ここチャット「「責任」はあるのだろうか?それとも幻想?」実施レポート(2021/09/07)

2021年9月7日は「「責任」はあるのだろうか?それとも幻想?」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は7人でした。

最初に3つの質問を自己紹介として書いてもらいました。

①「責任」に似ていると思う言葉をあげてください。

この質問にはこのような答えがありました。

  • 義務
  • 管理
  • 監督
  • 重荷
  • 引き受ける
  • 役目
  • 自由
  • 貢献
  • 役割

②「責任」を自分の言葉で説明すると、どのような表現になりますか?

この質問にはこのような答えがありました。

  • 全てのことが自分にふりかかってくること
  • 人のせいにしない、人任せや人を責めないこと
  • 決めることや実行することなどについてあらかじめ決められていること
  • 存在の仕方に付属するもの。
  • プレッシャー
  • 共同体で生きるときに自分にできることをやること
  • 重みのあるもの、プレッシャーとか

③これまで責任を感じた/求められて、疑問に思ったことがあれば教えてください。

この質問にはこのような答えがありました。

  • 仕事で責任のある立場にあって、すごく頻繁に責任ということを感じます。
  • 社会に出てすぐの子達に私は責任という言葉だけでいろんな大人の人が片付けることに疑問を感じます
  • 正社員は非正規のときより責任を感じました
  • 言ったことを細かく覚えていられないせいで無責任だと言われたときに、記憶は能力の限界があり、対策にも限度があるため、どうしようもない部分が大きいのになぁと思いました
  • 死のうとしたら、生きていることで周りに及ぼす影響に責任を持てと言われたこと。生まれたことは自分の意思ではないのに生き様には責任があり、さらに生きることそのものを放棄することさえ許されないことに疑問を感じた。
  • どこからどこまでという境目が分かりづらい責任を押し付けられた時とかは疑問というか困ることが多いなと思います
  • 弟の成績が少しでも下がるときょうだいで連帯責任をとれと父から言われて、弟のテスト勉強の計画をきょうだいだけで立てさせられました。どういう意図でこの計画は立てられのかを父にプレゼンしなくてはならず、私のプレゼンに父が納得しないととことん追及されました。弟の成績が下がった責任をきょうだいでとれと言われて本当にとる必要のあった責任なのか?と感じました。
  • 思いつかないです

責任を負わされる

責任について最初に、みなさんの自己紹介を見て「生きていることの責任とか、 きょうだいであることによる連帯責任とか、自分で決めたことでもないのに責任を負わされる(?)ことが結構あるなぁと読んでいて思いました。でも自分で『責任を持たなきゃ』と思うことでも、本当に自分で決めているわけではないことは多いかな……」という意見があり、

「自分で選んだことを納得してやること=責任 というイメージもあったのですが、自分で選んだつもりだけど実は周りに流されていることが私は結構あるから、ちょっと違うかもって思いました」

「そのときにはその納得していたつもりでも、あとからみたらそうでもなかった、むしろそのせいで病んでた…みたいなことも結構経験があって、社会の中で責任について考える難しさもあるし、自分自身のことを認識するむずかしさもあるなぁと思いました」という声がありました。

連帯責任

きょうだいであることによる連帯責任についての話をした人は、

「弟の成績が下がったのは、弟自身の問題であり、テスト勉強の計画は、当時弟は塾に通ってたので塾の先生もしくは父なり周りの大人が協力したらいいのにと感じていました」と振り返っていました。

これに対して、「『連帯責任』という制度はへんな感じがしました。周りが納得するためだけのものなのかな?とかも思います」と考えた上で、

「弟さんの成績については、べつに良くなければいけないということでもない気もするし。もし、それをなんとかしたいという場合にも、いろんな人が知恵を出し合えたらいいのになぁと思います」と書く人がいました。

またここで負った「責任」について「理不尽に感じました。それでも○○さんのお父さんが責任と判断したのならそれが一種の正しさになってしまうのかなと思いました。責任は、正しいかどうかではなく周りの人間が納得するかどうかなのかもしれないなと思いました」と書く人もいました。

もともとの書き込みをした人は「私達きょうだいに丸投げされた気分でした」と書いていました。

ここから「自分にはうまく負えない、けれどだれかが責任を負わないといけないと思ったときに、他の人に責任を押し付けようとすることは『責任転嫁』というやつですかね」と考える人もいました。

また「この世の中にはたくさん責任転嫁があって、そもそもはなんでそれをその人がすべきだったのか、だれもわからなくなっていることは多いのかも」とも書いていました。

責任という方法を「使う」

「連帯責任」について「一体感や団結力を身につけさせる心理操作というか、一種の方法のように感じます」と考える人もいました。

「連帯責任自体はあくまで方法で、それを行うことにより得られるものがある…そんな感じがします」と書いていました。

これを受けて「『責任』という考え方自体、そういう面があるかな?『責任がある』と決めておくことでスムーズに動くこともありそうだし、でも逆に使う人や負う人によっては、責任を感じるせいで動けなくなることもありそうです」と考える人もいました。

ここから以下のようなやり取りがありました。

「『責任』の使い方?の共通認識が双方にできていれば、物事がスムーズに動いたり、結果として押し付け合いではなく必然的に助け合える状態になるのかなぁとか色々考えていましたが、何だか理想論だよなぁという思いも浮かんでぐるぐるしていました」

「責任って社会を動かすための手法の一つかもしれません。人々を納得させるのには責任を取るという方法がとられますし、自発的にリーダーとなって責任を担い人々を動かす人もいます。他にも、色々な場面で責任は使われてますね」

「責任を『持つ』とか『負う』とかは結構重たい印象でしたが、○○さんが書いていた『使う』という考え方はなんだかいいなと思いました。人が責任を『元々あるものだから自分で解決すべき!』と考えるのでなく、『あくまでこれは、お互いのための手法』として考えてうまく使えたら、いいのかも…?でも実際には、だんだんわからなくなっちゃうのかなぁ…」

「責任を『使う』という感覚でいれば責任という見えないものをより味方につけられる(責任が重荷にならない)のかもと思いました。もちろん、責任転嫁のような悪用は厳禁ですが」

責任ではなくても

「責任と言われなくても、自分が必要だと感じたら必然的に助け合うのかな」と考える人もいました。

これに対して、「私も、それぞれがそれぞれにとってとか、お互いにとって必要だと思うことを選んで、話し合って、それで助け合えたらべつにわざわざ『責任』なんて言わなくてもいいよなぁ」と考える一方で、

「でも、実際にはなかなかうまく話し合えなかったり、お互いのためになにかする余裕がなくて、押し付け合いになっちゃったりするのかな…」と考える人もいました。

押し付ける以外の選択肢

「力をもっている人が責任感などが欠けている場合、周りにいてるその人にとって(言い方は悪いですが)押し付けやすい人に本来負わなくていい責任を勝手に負わされてることも多いんじゃないかなあと思いました」と考える人がいました。

「力を持っている人の責任転嫁は、されたときに負担が大きくなってしまいそうです。責任が必要になるようなことがあったとき、『自分はこのくらいできるかな』とイメージしたり、それを他の人にも伝えたり、イメージとずれたときに他の人と補い合ったり…みたいなことをする練習をすることが、なかなか実生活ではできないかも?と思いました。責任に困ったときに『押し付ける』以外の選択肢を増やすためには、どうしたらいいんだろう…」と疑問に思う人もいました。

これを受けて「周りの人がどれだけ協力的かにもよるなあ」と考える人もいました。

また、「私は責任を負えないなぁって困ったときどうするかなぁ」と想像した上で「周りに手伝ってくれそうな人がいなさそうだと思ったら、何も言えず、自分が潰れるまで負ってしまうかもしれないし、自分がだれかに丸投げできそうだったら、そうしたくなっちゃうかも…って思いました。でもほんとうは、責任の境界線みたいなのを柔軟に越えて、他の人にも協力してもらえたらいいし、自分も他の人が負っている責任とか、困りごとを知って、手伝えたらいいなぁと思いました。そのためには、やっぱりお互いの状況とかを知ってる必要があるかな」という考えも投稿されていました。

「責任を押し付ける人は、本当はない『責任』があると認識していて、それは必要以上の理想を設定しているからなのかなぁって思います。仕事でも勉強でも。私は、できる人ができるペースでやっていればよくない?と思うのですが、なかなか分かり合えないことがあります」と考える人もいました。

責任と納得

原因について考えて、「何かが発生した時、その原因にあたる人に責任が負わされるな、とも思いました。発生したものが悪いことだったら『責任を取れ』『お前のせいだ』となるけれど、良いことだったら『あなたの業績だ』『あなたのおかげだ』という周りの評価になりますね」と分析して、

「そもそも責任を負わせるとは、誰か、なにかのせいにすることで周りの人達を精神的に納得をさせて、その上でその問題を解決させること。と考えています。責任って理由とか原因を知って納得したいという心理が根底にあるのかなと思いました」と書き込む人もいました。

この考えを読んで、「たしかに、私も納得できないことはすごく気になってしまうので、なんとか納得したいという心理はあるなぁと思いました」とした上で、

「問題は、責任を負っている側の人が納得できない状況のことも多々ありそうということですかね」と書く人もいました。

また、「そもそも『解決したい問題』が人それぞれ違う場合は、共通の『責任』の認識は持てないなと思いました」と考える人や、

「捉え方も人それぞれだからそれを問題と捉えるか捉えないかも大きいなあと感じました」と書き込む人がいました。

「自分(または集団の誰か)が納得していなければ、責任は発生しない(必要がない)のでは?」と疑問に思う人もいました。

責任と評価

「『責任』がそもそも評価に繋がりやすい仕組みというか風潮?なのが良くなかったりするのかなぁ」と考える人がいて、

「背負わされた?ものに対して、妥当だったり適正な評価をされるのならまだ良いのかなとも思ったりしますが、そうじゃない時も多いのでは」と想像していました。

これを受けて、「たしかに責任と評価、繋がりやすいですね。責任というものがプラスに働けば、前向きな気持ちで色々なことに取り組めそうだなと思いました」と、「責任」のプラスの面について考える人もいました。

安全と健康

これまでの流れから、責任について「そもそもなんでやだなと思っていたのか考えてみると、『こういう責任を負わないなら、ここにいる資格はない』みたいな言葉を聞いたことは結構あって、そう言われると責任を無理にでも負わないと最終的には生きてはいけないんじゃないか?と思ったことが結構ありました」と経験を語った上で、

「まず生きていける、まず居場所があるということを前提にしないと、『(もしかするとうまくいかないかもしれないけれど)責任を負ってみよう』とは中々思えないのかもなぁと思いました」と書き込む人がいました。

「まず安全や健康がある程度守られていないと、責任を持って何かしよう、とはならなさそうです」と考える人や「責任って保障がされていないなと感じて、それだと自ら進んでとはなりにくいよな…と感じました」と思う人もいました。

「○○さんの言葉を見て、安全や健康を責任の交換条件にするのではなく、責任よりも前にある、前提みたいなものにできる世の中になったらいいんだろうなと思いました」と書く人もいました。

責任にはあまりいいイメージがなく、押し付けられるもの、自分にはうまく守れないのだから負ってはいけないもの、という印象でした。でも参加する方たちと話す中で、「責任を使う」という考え方をする人がいたり、責任の前提には安全が必要だという考えにきづいたりしたことで、考えがすこし変化した気がします。安全を確保できた上で、お互いの状況を考えながらであれば、責任をうまく使える可能性もあるのかな?と思いました。こ2時間弱の短い時間で、自分の考えが変化したり、深まったりするのは面白い体験でした。
責任に対してマイナスのイメージがあった。でも、正体を冷静に見極めてみたら責任は人々が納得するための道具に過ぎないんだと思った。それに気づいたら肩の荷がおりた。責任って他人のためにあるんだと思ったら案外良いものじゃんと思った。責任をうまく使いたい。
今回始めての参加で、あんまり参加できなかったので次回はもっと参加したいです!
責任という言葉が、今まで背負うものとか最後まで果たさなければならないものといったようなマイナスなイメージが大きかったですが、手段として「使う」と表現しているユーザーさんがいたのが印象的でした。「責任」の前提に、もっと認識のすり合わせなどが必要なのかなとお話を聞いていて思いました。改めて、社会はコミュニケーション不足によって弊害が起きていることが多いのではないかなぁと感じる時間でした。
責任って理由とか原因を知って納得したいという心理が根底にあることや安全や健康などが守られてるという前提のもとで責任は負うことが出来るものなのかなと思いました
「責任」という考え方をするのは、やりたいことや解決したいこと(理想)があって、それを実現するために「責任」という認識を使った方が、分かりやすかったり、スムーズに協力しやすかったりするからなのだろうと思いました。でも、責任とは何か?も曖昧だし、具体的に何が責任なのか?も人によって認識が違うことが多そうなので、「責任」という考え方はそこまで使いやすくないような気もしました。あと、理想が高すぎると、責任も多く・重くなりそうなので、ちょうどいいくらいのサイズの理想と責任が持てたらいいのかなと思いました。また、安全や健康を守られないまま「責任」を押し付けられることが多く、「どんなときでも周りの役に立っていないと生きていてはいけない」みたいな社会の空気を感じます。「責任」はあるのか?幻想なのか?というと、あることもあるけど、幻想のこともかなり多そうだと思いました。幻想の責任と、本当にあったほうがいい責任の整理をして、幻想の部分を軽くすることで、社会全体がもうすこし落ち着いて生きられるものにならないかなぁと思いました。
普段責任について考えることがないので、いい機会に感じました