良い子でありたい

山梨県・20代・女



幼い頃から私が褒められるのは、素直で良い子であるところ。褒められれば嬉しいし、そうであろうと、意識していたと思う。

それがいつしか、良い子と言われる度に、本当の私のことを知らないくせに。してきたこと全部を話したら、良い子だと思われなくなる。嫌われてしまう。良い子だと言われることは呪いのようなものだと感じるようになった。

小・中学生の時にいじめにあった。
それから嫌われること、避けられること、一人になることを極端に嫌うようになった。それでも、家庭環境には恵まれていたし、高校に進学してからは友人にも恵まれた。

社会人になったころ、初めて彼氏ができた。
私の初体験の全てを捧げた人。親にも紹介して、このままずっと一緒に居れると思った。

1年付き合ったある日、突然彼氏にセフレの関係になろうと言われた。この時関係を切っておけば良かったのに、大好きだったから、その関係を受け入れた。彼にとって私は都合の“良い子”だった。

そこからは泥沼。ずっと関係が切れないまま、親にも友達にも話せず。そんな状態のまま、彼氏が他にできれば、こんな関係、抜け出せるかもしれないと思った。けど、誰と付き合ってもやっぱりセフレへの思いが絶てなかった。

セフレの関係にあるまま、他の男の人とも付き合うのは悪いこと。良い子な自分がすることではない。私は浮気症なんだろうか。

そんな渦中に出会った人がいた。
付き合うつもりもなくて、嫌われても良いと自分の中にあるもの全てを話した。
受け入れてくれた。嬉しかった。愛してくれた。

セフレとの関係を続けたままその人と付き合うことになった。
それでも、良いと受け入れてくれ、本音で向き合ってくれる人ができた。

半年でセフレへの思いが裁ち切れ、別れた。
ようやくちゃんと、彼と向き合えるようになった。幸せでこのままずっと一緒に居ようって話もした。

けれど、私はいつまでも彼を親に紹介できなかった。親に言われていた「幸せになるために稼ぎの良い人と結婚したほうがいいよ」
彼は決して収入のいい人ではない。そこがずっと引っ掛かっていた。良い子の私は親の言うことを聞かなければ、親を落胆させてしまうのではないかと思っていたから。

進展のないまま付き合って3年、別のひとからアプローチ受け、泥沼から救いだしてくれた彼氏とは別れた。けど、彼への依存心があった私は別れるまでにとても悩んでどちらとも付き合ってる期間があった。

結局、そのあと付き合った彼氏に浮気していたことが発覚して、私は一人になった。 怖かった。

どうしてそうなったかの全部の経緯を話したけれど、受け入れてもらえなかった。
その人も素直で良い子な私を求めていたから。

今、また付き合ってる彼氏がいるけれど、過去のことは何も話していない。浮気症だと嫌われてしまうことが怖い。良い子でないと愛されない。

そんな状況に鬱々とする。
セフレがいながらにして彼氏を作って、泥沼から救いだしてくれた人を裏切って。
まわりは私を良い子と言うけれど、そんなのは悪いことをひた隠しにしているだけ。
毎晩のように考えて言い訳をする。

良い子でないと嫌われてしまうのです。
一人になるのはもう怖いのです。
それでも誰かに受け入れてほしいのです。

人への依存から抜け出せず良い子であることから抜け出せず、かといって一人で抱え込むことが苦しくて。これから先、ずっと誰かの都合の“良い子”であるのだろう。しにたい、とぼんやりと思いながら。

感想1

はじめにタイトルの「良い子」という言葉を見て、誰にとっての良い子なのだろうと思いました。
すべての人にとって同じことが「良い」ということになることはあまりないような気がするからです。
読んでいて、「目の前の相手に対して」良い子なのかなと思いました。その状態は、おそらくこれまで投稿者さんの生活に必要な、ある種の処世術だったのかもしれないと想像しています。
ただそれは、相手の都合によって自分を変えなければいけないということでもあります。
最初は相手に合わせることが自分にとって「良い」ことだったとしても、それは次第にずれていってしまい、自分にとっての「良い」ことを見失ってしまいそうだと感じました。

ここまで書いていて、以前「デマンド」と「ニーズ」は違うことが多い、という話を聞いたことを思い出しました。この言葉は介護福祉などの業界で使われるようなのですが、ここでいうデマンドというのは「(目に見えている)要求」のことで、ニーズは「(その人にとって本来)必要なこと」のことだそうです。
(あまりくわしく知らないので、もし変な解釈を伝えていたらごめんなさい)

たしかに言葉で表すことと本心が違うことはたくさんありますし、そもそも自分の本心や、長期的にみて自分に必要なものは自分自身でもよくわからないことはとても多いと思います。
その中で目に見える要求に応え続けていくと、相手の言うとおりにしたはずなのに、大切にされなかったり、相手に合わせていたはずなのになにかが損なわれてしまうことも起きやすいように思いました。

ここで、投稿者さんは「良い子」になってなにを望んでいるのだろうか?と考えました。
(文章の中の言葉を元にイメージしていますが、違っていたらすみません)
何度か出てくる「受け入れてほしい」という表現が気になりました。「一人になる」ことへの恐れも書いてありました。
受け入れられない場合、投稿者さんはどのような困ったことになるのだろう?と考えてみて、もしかすると「受け入れてほしい」という表現は「どうやっても安心できない」と感じられるような状態への恐れを表しているのかもしれないと想像しました。

生きていた中で、無条件の安心の経験があまり多くないようなとき、そのような安心に気づくことはとてもむずかしいような気がします。そういうときに、だれかに頼って、自分を変えてでも安心させてほしいと感じるのは自然なことのように思いました。
そうしていることにも罪悪感を感じたり、満たされなさを感じたりしているのかもしれないと、読んでいて思いますが、でも、そうやって生きてきたあなた自身を否定する必要はまったくないと私は感じました。

すこし気になっているのは、投稿者さんが「良い子」でいるためでなく、そのようなこととは関係なしになにかを楽しんだり、喜んだり、好きだと感じたり、落ち着いたり、にっこりしたくなったり…なんでもいいのですが、なにか心地いい気持ちで過ごすことはあるのだろうか?ということです。
それが絶対なければいけないというわけでもないのですが、そういうときがあると、ふっと楽になることがあるような気がしています。
もしあまりないようだったら、よければ負担が少なそうなタイミングにでも、そういうことやもの(たとえば生き物や、音楽や、絵や、物語や、風景や、手触りや、味など)を探してみてほしいと思いました。また、もしいくつかあるのなら、あるいは見つけたら、よければ教えてほしいと思いました。
経験談を投稿してくださって、ありがとうございました。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。

ほんとうのところ自分は「良い子」ではないと感じているのに、それでも「良い子」でいなければならないといった気持ちがぐるぐるしているのかなと感じました。外側から見えている面と、内側から見た面、そして近づいた時に見える面にギャップがあるように感じ、それに疲れているようにも見えました。

「良い子」でいるためには相手や環境に沿った行動をする必要がありそうで、常にそうしていなければならないとなると、心底しんどそうだなと思いました。だから、「本当の私のことを知らないくせに」と思ってみたり、欝々としてしまう状況が自然と想像できました。仮に「良い子」であることが他者に受け入れてもらえる手段だとしても、投稿者さん自身がそれに押しつぶされてしまうのは浮かばれないなと個人的に感じました。

勝手ながら、親や周りから褒められた経験が強く残っていて、それを逸脱してはいけない、と強く思っているのかなあ、と考えてしまいました。そして、いじめによって感じた孤独は投稿者さんにとって大きく、「良い子」でいれば周りからはぐれたりしないと思った経験がより「良い子」でいることを強化させていったのかなと推測しました。

文中で二人目に書かれていた相手の方のところを読んで、なにか一つ皮をかぶった自分を見せるより、飾らないそのもの・素を受け入れてくれる感覚が、投稿者さんにとってはありがたいものなのかなと感じました。
ただ、文章を読んでいると、投稿者さん自身の本音は言いにくそうな状況だとも思いました。
でも、ほんとうをずっと押し込めておくのも、きつくなってきそうなイメージがあります。

現状、リアルの世界で自分を出すことが難しいなら、ネットにある個人的に安心できそうな場所で開放してみるのも一つかな、と私は思っています。もし興味があれば、死にトリのアプリやここチャットなどをのぞいてみてほしいなという気持ちです。

感想3

「良い子」とは、相手の期待に応えられるということで、そのために自分の一部を押し殺さないといけないことで、相手の期待に沿わない部分は否定されているということで、つまり、期待通りのところを褒めることで暗にそれ以外のところを否定する「呪い」ということなのだろうと理解しました。いじめをされた経験は、良い子の「呪い」を強くしたのだろうと思いました。

私は、誰とどのような関係を持つかは人それぞれの自由だと考えているので、複数人の相手と同時に性的・恋愛関係を持つことも悪くないと思っています。

セフレの関係を受け入れたというお話から、あなたのように「良い子」を強いられてきた(いる)人たちにとって、特定の人との距離が近くなることは、それだけ相手の期待に合わせようとすることになったりもするのかなぁと思いました。

また、セフレになった元彼氏さんのどのようなところが理由で大好きな気持ちを持ち続けていたのかも、私は少し気になりました(無理に答えなくても大丈夫です)。もしかしたら、彼がこんな人だから…ということよりも、あなたにとって初めての経験を一緒にした相手だから…という理由が大きかったのだろうか、とも想像しました。

誰かの「良い子」として認められることで、自分の存在を肯定しようと頑張ってこられたのかなと考えています。なので、「良い子」であることを要求してくる相手がいない状態は、寂しくて落ち着かない感じなのかな?と想像しました。

経験談から、あなたの「愛されたい」という思いが伝わってくるように感じて、愛って何だろう、と考えたくなりました。家族だから、恋人だから、必ずしも愛し合っているというわけではなさそうです。逆に言えば、家族でも恋人でもなくても、愛のある関係はできるのだろうと私は思いました。個人的には、ちょっとした思いやりのある行動から愛を感じたりします。でも、それを言葉などに表現するのはとても難しくて、儚いもののような気がしました。

これまでで、あなたの救いになったのは、本音で話し合える人との関わりだったのかなと思います。なので、そうした関係が少しずつでも見つかり、広がったらなぁと思いました。

今回は、あなたの「良い子」の部分だけではなく、本音を書いてくれたように思っています。いつも誰にも言えないことを話す機会になったのなら、私はうれしいです。

「人への依存」と書かれていましたが、それはあなたが生きる術として活用してきたもので、悪いことではないと私は思いますが、それによってあなたが傷つき苦しむのは不本意です。生きるために自分を苦しめる方法を取るしかないという苦しさから逃れるために、しにたくなるのも自然なことだと思いますが、本当はしぬ以外の方法が保障されないといけないはずですし、どうしたらいいか今後も死にトリを通して一緒に考えたいと思っています。