10月5日は「怒りってなんだろう?」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は8人でした。
このチャットでは「本質観取」という手法を使って、「怒り」について考えてみました。
具体的なそれぞれの事例
まず、運営アカウントから以下の質問をしました。
「まずはじめに、『怒り』に関して、これまでに自分が体験したことを、具体的に言葉にして書いてみてください。また、『なぜそういうことが起こったのか』『なぜそう感じたのか』など、理由や背景などについても思うことがあれば、書いてみてください」
この質問に対し、「決めつけられたと感じるときの怒り」「この子と仲良くしていくためには、この子の価値観・思想についていかなければいけないという焦りの中での怒り」「雨の高速道路で水しぶきをかけられたときの怒り」「自分の大事にしているものを傷付けられたとき」「こどもの親権を取られたとき」「自分だけないがしろにされたとき」「私利私欲のために他の多くの人たちの健康や安全安心や発達を犠牲にしている行動への怒り」など、さまざまな例が出ました。
事例の分類
次に、運営アカウントから「それでは次に、これまで書かれた事例を分類してみたいと思います。どのような分け方ができるでしょうか。思いつく方がいたら、書き込んでみてください。」と質問をし、以下のような分類や分析が投稿されました。
怒りと境界線
「○○さん、○○さん、○○さん、○○さんの怒りは、境界線を越えられた怒りなのかなと私は考えました」
「仮想的にも、現実的にも、奪われたり損なわれたりするときに、怒りは湧きやすいのでしょうか」
「おそらく踏み込んで欲しくないところに踏み込まれたから守ろう、と感じているのかなと思います」
「境界というのは、 ○○さんの『守る』という言葉にも近い話かも、と思いました。自分の境界が人それぞれあって、その広さとか頑丈さとかは違うけれど、その内側は守りたいものなのかも?」
怒りのスパン
「まず瞬間的な怒りとじわじわとくる怒りがあるなと思いました。次にすぐに怒りに直結するものと、別の悲しみや疲労などの感情が怒りを併発させるパターンが存在するのかなとも」
怒りの対象
「義憤に駆られる、みたいな感じなのかな?と思いました。と、考えていて、怒りの対象にもいろいろあると思いました。『個人』『公的なだれか』『組織』みたいな」
期待と怒り
複数の例について「(自分は気を遣ったり努力していたのに)人にないがしろにされることに対する怒りかな」「自分の思うとおりに行かなかったら怒りを感じるのかな…?」
ここから、「『自分はやったのに相手がやってくれなかった』というのも、『予想外の下方修正が起きて、ショックを受けている』→怒りみたいなところがあるのかも?」と考える人や、「怒りを感じる=何か期待をしていたってことなのでしょうかね」と考える人もいました。
「たしかに、絶望しきっているというか、なににも期待できない時、怒りも湧くことがなかったかも…」「私は基本他人に期待しないというスタンスでいるせいか、本当に滅多なことでは怒りを感じません。怒りを感じるのは深い仲の人だけで、その人には期待をしているから怒りも抱くんだろうなとおもっています」と経験を振り返る参加者も複数いました。
この流れから、「友人だったら許せるけど他人だったらダメみたいな事が時々あるんですけど、その時は他人に対して期待しているということなのでしょうか…?」と質問する人がいました。
これに対し、「『期待されないこと』を期待しているときに、あれこれ決めつけられたように言われるのは、『期待を裏切られた』ことになる気がします」「友人と他人だと境界線の位置が違うのかな?」「友人に怒りを感じ他人に感じないときは、期待をしているときで、友人に怒りを感じないが他人に感じるときは、境界線を越えられるときなのかな」などの意見がありました。
怒りってなんだろう?
ここで、運営アカウントから「それでは、ここで、今日の問いである『怒りってなんだろう?』について考えて、答えてみたいと思います。これは、『すべての事例の共通性を考える』ということで見えてくるものです。これまでの事例で共通することはどのようなことでしょうか?」と質問しました。
「怒りとは『不快』な感情である」
「怒りとは、だれか・なにかが期待通りにならなかったときのショックで発生する…のかな?とこれまでの話をきいていて、思いました。でも、それだけの言い方だとたりないかな。期待通りではないけど怒りはしないこともありそうですよね…」
「怒りとは防御である…?」
「怒りとは、自分の予想と違うことが起きて、それによって自分に悪い影響があり、自分の権力ではそれを覆せない状況のときに起きる感情である」
などの仮説が出ました。
怒りの種類
「私はイライラのあとに怒りが爆発してしまう経験があるので、イライラは怒りの前兆みたいなものなのですかね?」という考えから、「『怒りポイント』?みたいなのが、溜まっていくイメージをしました。怒りポイントのたまり方が、考え方や状況や体調や出来事などによって、いろいろ違うのかなぁ」という返信がありました。
「もやもや→イライラ→カリカリ→ドカーン(怒り爆発)感情の温度が高くなって沸騰すると怒りとか?」と書く人がいて、「人によって、全部「怒り」とみなす人もいれば、ドカーンのみを怒りとみなす人もいそうです」という分析をする人もいました。
「爆発しない怒りもありますね。じわじわ低温で持続しているような」「自分で気づいていない怒りもあるかもしれません。寒いのに寒さを感じない、みたいな」などの怒りの例もありました。
怒りで「守る」
「怒りとは、自己を守るための、止むに止まれぬ不快な感情の発露。これでも、自分に怒る時とか、じわじわの怒りの説明がつけにくいですね」と新たな仮説がありました。
「怒りは自分を守るため、というのは、自分の精神を守るということでしょうか?」と質問する人がいて、「怒りを持つことのメリット?を考えてみたらこうなるのかな?と思いまして」という返信がありました。
「メリットという考えはおもしろいと感じました。たしかに、怒りは(適度には)必要なことなんだな、と今日話していると感じます」と考える人もいました。
「私はしっくり来ます。特に守るため、というのが。じわじわ…は、『これくらいで怒って大人げない』みたいな理性が怒りを押さえつけてるときかもしれないですね」と書き込む人もいました。
この流れで「自分の中でも葛藤があったり、理性的にいないと!と思うと、爆発はしないのかも」「大人げない、もあるし、怒ったら面倒ですしね。社会で生きていく上では…」というやりとりがあり、「怒りの上昇エネルギーとは別に、抑圧する力も自分の中にあるから、現れ方にバリエーションがあるのかもな」という分析も出ました。
「赤ちゃんとか幼児が怒り(不機嫌)を露にするのも、お腹空いたとき、眠いとき、体調が悪いとき、安心できる保護者が近くにいないとき…など自分の生命維持に必要な時が多いなと思うのですが、やっぱり怒りとは、自己防衛手段なのかなと思います」という書き込みがありました。
この「守る」という考えの中で、「義憤みたいな怒りは、狭い意味での自分自身を守るものではないけど、『自分に似た誰か』とか『同じ世界の住人』とか、そういうふうに捉えられる相手を守るという意味で、『自己』のイメージを広げていくと、生存本能と同じことなのかも?」と考える人もいました。
また、この仮説に対し、「これに、『期待』の要素をいれられないかな?と思って、考えていたけれど、むずかしい。自分の境界は、守られていたいという期待?があるから怒りが湧く(そこに期待できない人は境界を侵されても怒れない)気がするので、気になります」という返信がありました。
この返信を踏まえて、以下の仮説が出てきました。
「怒りとは、自分の生命や精神の安全を脅かされないことへの期待がもとにあり、その期待に反することが起きたときに、自分(にとって大切なもの)を守るために本能的に生じる感情で、適度にある方がいい」
この投稿から、 「しっくりくる」「怒りを抑えるべきもの・ネガティブなものと捉えず、適度にあるべき、と考えているのもいいなと思いました」「怒りという感情を捨ててしまいたいと思った時期もありましたが、生きてく上で必要なことだったのかと思えました」「どんな時に自分が怒るかとか分かるとちょっと対処しやすいなと私は思いました」「『たぶん人によっても違いそうだけど、自分が脅かされると感じるのはどういう時なんだろう?』『それを大切にするにはどんなことができるのだろう?』など考え始めていて、すこし理解が進んだ感じがします」などの感想が書き込まれました。
参加者の感想(抜粋)
自分で怒りがコントロール出来てないなと思っていたのですが、どんな時に怒るかとかが分かると少し上手く怒りと付き合って行けるかなと思いました。楽しかったです。P4Cみたいだなとちょっと思いました |
とても充実したチャットだった。分類など難しくて足踏みしてしまったが、私が話に参加出来るくらい色々な視点が出てきて良かった。 |
個々の具体的な話から、さまざまな角度で抽象化されていき、そこから仮の定義が導き出されるというやり方は、初めて体験しました。本質観取というと難しそうだし、すごく理解をしていないといけないかもしれないと不安もあったけれど、この場の中で見つけたことから話せるのはよかったです。みなさんと色々言い合う中で見えてくるものが変わって爽快でした。 |
怒りについて同じように悩みを抱えている人と話せて、孤独感が薄まった。また、自分の怒りの感情を客観的に見つめるヒントがもらえたと思う。人数もちょうどよく、全員が発言する活発な議論ができ、2時間があっという間だった。 |
自分の不完全な思いつきの言葉を呟いても、誰かが拾ってくれたり肉付けしたり広げてくれました。怒り以外のことも定義してみたいなと思いました。 |
みなさんのお話がとてもためになりました。 |
参加者のみなさんの感じたことのある怒りの事例が、怒りの本質を探るための材料になっていくのが面白かったです。この議論の方法なら個々人の感情に評価的・否定的なメッセージをせずに大切なものとして扱えるような気がしました。私は怒りを感じたことがあっても、忘れていることが多いなと思いました。思い出して事例を出すのに時間がかかりました。次に参加するときは具体的なエピソードを用意してみようと思います。沢山の事例があがったので、まとめられるのかなぁと思っていましたが、キーワードを拾うことでまとめやすくなって、この方法は良さそうだと思いました。できればもうすこし人数が多ければ、もっとたくさんの事例を出して幅を広げて、本質を深められそうな気がします。 |