ここチャット「常識って何だろう?」実施レポート(2021/08/29)

2021年8月29日は「常識って何だろう?」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は4人でした。

最初に2つの質問を自己紹介として書いてもらいました。

■あなたが思う「常識」を別の言葉で言い表すと?

  • ルールを守ること
  • 消費エネルギーを抑えるために思考や想像を省略し、すべての人や状況への適用率を犠牲にする手法
  • 生きるために知っておくべき基本的なこと
  • 非常識

■これまでに気になった「常識」があれば教えてください。

  • なぜ女子制服はスカートって決められているのだろう。
  • 男女が一緒にいたら恋愛感情があるだろう、他の人が質問しない会議では質問するべきではない、ピンクの髪やタトゥーは常識はずれでやばいやつ、家族は仲良くするもの、結婚したら子どもを作るもの
  • 玄関での靴の脱ぎ方・揃え方、箒の持ち方。(人に注意されて、常識がないと言われている気分になったから。)
  • スーツを着る、どれだけ寒くてもスカート、パンプス、長い髪はくくる、黒髪、化粧、ストッキング

「別の言葉で表すと?がみんな違っていて、それぞれ詳しく聞いてみたいです」と書く人がいて、以下のようなそれぞれの解説がありました。

この答えに対して「会社とかマンションとか、コミュニティごとのルールはその場所によってバラバラだと思うのですが、そうすると、常識は場所(コミュニティ)によってバラバラなものだ、という考えもできそうだなと思いました」と考える人もいました。

「小さい時から「常識がない」「おかしい」と言われることが多く、常識に合わせるのが難しいことも多かったため、常識が嫌いと思ってるところがあります。(まったく使わないわけではないですが)でも、常識を信じる人には利点があるのだろうと思い、こういうことなのかな?と思っている仮説を書きました」(「消費エネルギーを抑えるために思考や想像を省略し、すべての人や状況への適用率を犠牲にする手法」と答えた人)

「私は、子どもの時に身につけておかないと生きるのに困りやすい、というイメージでした。例えばお箸の使い方とか、話すための簡単な言葉とか、も含まれます」(「生きるために知っておくべき基本的なこと」と答えた人)

この回答には、「たしかに子どものころは判断力や知識がないから、「これはこういうもの」と常識という形で教えるのが適切な場合はけっこうありそうかも、と思いました…!」と感想を伝える人もいました。

「私は幼い頃から両親に世の中の常識はこういうものだと色々叩き込まれました、、いざ自分が社会に出ると両親に教えてもらった世の中の常識は非常識なものばかりだと気づき、常識は非常識でもあるんだなあと感じました」(「非常識」と答えた人)

これを聞いて、「「おしえる」と「たたきこむ」は結構違うイメージです」と感想を伝える人もいました。

常識には親の影響がありそうか質問する人がいて、「私は親に教えられた部分もありますが、親自身が「私たちは非常識だから」と自称する人たちだったのであまり身に付かず、学校とかで常識をおしえられてびっくりすることが多かったです」と答える人がいました。

他には「私も常識を親に教えられた部分はあると思います。それでも足りなくて、学校でも足りなくて、ほんとはもっと知りたいのにーって思っていました;学校では常識は教えてくれず、むしろ常識とは逆のことをやらされることが多いと感じていました。」という回答もありました。

「そういえば、祖母から「勉強はこうするべき」みたいな常識を言われることもありました。」と話す人に「「勉強はこうすべき」とかは、個人の意見ではあると思うのですが、それは「常識」ということになるのでしょうか?」と聞く人がいました。

それには「私は、すべての人にとっての常識は存在しなくて、時代や場所や状況や個々人に左右されるものだと思っています。「これは常識だろう」という個人の考え方があるだけなんじゃないかな?と思います。祖母の言葉は意見なのですが、「これが常識だから」「これが普通だから」と言われて、それだけが正解なのだと思っていた時期があるので、この文脈で書きました!」と答えていました。

「なるほど!それは当時の祖母さんが「常識だと思っていたこと」で、〇〇さんもそれを取り入れていたけど、後からそれは〇〇さんにとっての常識ではなくなったのだと理解しました。」「そうですね。いま、私が「これは常識だ」と思ってることってなにもないかもしれない、と思い至りました。」とやり取りが続いていました。

「今までのみなさんの話を聞いていて、常識は「いやなもの」「困るもの」というイメージが強そうだなと感じました。常識はできるだけ無い方がいいと思いますか??」と質問する人がいました。

これには「そうですね「常識」という言葉で言い表されることは、私にとっては余計なもの、私に合わないものだったという印象が強いです。(常識という言葉で片付けるのではない、知識や経験や価値判断の材料は必要だと思います。)でも「常識だ」と言われなければ自分や人を大切にできなかったり、生活する上で困ったりする人がこの世の中に多いなら、その人たちには必要なシステムなのかな?とも思ったりします。」と話す人もいました。

「みなさんのお話の流れを読んでいて、私は「常識だから」という理由では、どうにも納得できないのだなと思いました。「なんで常識ということになっているの?」「どうしてそうしないといけないの?」と気になってしまうので、結局もともとの理由から遡らないといけないし、遡って納得したとしても、それを常識と思うのではなく、「その理由があるからこうなのだ」と納得するので、私の中に常識の出番がないようです。だから、押し付けられるだけのもの、という印象が強かったのかもしれないと思いました。」と自分の考えを整理している人もいました。