ここチャット「つらさを乗り越えるってどういうこと?」実施レポート(2021/09/05)

2021年9月5日は「つらさを乗り越えるってどういうこと?」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は8人でした。

最初に3つの質問を自己紹介として書いてもらいました。

①自分の「つらさ」を別の言葉で言い換えると?

この質問にはこのような答えがありました。

  • 逃げたいほど嫌な経験や記憶
  • 気持ちや考えを、固く、動かないようにしてしまうもの
  • 息がしづらい、苦しい
  • 痛い、消えそう、やるせない
  • 主観的な痛み、ひとつの経験・学び
  • 自分の意思とは全然違った結果になり、痛みを感じること
  • 現実
  • 自分を捻じ曲げなければいけないこと
  • 表現もしくは理解の壁

②「つらさを乗り越えたい・乗り越えないといけない」と思ったことはありますか?「はい」の人は、どうして・どういうときにそう思いましたか?

「はい」が7つ、「いいえ」が2つありました。(違うつらさについて、2種類の回答をした人もいました)

「はい」と答えた人からは、このような説明がありました。

  • 乗り越えないと生きていけないから
  • ずっと生々しい痛みを感じ続けることも苦しいので、乗り越えたり、感じなくなるくらいに忘れてしまった方がいいのかな、と思ったからです。ですが、脳裏にこびりついて仕方がない言葉や出来事がどうしてもあります。
  • 乗り越えないと前向きに生きれないと感じるから
  • 毎日思う。失敗や思うように事が進まない時はなおさら思う。
  • 仕事が続かないときに、お金を稼げなくて、でもこのつらさを解決しないと社会で生きられないと思ったからです。
  • 受け入れるのに1年かかった
  • 集団生活(学校)など。人と関わることを毎日しなければならない社会的常識のようなもので、そう感じる。

③つらさの「乗り越える」以外の取り扱い方はどんなものがある?

この質問にはこのような回答がありました。

  • 共存するしかないのかな…と半分あきらめ。
  • 逃げる。不快な感覚と認知を切り離して考えてみる。ほかの刺激で紛らわせる(自傷なども)。薬を飲んでなんとかする。記録して日常にする。
  • 逃げる?目を背ける。
  • 守る、話す
  • 解釈を変えたり広げたり、違う視点で探ってみる。それか忘れてしまう(かなり難しいけど)。もしくは、ずっと抱えたまま生きていくしかないのかな
  • やり過ごす、つらいと他の人に言う
  • とりあえずうまく扱ってみることにした(乗り越えてはいない)
  • 逃げる。消す。
  • そもそも乗り越えるという表現が適切でない、理解者を探す&自分の最適な表現方法を探す

自己紹介の回答を受けて

①の回答の「自分の意思とは全然違った結果になり、痛みを感じること」という意見に賛同し、『こうであってほしいのに、違う』みたいな落差があるほうがつらいような気がします」と考える人がいました。

また「主観的な痛み」という回答について「絶対的なつらさというより、自分自身の感覚という感じで、なるほどとなりました」と考える人がいて、「 つらい経験や傷ついた経験は、大小誰にでもあることだと思います。ですが、そこから感じる痛みは、自分にしかわからないもの、他者とは比較できないものなので、主観的なのかなぁ、と思いました」という解説がありました。

③の中の「忘れる」という言葉のニュアンスについて、「別のことに意識を逸らしたり好きなことに夢中になって、その最中だけでも「忘れる」に近い気がします」という補足があり、それを受けて「『忘れる・紛らわせる系』みたいな系統があって、他の感覚で紛らわせるのもあるし、好きなことをやることで意識をそらせるのも近いのかなぁと思いました。アルコールに逃げる、とかも紛らわせる仲間だとしたら、『逃げる』というのも近いのかな?ちょっと違うのかな?と気になっています」と考える人がいました。

「受け入れる」と「乗り越える」

「つらいことって、受けいれるだけでも大変な作業なのに、それを乗り越えるってどういうことなんでしょうか?乗り越えることが、いまいちよくわからなくて…乗り越えられたら、きっと今の自分より強い自分になれるのかなと希望も持ってはいるのですが」と疑問を書き込む人がいて、そこから以下のように考える声がありました。

「つらさを受け入れる。というのは直接的な解決にならなかったとしても、精神面でかなり違いが出てくるのではないかと思いました。つらい、と思っている自分自身を私は否定しがちなので」

「つらい、と思うとそれだけで頭がいっぱいになってしまって、肯定することができなくなるので、とにかく自罰的な方向に思考がいってしまうと言うか…乗り越える、って、そうならないように前を向けるというこおなのかなと」「自分のことを否定したり、間違っているんだと思ったり、追い詰めてしまう感覚、自分にもあるなぁと思いました。乗り越えることは、前を向けること。○○さんの言葉を借りると、自分のことを肯定すること、なのかなぁとも思いました」

「今感じているつらさを感じなくなったら乗り越えた証拠になるのではないかと思っています。もちろん、事例によってはそうでないものもあるとおもうのですが」

「受け入れる、と、乗り越える、って段階的に違うなぁと、その言葉で感じました。乗り越えられたら強くなるのかなぁ、という感覚や希望もすごくわかります」

「つらさ」の塊

また「受け入れるとか、乗り越えるっていうと、『つらい』という大きな山?かたまり?みたいなものを全部受け入れたり乗り越えたりしないといけない感じがして不安になります。でもつらい時ほど、塊をちいさくしたり、別の見方をしたりするのもむずかしい気もする」と考えていれう人がいて、ここから以下のようなやりとりがありました。

「その大きな塊を全て抱え込んだり背負ったりするのも大変ですからね……」

「つらさを乗り越えることを一つの大きな課題や、○○さんの言葉のような大きな塊などと捉えることが私は多かったのですが、日々の暮らしの一部として毎日少しずつ変化させていく細長い形状のものをイメージすると、少し楽になるのではないかなと感じました」

「かたまり背負うのは大変だし、背負わないといけないと思うと、それだけで苦しいなぁと思います。私の個人的な感覚ですが、つらさを細分化していったら、つらさが特別なものから、日常的ちょっとしたものとして捉えやすくなったと思っています。(そう思えない時もありますが!)」

乗り越えるものとそうではないもの

「過去あった出来事なら『乗り越える』で合ってるが永続的に続いてることなら『乗り越える』だとよくわからないことになることも」と考える人がいました。

そこから以下のように考える人がいました。

「もう完了したものについてどうちゃんと終えていくか、みたいなこと(?)と、現在進行形で起きていることとどう付き合うか、ということはだいぶ違うのかも」

「○○さんの言葉から、つらいと思ったことを、過ぎたこととして割り切れるようになると、乗り越えた、といえるのかもしれないと思いました。いつまでも現在進行形で立ち塞がっているうちは、乗り越えられないのかな」

「乗り越えられない、ということは、つらい出来事が過去のものになってなくて、今もそのつらさや痛みに晒されていることなのかなぁ」

「現在進行形のものは乗り越えるのは難しいのかなと思います。気持ちを誰かに話しながら、自分の中でも整理して、ガス抜きをしながら、時間が経つのを待つしかないかもしれません」

また、「実際に過去のものではない、現在進行形で起こっているつらい出来事って、乗り越えるのって、できるのかなぁ」と考えて「乗り越える、って結果論なんでしょうか?振り返ってみると、いつの間にか乗り越えていた……みたいな」と話す人もいました。

これに「たしかに自分の変化を後からふと振り返ったとき、初めて気づくものって感じがしますね。わかりやすいゴールがあるのではなく、緩やかな変化全体を後から客観視したとき、乗り越えたなと感じられる気がします」と考える人もいました。

また、自分のつらさについて「現在進行形どころか永久」と話し、「乗り越えるという定義はあるかもしれないが私の中では今のところ見つからない、同じ状態で乗り越えたと思ってる人に話を聞くしかない」と考える人もいました。

乗り越えなくてもいい?

「過去のつらさも、現在のつらさも、べつにほんとうは乗り越えなくてもいいのかも?と思いつつも、でもつらいのはつらいよなぁ〜と考えていました」と考える人もいました。

「乗り越える」という言葉について「みなさんのお話を読んでいても、自分で考えてても、よくわかんなくて、具体的ではないものなのかな?って感じがしています。そういう見えないものをゴールにして走り続けるのは、しんどいし、もしかするとすごく的外れになってしまったりするかもしれないって思います。それよりはどうやって、ゆっくり走るかとか、どうやって休むかとか、どうやって汗を拭うかみたいな(比喩ですみません)今の日々の過ごし方にフォーカスしたいなぁと思ったりしました」としつつ、「もちろん、ただ走るしかない時もあるとは思いますけど」と書く人もいました。

これに賛同しつつ「自分の感じるつらさや痛みは本物だから、それで苦しんでいる自分、ただ走るしかない状況に置かれている自分は、せめて否定しないであげたいな、と思いました」と考える人や、「たしかにつらさを乗り越えるって見えないゴールですね。それを目指すのはただでさえつらい中大変なことなんじゃないかと思いました」と想像する人もいました。

「つらさを消すことを目指すのではなく、つらさがある中でより穏やかに生活することを目指すのがいいのかなと感じました。全くつらさを感じない日々というのはなかなか難しいと思うので」という人や「乗り越えることがゴールみたいに思わない方が、つらいことやつらさを感じる自分を悪いとかダメって思わなくて良くなったりしないかな??となんとなく思っています」と考える人もいました。

つらさを人に話すことのメリット

「乗り越えようと無理して頑張るよりも、少しずつガス抜きしたり時間とともに変化させていく方が、たしかにちょっと楽かな……と感覚的に思いました」という人や、「みなさんの言葉をみて、現在進行形のつらさは、すぐに乗り越えようとか、つらいと思わないようにしようとかはなかなかできないので、少しずつガス抜きしながら変化させていくのがいいのかなと思いました」という人もいました。

その中で「話をすることも(この場のように、遮られたり否定されたりすることない環境で)、安心感を得られたり、つらさを和らげられる、すごくいいことだなぁ……と思いました、あと、話をすることで、ひとりでは出来なかった解釈や見方を変えたりできるなぁ、という経験はあります。私の抱えるなかなか離れないつらさは、なかなか人に話せてないことですね……。内容があまりにも暗いから」と話す人がいました。

「こうやって話す中では私のつらさ(今は主に痛み)に集中しないで、話題や考えに集中していられていいなーと思いました」という人や、「私も人に話すということができないんですよね。引かれるの分かっているから」と話すことの難しさについて考える人もいました。

つらさを人に話すことのリスク

「人に話すという方法は、いい面もたくさんあるけれどリスクを伴うものだなと感じます。受け入れられなかったり否定されたら、さらに傷になることが多いとおもうので」という人や、「1人で耐えられなくて、ひとにつらいというと、辛いのはあなただけじゃない、みたいにいわれると……消えてしまいたくなる。逆に否定せずきいてくれる人がいるとそれだけで少し心が休まりますね」という人がいました。

「つらいのはあなただけじゃない、よく言われる言葉の気がします。でも私としては最初の方で話題に上がったように主観的なものだと思います。だから他人と比べて評価すべきでないと思っています」と書く人がいて、「それぞれの人の中のつらさを『同じようなもの』『自分の知ってる範囲のこと』と決めつけちゃうと、『みんなそんなものだよ』とか言いやすくなっちゃうかなぁと思います。それぞれのつらさや苦しさは想像しきれるものじゃないから、わかった気にならないように気をつけなきゃなぁ、とみなさんの書き込みを見ていて思いました」という考えの書き込みもありました。

また、「受け入れられない前提で話せる」という人がいて、「受け入れられないから話せないというのは受け入れられる前提で話そうとするからでは」と考えていました。

これを受けて、「受け入れてほしい、否定しないで欲しいって気持ちや相手に期待したり、っていうのは話す前にありますね」「相手に期待しない、というのは期待を裏切られるリスクを回避できるので私もそうしていました。でも、期待して裏切られることは確かに傷ついてしまうけれど悪いことではないと今では思っています。期待して信じて誰かと関わりを持つことは勇気がいるけれど、良くないことではないんじゃないかなと、思っています。あくまで、私の経験上の意見ですが」と考える人がいました。

「 相手に嫌なこととか、困ること言われたときに、『この人はこう言ってる』ということと『自分はこうだなぁ』ということが分けられたらいい、と思いつつ、自動的に傷ついちゃうことは結構あるなぁと思いました」と話して、「『聞いて欲しいだけ』とか『あなたの○○という視点からアドバイスがほしい』とかなるべく最初に伝えて、ずれを減らせるといいのかな?と思いますが、うまくいくときとうまくいかないときがあります」と経験を語る人もいました。

つらさを和らげる他の選択肢

後半では、「人に話せない時(時間帯が深夜だったり、否定しないで聞いてくれる人がいなかったり)って、どんなことしてつらいことを和らげていますか?」と参加者に質問を投げかける人がいました。

これに対して以下のやり方が集まりました。

  • アルコール
  • 日記アプリにひたすら打ち込んだり
  • 夜だと眠剤で嫌でも寝ること
  • 日中だと解離して違う世界にワープ
  • ぬるめのお風呂に入ると落ち着くので、夜中でもお湯をはって入浴
  • 小説やドラマが好きなので、読んでいると感情移入しているうちに落ち着いたりします
  • 部屋の空気の入れ替えをする(寒い時とか暑い時は無理だけど)
  • 夜遅くでなければ近所を一周する
  • いまの気持ちや感覚はいまだけのものなので、この機会になるべく細かく書き出してみる
  • 深呼吸
  • 行ける時間だったらカラオケ
  • 味の濃いものを食べる
  • ツイキャスというライブ配信アプリで吐露することがままあります。どの時間帯でも大抵だれか配信を聞きに来ますから、即興で話し相手ができます
  • 薬を飲む
  • ツイッターの鍵垢で吐き出す
  • 「返信はしなくていい」「お互い気にしなくていい」という協定を結んだ相手に、「返信はしなくていいから」と困ってることをLINE
  • 公共の相談機関に電話する

参加者の感想

つらさを乗り越えるということを絶対視するのではなく、むしろそう思わないことで日々のつらさと付き合っていきやすいこともあるのだろうか、と思いました。参加するまでは少し緊張していましたが、それぞれの方の感覚や意見は違うけど、それがダメということにはならず、むしろ合わさってそれぞれの理解が深まる感じがあったように思いました。参加できてよかったです。
発見は、つらさは過去現在未来と時制で分けられるということ。思ったことは、つらさを大きな塊ではなく細長い形状のものとして捉え、日常のちょっとしたものとすることで、つらさと向き合いやすくなるということ。つらさは消すのではなく、つらい毎日を緩やかに過ごすことを目指すのがいいこと。また、つらさへの対処がみんなと私が似ていて安心しました。
つらさを乗り越えなきゃ、と無理して頑張る必要はないんだな。と、いろんな方々との対話を交えて、そう思うことが出来ました。それは、自分のつらさや痛みを過小評価せず、そのまま抱きしめてあげることにも繋がると思いました。みなさんのつらさを和らげる方法を聞けたのも参考になりました。ありがとうございました。
同じような悩みを抱えているかたとお話できてよかったです。少しだけ心が軽くなりました。ありがとうございました。
そもそも、つらさは乗り越えなくていいということ。乗り越えることがゴールではなく、いろんな解消法であとから振り返った時に今までつらいと思っていたことが気にならなくなっていたら一歩前進というのは新鮮でした。見えないゴールを勝手に追いかけていたから余計つらかったんだなと思います。そして、自分なりに腑に落ちるようになるまでは時間がかかって当たり前ということ。ガス抜きの方法は現時点ではみつけられていませんが、みなさんのアイデアを参考に、自分がリラックスできる瞬間をみつけられたらと思います。いろんな意見があり、とてもおもしろかったです。
つらさが主観であれば、つらさを乗り越えるというのも(必要ではないけど)主観でしかない、という考え方もできそうだと思いました。後から振り返ったときに自分の変化に気づいて、乗り越えたと感じるかもしれないけど、未来にそう感じるかどうかより大事なのは「今」をどうにか過ごすことなのかなと思いました。つらさを受け入れて緩和しようとするのも一つだけど、逃げるときもあって当然で、悪いことではないのだと思いました。