。
「刺激がない」というより、むしろ刺激に慣れすぎてしまったのかな?自分でも刺激に気づかないほど、器用に(自動的に)、刺激に対処してこられたのでは?
外側からの刺激に対処し続けているうちに、内側からの刺激(自分の感覚や感情)が搔き消されてしまうのでは?
親は無自覚に、あなたに気持ちや考え(「こうすべき」という理想など)を押し付けてくるところがあるのかな?

私は、「消えたい」気持ちは、「今の環境から逃れたい」ということに近いのではないかと考えています。いつも他の人から一方的に気持ちや考えを押し付けられる状況にいるとしたら、とても疲れるだろうし、逃げたくなるのも当然だろうと思います。
あなたが誰にも邪魔されずに、自らの感じる力を取り戻せるような休息時間があればなと思います。
人工的なものはあまり味気ないかもしれませんが、自然が生み出すものは毎日変化していておもしろいなと思うことが、私にはあります。例えば雲の形が変わっていく様子や、木の葉の色が変わっていく様子を眺めてみるのもいいのかなと思いました。

感想3

言葉の使い方が少し間違っているのかもしれませんが、経験談を読んであなたはとても「理性」が強い(強くなってしまった)のかな?と考えていました。状況を把握し、先を推測し、そこに適するとされる行動(ここでいう適するは絶対的正解というよりは、周りが求めている正解という意味合いです)をずっとされてきたのではないかと感じていました。だからこそ、人がいる環境においてはいつも休める場所はない状態なのではないでしょうか?(違っていたらすみません)誰も人のいないところだったら何もしなくていいと思えて休めそうな感じがするでしょうか…?あなたが少しでも休める場所が見つけられないだろうかと勝手ながらに考えてしまっています。

日常に刺激がないことと、自分がどれかわからなくなることはひょっとすると関係しているのかもしれないなと私は思いました。日常に刺激を感じる時は、自分の内側から湧き上がってきたり、感じたり何かしら自分の感覚に訴えかけるものがあるように思っています。けれど、自分がどれかわからなくなるとのことだったので、その感覚を感じることそのものが難しくなっていて、刺激がないということにつながっていることもあるでしょうか。これも私の推測なので違っているかもしれませんが…。こうやって経験談を書いていただいて変化や感じることがあるのかわからないのですが、気が向いた時にでもアウトプットをしてもらえたらと私は思いました。

返信
感想、ありがとうございました。客観的な意見を読んで、納得する部分が沢山ありました。言われて見れば確かに普通の基準は人によって違いますし、刺激は常にあるものだとも思いました。

感想を読み、少し気が楽になりました。また辛くなったら書きに来るかもしれませんが、自分の休息所を見つけられるよう努力します。