ただ欠陥品な私

兵庫県 二十代 女性



私は、今まで大きな病気をしたこともない。歩けなかったり大きな障害を持っているわけでもない、両親もいて経済的にとても困窮しているわけでもない。それなのに私は生きるのがしんどくてたまらない。一つ一つのことはきっと周りからみたらしょうもないことなのかもしれないけれど、それすら私は耐えられない。
まず、いろんなことを悪い方にばかり想像してしまうからとても疲れる。例えば電車のホームに立てば、もし私がホームから落ちたら電車に轢かれるのかな、死んでしまうのかな、轢かれるのってどれくらい痛いんだろうと痛さを想像して耐えられずにぐるぐるその場を回ってしまう。電線に鳥が止まっていたら、こんな細いところに止まっていて、もし足を滑らして私の上に落ちてきたらどうしようと頭の上に降ってきたことを想像してまたぐるぐる回ってしまう。ホッチキスを見れば、もしこのホッチキスで指を挟んだらどれぐらい痛くなるんだろうと想像してまた苦しくなる。ちなみに実際に電車に轢かれたことも鳥が降ってきたこともホッチキスで手を挟んだこともない。でもなぜか考えてしまう。これ以外にもいろんなことを想像してしまって苦しくなってぐるぐる回ってしまうから側からみたらきっとすごくおかしな子に見えるんだろうな、と思う。
次に、私はスラスラ喋れない。話すことができないわけではないけれど、すごく詰まる。笑われて真似ばかりされる時もあるし、露骨にイライラされるときもある。でも1番困るのは、「緊張しなくていいよ」とか「みんな詰まる時ぐらいある」「練習すれば大丈夫」と言われること。緊張が原因で詰まっているとしたら気を許している人に話すときは話せるはずだし、私のようにたどたどしく喋る人は日本中探せばいるかもしれないけど身近には見たことがないし、私は自己紹介するのにも電話の応対をするにしても事前に何十回何百回と練習している、にもかかわらず息が止まったように話せない。私はどうして良いか全くわからない。
日によっては、服を着ることも苦しくてたまらない(もちろん苦しくても服を着ないで過ごしたことはないけれど)。足の裏に靴下がひっついている感触が気持ち悪くてたまらなくなったり、太ももにズボンが引っ付いている感覚がたまらなく苦しい。一度裸なら何も触れないからと自分の部屋で試したことがあったけど、風が吹いた時に風が当たる感覚がこそばくて、苦しくて。私はどうしたら良いんだろうと涙が出た。
1番自分が嫌になるのは、私はすぐに泣きたくなってしまう。でもそれは私が悲しい時ではなくて、人が喧嘩してる時や、子供の鳴き声、誰かが怒鳴っている時、悲しいっていう感情よりもよくわからない気持ちがたくさん押し寄せて強制的に涙が溢れる感じになる。でも泣いたら母親に怒られるから(なぜ怒られるかはよくわからないけど)、その場では泣けない。だから自分の部屋に行ったりすると、「不貞腐れている」と言われる。私は不貞腐れていると言われるのがすごく嫌い。なんでかわからないけれどすごく嫌いなのに言われるから泣いているところはできるだけ見られたくない。
他にもたくさん、多分周りから見たら大したことではないことがすごく辛いと感じることがある。
そして、そのことは誰にも言えない。笑われるから。「しょうもない」って言われるのがわかっているから。
こんなこと言っちゃいけないって心の中ではわかっているけれど、「障害者」として手帳を取得したり、色んな形で支援を受けている人がとてつもなく羨ましく感じる時がたくさんある。もちろんすごい大変な思いをされている人も多いのだとは思うけど、「障害者」という1つの枠組みの中に入っていることが、とてもとても羨ましい。私は「普通の人」とは見てもらえない。だけど「障害のある人」にも見てもらえない。できないこと、私がしている行動が「怠け・甘え・努力不足」「なんか変な子」と受け取られる。これ以上私は何を頑張ればいいのか、わからない。

感想1

投稿者さんはご自身の困り感を「周りからみたらしょうもないことなのかもしれない」と表現されていましたが、私はそうは思えなかったです。生きることのしんどさのようなものがズンズンと伝わってきて、しょうもないことなんて思えなかったです。

試しにどんなことも悪い風に考えて1時間ほどの道のりを通勤してみました。可能性として起こりうる悪いことは、世の中にたくさんあるのだな、というのが実感です。想像通りの悪いことが起こらなかったとしても、想像以上に良かったことを実感したことが少ない(ない)人生だからこそ、悪いことばかりの想像力が鍛えられたのではないかとそんなことを勝手に想像しました。

スラスラ喋れないということでしたが、投稿者さんは沢山の言葉を持っていると私には思えました。感じていることや考えていることって声にできなくてもたくさんあるのに・・・。大多数の人はわかりやすい情報でその人を判断することがあるのだなと、私もきっとその大多数なんだと身につまされる思いがしました。そして、投稿者さんが教えてくれた1番困ることを読んで心臓が痛みました。「緊張しなくていいよ」「みんな詰まるときぐらいある」こんなセリフを私は発していたという自覚があるからです。

日によっては服を着ることも苦しくてたまらないことがあるのですね。裸で過ごそうと試したというエピソードが私は好きです。発想が豊かだと思いました。でも風を感じて苦しかったのですね。肌触りや人の反応など、感覚が敏感なのだということを理解しました。もしかしたら、世間に見えやすい診断名や障害という形になる要素かもしれないとも思いました。

障害者としての手帳の取得など、わかりやすい形にならないと生きづらさが伝わらない今の社会に絶望的な気持ちになりました。投稿者さんがこれ以上頑張るというよりも、私を含む社会の側が頑張るというか変化しなければならないのだと切に思いました。どうしよう。

感想2

経験談の投稿、ありがとうございました。

読んでいて、印象深かったのは、最後の方にある「「障害者」という1つの枠組みの中に入っていることが、とてもとても羨ましい」。
あなたが過ごしている環境では、「普通の人」としては見てもらえないと感じているから、この表現になったのかなと感じています。

私が、あなたの文章を読んで、疑問に思った事があります。
「障害者」と「普通の人」って、どうして、分類されているように、世の中作られているのかな?って。(単純に言うと、障害者手帳を持っているか、持っていないか。)
そして、あなたの思う「普通の人」って、どんな人なのだろう?って。

私は、あなたのように、「周りには、笑われるから言えないけれど、実は周りから見たら大したことがないことが辛い」とか、「周りから見たらおかしな子に見えるんだろうな」と思って生きる人、少なからずいると思うんです。
たしかに、あなたが考えるように、「障害者」という枠組みに入っていると、周りからの目線は違いますよね。
でも、なんで「障害者」という枠組みに入っただけで、周りからの目線って違うんだろう?
逆に言えば、「障害者」という枠組みに入れば、よくわからない特別扱いをされる。
そこで、「普通の人」って、なんなんだろうなって、私は考えてしまいました。
私は以前から、この世の中、「普通」「当たり前」「常識」といったような誰が作って誰がそれを決めてきたのかと思うほど、世の中は同じ方向を向いている人がたくさんいた、というような言い方をしているなと感じて生きてきました。それに合わせられない人って、きっと「普通じゃない人」と言われているのかな?とさえ、考えたことがあります。

「障害のある人」は、色んな支援があって、それなりに周りからの理解があるということがとても羨ましいと感じているのですね。
それは、あなたが今まで生きてきて感じてきた生きづらさが、誰からも理解されずに、苦しみ、今もその苦しみを抱えながら、生活しているのかなと思いました。
たしかに、「私は、障害があります。こんなことが出来なくて、分からなくて、こんなことをずっとグルグル考えてます。」と言えたら、あなたは少しは生きやすい世の中になるのかなと想像しました。
だけど、あなたは、今まで「普通の人」でいなければと思って(誰かに勝手に決め込まれて)、頑張ってきたのではないかと思いました。
疑問に思うこと、周りから言われる言葉を常に意識しながら、本当の自分を抑え込み、過ごしてきたのではないでしょうか?
あなたが、「これ以上何を頑張ったらいいのか、分からない」という言葉は、あなたが今まで、周りに合わせようと、必死に頑張ってきたということなのではないかと感じました。

あなたの投稿によって(文章も非常に伝わりやすかったです。)、私もさらに考えるきっかけになりました。
どうしたら、「普通の人」「障害者」という枠組みの考えが変わり、どちらにも入らないと自分で感じている(思っている)人が、生きやすい世の中になるのかな?って。
というより、この枠組み無くなればいいのになって。
だって、そしたら、「普通」「当たり前」「常識」って、なくなると思うから。
みんなそれぞれ違うんだから、それが「普通」「当たり前」「常識」でもないんだってことに、みんなそれぞれ気付けたらいいのになって、考えています。