ここチャット「死にたいと思うのってダメなの?」実施レポート(2021/08/26)

2021年8月26日は「死にたいと思うのってダメなの?」というテーマでここチャットを実施しました。参加者は6人でした。

最初に2つの質問を自己紹介として書いてもらいました。

■今と過去最高の「死にたい(に類する感情)」の度合いをそれぞれ0~100で表すと?

  • 今1
    過去最高89くらい?
  • 今30
    過去最高97ぐらい
  • 今50
    過去最高100
  • 今30〜40
    過去最高99
  • 今20~50を行き来
    過去最高90くらいです。
  • 今20
    過去最高95

■あなたの「死にたい(に類する感情)」を別の言葉で言い換えると?

  • つらいけど自分の力ではどうしようもない気がするから、このつらさをもう感じなくなるために死にたい・・・みたいな感じかなと思いました。
  • 「消えたい」とか「なかったことにしたい」、「生きたくない」という感じです
  • 「生まれてなかったことにしたい」という感じです。
  • 生きづらい/消えてしまいたい
  • 存在そのものをなかったことにしたい という感じです。
  • 私なんていない方がいい、いなくなりたい消えてしまいたい

「死にたい」?「消えたい」?それぞれの感覚

この結果を見て「なかったことにしたい という感覚の方が何人かいて、自分だけじゃないんだなって思いました。明確な死にたさというよりも、消えたいという感覚の方がみなさん強いのでしょうか…?」と考える人がいました。

これに対して「私は、死にたいときと死にたくないときの差が激しくて、死にたい時は具体的に(というか実際に?)死ぬことを考えている気がします。なので、消えたい、なかったことにしたい、という感覚は私の場合はあまりなくて、みなさんの感覚が気になりました」

「私は本当に『死んでしまいたい』というよりかは、その時の”問題”を乗り越えられず辛くてもう消えてしまいたい、と思う気持ちが強かったです」

「自分は『死ぬ』をせずに消えられたら楽だなぁと思いました」などの返答がありました。

これに対し、最初に投げかけた人は「死にたい消えたいと感じる原因となった問題が解消されると、その抱いた気持ちも多少は緩和されたりする場合もあるんですね」と話していました。

また、「自分の場合、具体的に死ぬことを考えている時もあれば、この人生そのものをなかったことにしたい、と思うこともあります。前者の気持ちは、なにか辛いことがあった時に『よし、もう死ぬか』という感じで思うのですが、後者の『なかったことにしたい』は、常にぼんやり頭の中にある感じがします」と話す人もいました。

その後、「みなさん、高い点数?のことがあったのだな、って思いました。もし、聞いてよければ、その度合いは日々違いがある感じなのか、それとも、長いスパンで変化してある感じなのか、気になりました…!」と考える人がいて、「一番辛かった時は80くらいが長く続いて1人になった時に100がくるって感じでした」という回答をする人もいました。

死にたい・消えたいときの心身の変化について

「私は死にたい消えたいといった思いになると、思考がフリーズしてしまったり体調に表れたりするのですが、みなさんは何か具体的に変化が起こったりするのかなって気になりました」と投げかける人がいました。

「死にたくなると自傷や暴食をしたくなります。個人的にはこの2つはしたいって思う時の感覚が似てる気がするんですよね…。あれ、今自分ってこのどっちがやりたい気分なんだ??ってわかんなくなったりします笑」「暴食もある種の自傷かな?という気が私はしました。複数あると迷いというか、どれが自分は今欲しているのか分からなくなる感覚あるかもです。笑」「どちらも体に悪いことをして紛らわせてますね」「過食や自傷も死にたい時は、私もよくやることなのですが、それは死にたいくらいのつらさから気を紛らわせる、みたいなところもあったなーと思いました。でもそういう行動?(特に自傷とか)があると、隠さなきゃ、となって余計つらくなるループもあるなぁと思いました」というやり取りがありました。

また、「私は気分が落ち込んでくると、パニック発作に少し近いような身体症状も出てきて、それがコントロールできないと焦ってしまって死にたくなる…というパターンが多いので、死にたいが先というより、なにか症状が出て死にたいという順番かもです。でもたまに理由もなく、突然、気分も悪くないけど死にたいな、死のうかなと思うことはあります。その時はとくにほかに変化も感じないけど、心理的な視野?は狭くなってるかも・・・と思いました」という回答もありました。

死にたい・消えたいと思うことはダメなことなの?

「自分はずっと死にたいって言っちゃいけない(思っちゃいけない)と思ってたんですけど、チャットで相談に乗ってくれるところの人に死にたいって思うのは普通の感情だからそう言えることも大事だよって教えてもらって、すごく新鮮に感じたことがあります」というエピソードの上で、「みなさんは『死にたいと思っちゃいけない』とか『そんなこと言えない』とか思ったことはありますか?」と投げかける人がいました。

この投げかけに、「 死にたいなんて言っちゃダメだよなどという否定的なメッセージを感じることが多かったので、昔はダメなことなんだなっていう思いは強かったです。今でも身近だけどそこまで親しくない人(学生の頃の友達とか)には本音は言えないこと多いです…」という返答があり、「自分は逆に家族や友達などの親しいひとにはどう思われるか怖くて言えないので、そういうこともあるんだなぁと思えました」と考える人がいました。

また、「親や恋人から『そういうことを言うな』と言われたり過剰な反応をされたことがあるので、なかなか言えませんでした。友達に対して、本気じゃなく茶化す感じで『あー死にたい』『メンタルやばい』みたいな感じで言うことはあったけど、本当につらいことはなかなか言えなかったです。最近は、言ってもそれで変な反応をしない友達が複数できたので、正直に言えるようになりました」というエピソードを話す人もいました。

社会の中の価値観

「死にたいということはよくない」とするような風潮について「死とか、なくなりたいことが悪いこと、特別なこと、みたいなイメージが世間では強いのかなあと思いました。私はずっと身近だったので、ずれ?みたいなのを感じています」と考える人がいました。

この話題から、「どこのサイトかよく覚えてないんですけど、自殺を世間がダメっていう理由は社会秩序が乱れるからって書いてあったのを見ておぉ〜ってなった記憶があります。自殺がOKになって増えてしまうと社会が回らなくなるって書いてあった気がします。自殺してしまえばいいからって反社会的な行動が増えたり、人が働かなくなったり、みたいな理由でした」と書く人がいました。

「その社会は、自殺をしたいと思っているつらい人のための社会じゃないんだな」「そういう側面があるのかどうかは抜きにしても、自殺を考えてしまうほど思い詰めていたりする人たちをどんどん追いやってしまうような考えだなぁと私は感じちゃいました。社会の秩序が既に乱れているから、死を選択する人だっているかもしれないのに…」などの反応がありました。

また、「自殺をだめっていうのと、死にたいと思うのをだめっていうのとはまた違うんじゃないかなあと思います。自殺を防ぐためにこそ、死にたいって言いやすい環境があったほうがいいのでは?と思います」という意見や「自殺を止めようとする、よりも、死にたいとか消えたいとか思わなくても穏やかに生きていられるようにする、ほうが大切だよなぁって思いますが、実際には、自殺、とか死、とかになるまでは中々気付かれなかったり、大事に扱われないことがあるなー」という話がありました。

自殺などに関する価値観について、「昔の切腹とかも自殺だけど殊勝?みたいな感じに思われてたりするんで社会の捉え方って時代とか状況とかで変わるんだなって思ったりもします」「時代によって生きること死ぬことの意味も変わったりして難しい」と考える人もいました。

他者の表現をどう捉えるか

「あー死にたい」などのように茶化して言うことについて、「茶化した感じの軽いノリで言うって経験は自分もあったのでそういう人は他にもいるんだと思いました」と話し、「軽く『死にた〜い』って言ってる人がいると本気でしんどいんじゃないかなって心配になったりします…」と考える人がいて、それに共感し「心配しすぎるのもよくないかなと思いつつ、気になっちゃいます」と言う人もいました。

また一方で「私は軽く死にた〜い、と言ってる人を見るとイラッとしてしまいます(勝手に)。自分が我慢して言わないようにしていることを、簡単に?言われると何だか許せない!と思ってしまう」「本当は言えた方が全然よくて、その方がきっとみんながストレスを吐き出せるのでしょう、ね」と考える人もいました。

これに対し、「言えないのもきつい本当にきついと日々感じてる」として共感する人や、「『死にたい』に限らず、自分が言えないことを簡単に言われるとイラっとする気持ち、ちょっとわかります。うろ覚えですけど、人ってそもそもそういう心理があるんだったような…。だからそう思うのはおかしいことではないと思います」と伝える人もいました。

「こういう、他者を許せない、みたいな気持ちも人を生きにくくする一因なのかもです」と想像する人もいました。

また、「つらくて余裕を持っていられないときに、他人の行動や言葉にポジティブに関われないことは、私もよくある」とした上で「ほんとは余裕があればいいのだけど、みんな余裕ないし、お金とかもなかったり、頑張り続けないとどうにもならない・・・みたいな状況で、お互いに苦しくなることはある気がします。そういう余裕はどうしたら社会の中に生まれるのかな・・・と考えちゃいます」と考える人や、「余裕のなさを、余裕のない同士でぶつけ合ってしまう?ことは悲しいことだなと思いつつ、私もしんどい時は他者の言葉を前向きに捉えることができなかったりする」「他人を受け入れる(愛する)ためにはまず自分が受け入れられている(愛されている)という安心感が必要なんだったような…そう思うと、他人を受け入れる、認める、許すの好循環になればいいけど、その逆の悪循環になると悲惨ですよね。今の社会って悪循環に嵌まっているような気がします」と書く人もいました。

参加者の感想

皆さんのご意見を伺って、消えたい(死にたい)気持ちは割と自然なものなのかもしれない、と思いました。途中、体調が悪く少しオープンチャットから離れて、また会話に割って入ってしまい、そのままこのアンケートの時間になってしまったので、申し訳なく感じました。自分は会話に参加せず、そっと見守っていたら良かったと反省しました。難しいです。今回も有意義な時間をありがとうございました。
「死にたいと思ってはいけない」と思ったことはなかったけど、「死にたいと言ってはいけない」とはずっと思っていて、苦しかった経験があるので、このテーマで話し合えてよかったです。みなさんありがとうございました。人のつらい気持ちの表現を落ち着いて受け止めることがむずかしい状況は自分自身にも覚えがあり、それは自分の場合は自分自身のつらさや余裕のなさによるものだと思っています。そう考えると、いまの世の中で余裕のある人はあまりいないかも?と思いました。
死にたいって言いたいけど言えなくて、でも軽いノリで「死にたーい」と言われるとイラッとする場合と、ほんとはしんどいんじゃないのかと不安になる場合とあって印象的でした。
「死にたい」にもいろんな種類があるんだなあと思いました。死にたいと言っちゃダメ、思っちゃダメと周りから思わされている人が多いと感じました。死にたいと言えるような社会じゃないから追い詰められているのに、と思う反面、言われる側も受け止める余裕がないんだなという学びがありました。どちらの立場の意見も聞けて良かったです。余裕を持った社会にするためにどうしたらいいのか、これから考えてみたいと思いました。
今日参加した人たちは、死にたいよりも消えたい感覚の方が多く自分の感覚とも似ているなと感じることが多かったです。自殺がダメな理由として社会の秩序が乱れるからということが書いてあるサイトの話を聞いて、今の社会の生きづらさの根幹にあるものが垣間見えた気がしたのと同時に絶望的な気持ちにも少しなりました。