2021年9月21日は「なぜ悲しみはあるのだろう?」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は8人でした。
最初に3つの質問を自己紹介として書いてもらいました。
①「悲しみ」に似ていると思う言葉を教えてください。
苦しみ(複数)、痛み(複数)、寂しい(複数)、つらさ(複数)、切ない(複数)、悲哀、絶望、怒り、悲嘆、傷心、痛哭、食器が割れたとき、冷たさ、嘆き、絶望、どうしたらいいか分からない感じ、たまらない、むなしい、哀しみ
※「複数」という表記は、複数の参加者が同じ内容の投稿をしていた場合についています。
②自分の「悲しみ」を、別の言葉や文章で言い表すとどのようになりますか?(いろいろな種類がある人は思いつくものだけで大丈夫です)
- つらくて消えてしまいたいと思うような、胸がぎゅっとなって涙がぼろぼろ出てくるような気持ちを悲しみと言っているかなと思いました
- なにかを見て、その広さや強さや脆さなどが綺麗だと思ったとき、なぜか悲しいと思います。それは否定的な感覚ではないです。
- 大切な人やものを失って強い無力感を感じている。
- むなしい、心に穴が感じた気がする
- 途方に暮れる、孤独感
- 自分にとってネガティブな事実を受け入れる際に発生する感情の揺れ
- なんというか、消しゴムで文字を消すときの消しかすみたいなもんです
- 暗闇、憂鬱
- 怒りは悲しみの二次感情ということを聞いたことがあります。
③「悲しみ」のいいこと(メリットや効能)と悪いこと(デメリットや困ること)をあげてください。
【いいこと】
- 体や心が動いてることを実感する、怒りから遠ざかって純粋な気持ちになる、ある意味での切り替え
- 悲しみがあるからこそ、大切さに気づけたり、ありがとうと思えることだと思います。
- 良いのか分からないけれど、悲しみによってひとに優しくなれたような気がします。
- 特に思いつきません
- 生きてるかんじがします
- 人の痛みがわかるようになる
- 成長する機会
- 悲しみを感じて涙を流すとストレス発散できる
【悪いこと】
- 疲れる、なにもできなくなって困る、悲しみの悪循環になることがある
- 悲しみによって大切さに気づいた時には遅いということが有り得、また、悲しみに浸りすぎると精神衛生上良くない事が多いということだと思います。
- 切り替えができないことです。立ち直ったと思ったらぶり返して悪化したり、自分でも考えすぎではないかと思っても自分を責めることを止められなかったりって感じです。
- 自分がますます役に立たなくなります
- 立ち直るまでしんどい
- 時が長く感じる
- 悲しみを感じると気持ちがダウンする
「失う」イメージ、「溢れる」イメージ
②の回答の「穴がある」「失った時の無力感」という表現から、「悲しみは『なくした、失った』ときの感情とも言えるのかな?と思いました。それだけじゃないかもしれないですが」と書いて、「私は、悲しみは涙みたいに溢れる(増える?)イメージが強かったので、新鮮でした」と考える人がいました。
「切り替えできない」や「浸りすぎる」という言葉は、「溢れる」とイメージが近いのかとも考えて「はじめは失って→そのあと悲しみが溢れてくる?」と分析していました。
この言葉に「溢れるというのは僕にとっても新鮮でした。悲しみで1度フリーズする人もいれば、一気に溢れる人もいるということなんでしょうか。いずれにしてもその違いについては新鮮な発見ですね」と返信する人がいました。
これには「たしかに、なにかの出来事が突きつけられた時、すぐに悲しいと思うこともあれば、固まってしまってなにも感じない時があります。私の場合は時間が経ってからのときは、あとで一気に悲しさが溢れてくる瞬間があることが多かった気がします」と考え上で「でもまたそうでもなく、別の経過を辿るパターンもあるかな」と書き込む返信もありました。
悲しみのスイッチ
③の「悲しみに浸りすぎると精神上良くない事が多い」という回答について「今まさにそれを痛感していて、だけどどうしても気持ちの切り替えができなくて困っています」という人がいました。
これに対して、「悲しみはオンにするスイッチは自動なことが多くて、オフにするスイッチは、悲しみが強かったり長かったりすると、見つからないことが多いのかなぁ?とイメージしていました。私も悲しみに暮れて何もできないときに困ってしまうので、オフのスイッチがみつかればいいのにな、と思いました…」と返す人がいました。
また「『悲しい』と感じている時はそこから抜け出すのは中々難しいですよね。『悲しみ』は感情の中でも俯瞰するまで時間がかかる感情なのかなとも思います。『楽しい』『怒り』といった感情は割と一時的なものだったりするイメージがあるので……スイッチがあったら本当に便利ですね」「自分1人ではスイッチを見つけられない、切り替えられないです」と考える人もいました。
またここから「感情の瞬発力?や持久力?には違いがあるのかも」とイメージして、「その時々ではあるにしても、楽しさや怒りはどちらかと言えばガッと膨らんでガッとしぼむことも多そうです。悲しみはガッとくることもあるけれど、長くジワジワ続くことや、波みたいにずっとあることもありそうだと思いました。そうすると、悲しみは急にオフにするのではなく、じわじわ解熱する感じがいいのかなぁ…」と書く人もいました。
悲しみの有無
メリットとして挙げられた「生きてるかんじがします」という意見に「とても共感します。まだ自分は悲しいって感じられるなって時々思ったりもします。そういうメリットも含めて『悲しみ』は解決に時間がかかっても存在する価値のあるものなのかもしれませんね」と分析する書き込みがありました。
また、「自分はあんまり悲しみという感覚を自覚できてないかもしれないです。涙も出たことないかも…」と書く人がいて、続けて「 自分は悲しみが薄いので、感じなくて楽だなと思う時、多いです。でもだからこそ、悲しみはなぜあるんだろうって思います」と考えていました。
「感情はいろいろな種類があるけれど、そのうちのどれを感じやすい/感じにくい、ということは人によってそれぞれなんだろうな」と考える人がいました。
涙の数だけ強くなれる?
「涙の数だけ強くなれる。という言葉について皆さんどう思われますか?」と質問する人がいて、複数の参加者が検討していました。
「耐性がつく、って言う事でそうかもしれません」という人や、
「割に合っていないです。むしろ弱っているような気がします」という人、
「涙の理由を乗り越えられれば強くなれるかもしれませんが、泣きっぱなしではドンドン衰弱して言ってしまう気がします」という人、
「違うんじゃないかな?って思っちゃいます」とする一方で「でも泣きたいときに泣けないことは苦しいし疲れると思うので、つらいときにその気持ちを否定せずに泣けることは、強さかはわからないけれど大切かなとは思います」と考える人、
「自分の経験として、涙もろくはなくなっていくかもしれませんが、それで強くなっているかは別問題な気がします。そもそも強くなるって、いったいなんなんだろう…とも思います」と考える人などがいました。
「悲しみの数だけ優しくなれる。の方がしっくりきますかね?」という質問には、
「優しくはなれたかも知れません」と書く人や、
「悲しみをたくさん経験してたほうが他の人の価値観や考え方とか、人の痛みがイメージしやすそうです」、
「悲しい出来事を経験する前より優しくなれた気がするけれど、本音を言うと悲しみを経験せず優しい人間になりたかったです」という人もいました。
実感しないと痛みはわからない?
「悲しみがわかると人の痛みがわかる」という意見について、
「私も実感がある方がイメージしやすいとは思いつつ、それだと、もしみんながみんなを大切にできて、だれも苦しまない社会があったとしたら、悲しみもなくなるのかな?そこでたまたま悲しみを知った人がいたら、その人のことをだれも理解できないのかな?そうしたらなにが大切にすることなのかわからなくなったりするのかな?とか想像してぐるぐるしていました」と考える人がいました。
これに対し、「やっぱり実際に経験していないと、本当にその悲しみは理解出来ないんじゃないかな。うわべでは同情するけど」と考える人がいました。
ここから、「『悲しい』という大枠の感情が一緒ならいいのかな?とも思いつつ、これまでのやりとりを見ていても、一言で『悲しい』といっても色々だから、そのすべてがわかるかと言ったら、自分は全然わからないのかも、とも思ったりもしました」考える人がいて、
「自分も本当は全然分かっていないかも、でも相手には分かって欲しい」と自分を振り返る人や、それに「私もある気がする!」と共感した上で、「でもそう気づけたら別の見方もしやすくなったりするのかな」と考える人もいました。
悲劇を観たいと思う理由
「私は悲しみはネガティブなものと捉えてしまうのですが、悲しい曲や悲劇を好む人達がいることについて皆さんどう思われますか?」という質問がありました。
「私は悲しさのある話じゃないと、嘘だと思ってしまいがちです。この世には楽しいことも悲しいこともあるので、楽しいだけの話とかを見ていると『この人は悲しさを持つ人を無視しているかもしれない』と思ってしまいます…。悲しい曲は『似た感情もを持つ人がいる』とわかる気がして好きです」と書く人、
「悲しさをテーマにした作品は、いないいないばぁみたいなものなのかなって思います。悲しくなるってわかっていながら、悲しいのがくるぞくるぞ…きた!悲しい!っていうのが、自分が悲しい作品を観る理由です」と書いて「どう直接的ではなく、ありきたりではなく『悲しい』を作品として表現するかが、私が作品を観るときの一つの評価基準なのです」と補足する人もいました。
「悲しい目に遭った主人公がどうやって対処していくか見届けたい時もあれば、『悲しい話』とうたうけれどその『悲しい』とはどのようなものでどう表現されているのかなと気になって見る時もあります」「悲しみと言っても、自分自身に抱いていたり相手や環境に感じていたりと種類は様々です。それをこの作品(小説、ドラマ、曲など)はどう表現するのかと」と答える人もいて、
これに対して、悲しみの種類について、「たしかに、ここでの皆さんの書き込み見ているだけでいろいろですよね」と考える人もいました。
参加者の感想
悲しみという一つのテーマで話していても、それぞれが感じ、定義している悲しみは別のものだよなと、終わってみて1人で振り返りました。私は耐えられないほど悲しかったことがないので、感情的に共感できる限界はありましたが、ちがうからこそ人がどう悲しさを取り扱っているのかの参考になりそうでした。どうして悲しみはあるのか、みんなの結論が聞けなくて残念です。 |
感情の感じ方も人それぞれなんだと思いました |
悲しみは何もしなくても起こりうる。悲しみは人それぞれだと思いました |
一言で悲しみといっても、詳しく聞いていると表し方も感じ方も多種多様で、実は全然違うことを同じ言葉で表しているのかも?とすら少し思いました。でもやはり共通するところもあって、悲しみや、他の感情に興味が湧きました。悲しみに暮れると疲れてしまうけれど、自分は悲しみ自体が嫌いなわけではないことに気付きました。 |
悲しみと言っても色々な感じ方や考え方がある事が発見だった。みんなそれぞれの発言についてもっと深めていきたかった。 |
悲しみと言っても人によって捉え方が違って面白かったです。 |